概要
ゼネラル・ダイナミクス社(アメリカ)の開発した戦闘爆撃機。
開発途中から空軍と海軍の共同開発となるが、海軍の要求は満たせなかった反面、空軍の要求には存分に応えていた。
ペットネームが与えられなかった戦闘機だったが、退役式典の際に「アードバーグ」(ツチブタの意)の名を頂戴した。
「センチュリーシリーズ」としては最後の機体である。
試作に終わったF-109から番号が飛んでいるが、これは空軍に採用されたF-4が当初、F-110「スペクター」と呼ばれていたため。
マクナマラの野望
1958年、アメリカ空軍はF-105の後継となる戦闘爆撃機の開発計画を開始した。
当初は『マッハ2で飛行できるVTOL戦闘爆撃機』を要求していたが、技術的な困難もあって『マッハ2.5で飛行する複座戦闘爆撃機』に変更した。
同じ頃、アメリカ海軍でも艦隊防空の外縁を務める防空戦闘機の開発計画を開始している。
これは複座で強力なレーダーを搭載し、長距離対空ミサイルで爆撃機の来襲に備えるものである。
ロバート・マクナマラ長官はこの二つを統合し、開発予算を削減しようとした。
これを受けて空軍と海軍は何度も協議を重ね、共通化できる部分についてまとめた。
結果、共通する(できる)部分は
- 複座機(操縦士とオペレーター)
- 可変翼
- アフターバーナー付きターボファンエンジンの双発
だけとなり、『計画の統合は不可能』と結論づけた。
(逆に言えば、それ以外は何一つ共通しない)
マクナマラのゴリ押し
ところがマクナマラ長官は計画をゴリ押し。
こうして、空軍と海軍はいやいやながらも付き合う破目になったのである。国内の各メーカーに要求仕様を提示し、ほどなく6つの案がもたらされた。この中からボーイングとゼネラルダイナミクス(以下GD)の2案を取り上げたが、それでも即採用にはならなかった。実に4度もの再設計が行われ、GD案が採用となったのである。
更に受難は続いた。
二つの要求仕様を同時に満たすため、重量は設定制限を大幅に超過していたのだ。このあたりで海軍は計画に『見切り』をつけ始める。GD側による度重なる軽量化にもかかわらず、1968年に海軍は計画から離脱した。ここからは空軍の戦闘爆撃機として開発が続けられる。
なお、海軍はのちに独自の開発計画を開始。
この計画がF-14として結実するのである。
サンダーチーフの後継者
このF-111は戦闘爆撃機として非常に高い性能を備えている。しかし、戦闘機としてはおおよそ不適格な機体であり、実戦ではもっぱら攻撃機や爆撃機として用いられた。
その低空侵攻能力と爆弾等の搭載量は、当時としては極めて優秀だったのだ。
F-111の問題は『空戦ができない』という点であり、これは後継となるF-15Eで解決をみる事になる。しかし元が運動性を追求した純然たる戦闘機であったF-15Eは搭載量や低空飛行性能ではF-111に及ばず、『(戦闘爆撃機としては)F-15Eよりも優秀』という皮肉な評価を得ている。
湾岸戦争では『バンカーバスターを使えるのはF-111と(当時配備されて間もない)F-15Eだけ』、
「破壊したい物がある?F-111に任せろ」やら、
「F-16やF/A-18を飛ばすな。砂埃が舞ってF-111の邪魔になる」
と呼ばれるぐらい信頼されていた。この搭載量のおかげで、パナマ侵攻やリビア空爆(1986年のエルドラド・キャニオン作戦)でも影の主役として活躍することとなった。低空侵攻能力をかわれて戦略空軍にも採用され、こちらはFB-111Aとなったのである。
バンカーバスターとの関係
実はバンカーバスターの投下テストもF-111によるものである。
最初のテストで投下されたバンカーバスターは、砂漠のコンクリート質に深く突き刺さった。その深さは地表からおよそ30mと見られ、回収は困難としてそのまま放置された。また、実戦での使用もF-111が最初である。
その特徴
モジュール式脱出装置
F-111には当時最新の試みがなされている。F-14に先んじて採用された可変翼はもちろん、とくに珍しいのは緊急時にコクピットごと機体から離脱できる「モジュール式脱出装置」である。
この脱出装置の特徴としては、機の破片・風圧による負傷を防ぐことができるというものがある。さらにコクピットモジュールは救命ボートがわりにも出来、生存率を高める役に立つと考えられた。
