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フェアリーバラクーダ
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フェアリーバラクーダ

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ふぇありーばらくーだ

フェアリー バラクーダ (Fairey Barracuda) はフェアリー・アビエーション社で生産され、イギリス海軍の航空隊 (FAA, Fleet Air Arm) で運用された艦上雷撃機である。複葉の雷撃機フェアリー アルバコアと交代する艦上雷撃機として計画された。エンジンの適合に手間取り、主力の量産型Mk. IIが完成するのに約1年半かかってしまい、旧式のフェアリー ソードフィッシュとの交代も遅れた。

皆様へ(2023.5.22掲出)

既にお気づきの方も多いと思われるが、本文の文体や内容からWikipediaのコピペである可能性が高いので、加筆修正依頼に出しています。

ある程度直しましたが、きちんと書ける詳しい方には加筆修正をお願いします。



開発経緯

1937年にイギリス航空省は単葉雷撃機を求める仕様S.24/37を出した。

6社の案から、フェアリー社とスーパーマリン社の設計案が選定されて、2機ずつ試作発注されたもので、フェアリー社の試作機は、1940年12月7日に初飛行した。

バラクーダは、それまでソードフィッシュなどの複葉雷撃機に固執していた英海軍の従来機とは一線を画す新型だった。

全金属製構造の卵型胴体に高翼配置の翼をもつ単葉機で、主脚は油圧作動の格納式。

格納機構がちょっと変わっており、車輪は主翼下に格納されたが、支柱は胴体側に格納された。

尾輪は格納式にはなっておらず、アレスター・フックより後部へ設置された。前後に座席が並ぶ三座機で、最前席は後方へスライドするキャノピー、後部の2名は側方へ開くヒンジのキャノピーであった。

機体下方の視界を得るため、ナビゲーター席には床面に窓ガラスを設けている。

主翼には、エアブレーキとしてダブル・ヤングマンフラップを備えていた。

試作機の尾翼は単尾翼でだったが、試験飛行でT字尾翼のような形状になるスタビライザーを取り付けることで、より高い安定性が得られることが確認されたので、2機目の試作機でT字尾翼になった。

当初の試作機には1260馬力のマーリン 30エンジンを搭載して初飛行したが、設計後に加えられた追加装備の重量のせいで量産型バラクーダ Mk. Iは出力不足になってしまう。

結局Mk. Iは、フェアリーとウェストランドで30機のみ製造され、試験と訓練に使われた。

本格量産型となったバラクーダ Mk. IIはより高出力な1640馬力のマーリン 32に換装して1688機が量産された。フェアリーのストックポート工場とリングウェイ工場で675機、ブラックバーン・エアクラフトで700機、ボールトンポールで300機、ウェストランド・エアクラフトで13機が製造された。Mk. IIは、パイロットから強力なフラップを高評価され、視界の良さから着艦がしやすい事が歓迎された。

Mk. IIは、翼上に八木アンテナを搭載し、メートル波長ASVレーダーも搭載した。対潜任務向けのMk. IIIは、後部胴体にASVレーダーを格納した。Mk. IIIは、フェアリーで406機、ボールトンポールで392機が生産された。

Mk. IVは製図も残っていないものの、Mk. Vではマーリンエンジンをグリフォンエンジンへ換装された。グリフォンへの換装により出力とトルクの増加で機体設計に大きな変更が加えられた。より大きな垂直尾翼になり、翼面積を増して翼端は楕円形状にされた。1944年11月16日に初飛行したが、ヨーロッパ戦線の終結までに製造されたのは37機と少なかった。バラクーダの生産数は各型合計2,607機だった。

バラクーダは、恐るべき欠陥も抱えていた。突然パイロットが意識を失い、墜落するというもので、それらはベテランのパイロットでも起きた。1945年に油圧システムの液漏れが事故の起因であると判明した。この液漏れがエーテルを含み、パイロットの顔面に噴出すると意識も機体も冥界まで墜ちた。この欠陥は通称(死の顔射)と呼ばれ、恐れられた。

低高度か中高度で作戦を行う艦上機であり、3,000メートル以下では必要もなかったことから搭乗員達は滅多に酸素マスクを着用しておらず、これが事故を誘発した。1945年5月末に海軍省から改善の要求が出された。