の、弱点
やはりモジュール式脱出装置には弱点もあった。まあ、実用化されてから判ったことなのだが。
第一に、コクピットに装備を追加すると内部の重量バランスを整えるため、射出実験を繰り返さなくてはならないという点である。モジュラー式はコクピット全体が脱出装置となるので、いざ脱出となった時に(機体からうまく離れない等)不都合を生じないよう、細心の注意を払う必要があったのだ。
第二としては、このモジュラー式脱出装置は着地の衝撃が大きいという事も無視できなかった。乗員が直接パラシュートで脱出したのなら、着地と同時に転がるなどして衝撃を逃がすこともできるのだが、このモジュラー式装置では衝撃に備えて身構えるくらいしかできる事は無かった。その衝撃は『イスに座ったまま二階から飛び降りたくらいの衝撃』だったという。
また着水の際も、コクピットモジュールが損傷しているとそのまま搭乗員二人の棺桶となってしまう。
長所こそあったものの、この二つの短所は解決しがたいものであり、より発展した射出座席のほうが都合がいいという事になって廃れたのだった。
可変翼(VG翼)
かつては可変後退翼とも呼ばれていたが、「斜め翼」等のように、必ずしも後退角だけが変わる訳でもないので、現在ではこう呼ばれる。
実用機で採用したのはF-111が初めてであった。
1960年代に超音速性能とSTOL性能を両立させる為に考え出された翼形なのだが、可変翼を採用することにより建造工数や価格がはね上がってしまい、しかも左右完璧に同調して動かすためには綿密で丁寧な整備を欠かす訳にはいかない。
また、配備されて間もない1969年には急降下爆撃の訓練中主翼が外れるという事故が発生し、徹底した改良を余儀なくされた。
結果F-111の安全性は当時としては高いものとなったが、可変翼自体は製作にも維持整備にも費用が嵩んでしまい、後にコンピュータ制御を取り入れたり、可変翼によらないSTOL性能の改善法が見出された為、10年そこそこで廃れてしまった。
アードバーグ兄弟
F-111A
TF-30エンジンを装備した最初の生産型で、最初の計画では235機生産される予定だった。途中で発注の一部がE型に振りかえられた結果、完成は158機となった。ベトナム戦争から実戦に参加し、1991年に退役。
F-111B
海軍の防空戦闘機として開発されていた型。7機が製作され、採用を目指して各種テストに供された。
(前述のとおり)海軍からは途中で見放されてしまって開発は中止される。ただし、ここでの開発データはムダではなく、後のF-14開発に生かされている。
武装はAIM-54のような長射程ミサイルを6基ほど搭載する予定だった。
当初の計画では長距離レーダーと長射程ミサイルを組み合わせ、艦隊外周で爆撃機の相手をする予定だったので、戦闘機との格闘戦はまったく想定されていなかった。
F-111C
オーストラリアに輸出された、A型仕様を元にした型。
対艦攻撃を中心に考えられ、2010年まで活用された。後継はF/A-18F。
F-111D
F-111Aの欠点だったエアインテイクの効率を改善し、エンジンそのものもチューンアップ。さらにアビオニクスを最新のものに更新した型。だがこのアビオニクスが問題続きで、結局完成はE型よりも遅れてしまう。
315機生産の予定だったが、問題解決のために開発期間が長くなってしまい、従って価格も上昇してしまった。調達数は結局96機に縮小。
F-111E
F-111Dの簡易暫定型で、エアインテイクをD型同様の改良型にした他はA型とほぼ同じ。生産数94機。
F-111F
最終発展型。D型よりいっそう発展しており、もちろん最高性能。
106機生産され、湾岸戦争にも参加している。
FB-111A
戦略空軍は高い低空爆撃能力に目をつけ、B-52等に代わる爆撃機の後継として採用しようとした型。マクナマラ長官はこれ幸いとばかりに大量導入させる気だったようだが、B-1がその役目を負うことになったので「つなぎ」として採用されるに留まった。その後紆余曲折あり、B/C/H型も提案されたのだが、結局はB-1の方が有効とされてしまった。
なおその肝心のB-52は上述の後継機候補達より後に退役する模様…アレ?