戦歴


バラクーダは、1943年1月10日に海軍第827飛行隊への部隊配備が運用開始である。

全部で23個の飛行隊がバラクーダを装備したが、ほとんどが北大西洋での哨戒任務に就いた。

最初の攻撃任務は、1943年7月にノルウェー沖で空母イラストリアスの第810飛行隊によって行われた。

1943年にはイタリアサレルノに上陸するアヴァランチ作戦を支援するため、地中海にも参陣した。 1944年からレーダーを装備したMk. IIIと併用され、対潜哨戒の任務にも運用された。

1943年に空軍はMk. IIを採用し、まず第567飛行隊が機種転換した。1944年には、第667飛行隊、第679飛行隊、第691飛行隊が装備した。すべて、1945年3月から7月にかけて退役した。

バラクーダは急降下爆撃機としても使われ、ドイツの戦艦ティルピッツに対する大規模な攻撃タングステン作戦で主力を担った。1944年4月3日、空母ヴィクトリアスと空母フューリアスから発進した42機のバラクーダは、1機を撃墜されたものの14発の直撃弾を与え、この攻撃でティルピッツは2か月以上の間、行動不能に陥った。

1944年4月からイラストリアスの第827飛行隊が日本軍に対する攻撃を始めた。バラクーダは、スマトラのサバン空襲(コックピット作戦)に参加した。太平洋の高温環境に影響され、バラクーダの行動半径が30%も減り、イギリス太平洋艦隊の艦隊空母はTBFへ機種転換した。1945年6月にイギリス太平洋艦隊に加わった艦隊軽空母は、それぞれバラクーダ1個飛行隊と[[コルセア]1個飛行隊を搭載しており、対日戦終結まで4個飛行隊がバラクーダを運用した。

フェアリーソードフィッシュやTBFと順次交代していったが、1950年代中期までイギリス海軍において運用された。


現存するバラクーダは、衝突したバラクーダ2機の残骸だけである。


性能緒元

乗員:3名

全長:12.1 m

全幅:15.0 m

全高:4.6 m

翼面積:37.62 m²

空虚重量:4,445 kg

最大離陸重量:6,386 kg

エンジン:ロールス・ロイス マーリン32 液冷12気筒 1,640 hp

最大速度:367 km/h

巡航速度:311 km/h

上昇限度:6,585 m

航続距離:1,165 km

武装 ヴィッカーズ 7.7mm 機関銃 × 2

最大搭載量:726kg(5箇所) 魚雷 × 1

爆弾、機雷、爆雷




関連タグ

イギリス軍 飛行機 攻撃機 艦載機 英国面


↓英国面に翻弄された艦上機仲間たち


フェアリー・ソードフィッシュ

フェアリー・アルバコア

フェアリー・フルマー

ホーカー・ハリケーン

皆様へ(2023.5.22掲出)

既にお気づきの方も多いと思われるが、本文の文体や内容からWikipediaのコピペである可能性が高いので、加筆修正依頼に出しています。

ある程度直しましたが、きちんと書ける詳しい方には加筆修正をお願いします。



開発経緯

1937年にイギリス航空省は単葉雷撃機を求める仕様S.24/37を出した。

6社の案から、フェアリー社とスーパーマリン社の設計案が選定されて、2機ずつ試作発注されたもので、フェアリー社の試作機は、1940年12月7日に初飛行した。

バラクーダは、それまでソードフィッシュなどの複葉雷撃機に固執していた英海軍の従来機とは一線を画す新型だった。

全金属製構造の卵型胴体に高翼配置の翼をもつ単葉機で、主脚は油圧作動の格納式。

格納機構がちょっと変わっており、車輪は主翼下に格納されたが、支柱は胴体側に格納された。

尾輪は格納式にはなっておらず、アレスター・フックより後部へ設置された。前後に座席が並ぶ三座機で、最前席は後方へスライドするキャノピー、後部の2名は側方へ開くヒンジのキャノピーであった。

機体下方の視界を得るため、ナビゲーター席には床面に窓ガラスを設けている。

主翼には、エアブレーキとしてダブル・ヤングマンフラップを備えていた。

試作機の尾翼は単尾翼でだったが、試験飛行でT字尾翼のような形状になるスタビライザーを取り付けることで、より高い安定性が得られることが確認されたので、2機目の試作機でT字尾翼になった。

当初の試作機には1260馬力のマーリン 30エンジンを搭載して初飛行したが、設計後に加えられた追加装備の重量のせいで量産型バラクーダ Mk. Iは出力不足になってしまう。

結局Mk. Iは、フェアリーとウェストランドで30機のみ製造され、試験と訓練に使われた。

本格量産型となったバラクーダ Mk. IIはより高出力な1640馬力のマーリン 32に換装して1688機が量産された。フェアリーのストックポート工場とリングウェイ工場で675機、ブラックバーン・エアクラフトで700機、ボールトンポールで300機、ウェストランド・エアクラフトで13機が製造された。Mk. IIは、パイロットから強力なフラップを高評価され、視界の良さから着艦がしやすい事が歓迎された。

Mk. IIは、翼上に八木アンテナを搭載し、メートル波長ASVレーダーも搭載した。対潜任務向けのMk. IIIは、後部胴体にASVレーダーを格納した。Mk. IIIは、フェアリーで406機、ボールトンポールで392機が生産された。

Mk. IVは製図も残っていないものの、Mk. Vではマーリンエンジンをグリフォンエンジンへ換装された。グリフォンへの換装により出力とトルクの増加で機体設計に大きな変更が加えられた。より大きな垂直尾翼になり、翼面積を増して翼端は楕円形状にされた。1944年11月16日に初飛行したが、ヨーロッパ戦線の終結までに製造されたのは37機と少なかった。バラクーダの生産数は各型合計2,607機だった。

バラクーダは、恐るべき欠陥も抱えていた。突然パイロットが意識を失い、墜落するというもので、それらはベテランのパイロットでも起きた。1945年に油圧システムの液漏れが事故の起因であると判明した。この液漏れがエーテルを含み、パイロットの顔面に噴出すると意識も機体も冥界まで墜ちた。この欠陥は通称(死の顔射)と呼ばれ、恐れられた。

低高度か中高度で作戦を行う艦上機であり、3,000メートル以下では必要もなかったことから搭乗員達は滅多に酸素マスクを着用しておらず、これが事故を誘発した。1945年5月末に海軍省から改善の要求が出された。

戦歴


バラクーダは、1943年1月10日に海軍第827飛行隊への部隊配備が運用開始である。

全部で23個の飛行隊がバラクーダを装備したが、ほとんどが北大西洋での哨戒任務に就いた。

最初の攻撃任務は、1943年7月にノルウェー沖で空母イラストリアスの第810飛行隊によって行われた。

1943年にはイタリアサレルノに上陸するアヴァランチ作戦を支援するため、地中海にも参陣した。 1944年からレーダーを装備したMk. IIIと併用され、対潜哨戒の任務にも運用された。

1943年に空軍はMk. IIを採用し、まず第567飛行隊が機種転換した。1944年には、第667飛行隊、第679飛行隊、第691飛行隊が装備した。すべて、1945年3月から7月にかけて退役した。

バラクーダは急降下爆撃機としても使われ、ドイツの戦艦ティルピッツに対する大規模な攻撃タングステン作戦で主力を担った。1944年4月3日、空母ヴィクトリアスと空母フューリアスから発進した42機のバラクーダは、1機を撃墜されたものの14発の直撃弾を与え、この攻撃でティルピッツは2か月以上の間、行動不能に陥った。

1944年4月からイラストリアスの第827飛行隊が日本軍に対する攻撃を始めた。バラクーダは、スマトラのサバン空襲(コックピット作戦)に参加した。太平洋の高温環境に影響され、バラクーダの行動半径が30%も減り、イギリス太平洋艦隊の艦隊空母はTBFへ機種転換した。1945年6月にイギリス太平洋艦隊に加わった艦隊軽空母は、それぞれバラクーダ1個飛行隊と[[コルセア]1個飛行隊を搭載しており、対日戦終結まで4個飛行隊がバラクーダを運用した。

フェアリーソードフィッシュやTBFと順次交代していったが、1950年代中期までイギリス海軍において運用された。


現存するバラクーダは、衝突したバラクーダ2機の残骸だけである。


性能緒元

乗員:3名

全長:12.1 m

全幅:15.0 m

全高:4.6 m

翼面積:37.62 m²

空虚重量:4,445 kg

最大離陸重量:6,386 kg

エンジン:ロールス・ロイス マーリン32 液冷12気筒 1,640 hp

最大速度:367 km/h

巡航速度:311 km/h

上昇限度:6,585 m

航続距離:1,165 km

武装 ヴィッカーズ 7.7mm 機関銃 × 2

最大搭載量:726kg(5箇所) 魚雷 × 1

爆弾、機雷、爆雷




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