武装は核爆弾各種のほか、AGM-69A「SRAM」核短距離ミサイル(といっても射程は160kmもある。この場合の「短射程」とは、すなわちICBMとの比較であるため。)。
76機生産され、核軍縮条約の締結もあって1991年には戦略任務から退役。その後30機がF-111Gとして再就役している。
F-111G
FB-111から戦略巡航ミサイル搭載能力を封印した型。コクピットモジュールの装備変更が難しいのもあったのか、主に訓練に用いられた模様。1993年には全機が退役し、翌年にはうち15機がオーストラリアに売却された。
武装
主翼
戦闘機にはどこまでも頼りないが、地上の目標に対してはまさに悪夢のような威力を発揮することができる。バンカーバスターはその最強兵器であり、ほかにもアメリカの兵器庫に存在するあらゆる爆弾を、最大約11tほど搭載することができた。オーストラリア仕様では、AGM-84のような対艦ミサイルを最大で4基装備する。
これを搭載するハードポイントは片翼6ヶ所ずつ設けられ、内側の4個所ずつは主翼の後退角に合わせてパイロンが常に正面を向くようになっている。ただし、可変翼をフルに活用しようとすると中央の2つしか使用できない。
内側は後退角を最大にする前に胴体に当たってしまうため、使用時は後退角を制限しなければならない。
外側はいちおうテストでは使われた事はあるのだが、後退追従機能が無かったの不便として実戦では使われなかった。
ただし、「最終戦争」の際は外側ハードポイントにも燃料タンクを装備し、最小後退角で離陸した後、敵地に近づいたらパイロンごと投棄する、という運用も考えられていたようだ。これなら給油機との接触を減らすことが出来、さらに航続距離が伸びることにより、敵防空網の手薄な部分まで回り道する余裕を作ることができる。ちなみにこの燃料タンクはA-10でも使われているもの。
爆弾倉
この爆弾倉は海軍が要求した防空戦闘機(つまりF-111B)の長射程ミサイル用に設けられており、空軍では必要としていなかった。普段は燃料タンクのスペースで、場合によって誘導爆弾用照準レーザー照射装置やバルカン(弾数:2084発)が搭載される程度となっていた。オーストラリアではここに偵察機材を搭載した偵察型も使用されていた。
のちに戦略空軍でFB-111Aとして採用され、ようやくAGM-69Aミサイルを内装するのに使われた。
対空武装
本機は爆撃機以外の何者でもなく、戦闘機に襲われた場合はなすすべもないが、一応サイドワインダーを『お守り』がわりに搭載して出撃する。もちろん戦って勝つなど期待していないが、ミサイルを発射して相手が「守り」に回った隙をついて逃げ出す事が考えられていた。
(つまり逃げるための囮にする)
恵まれない輸出先
高価で大型な機体のおかげで輸出には苦労している。その上維持に多大な手間・費用のかかる可変翼なのだ。そういうわけで、海外での採用はオーストラリア空軍のみに終わっている。これはF-111Cと呼ばれ、E.E.キャンベラ(爆撃機)の後継として採用された。
2010年まで運用が続けられたが、高価な運用コストもあって退役している。
夜空に描くビッグトーチ
オーストラリア空軍のF-111には意外なショー実績がある。シドニーオリンピックの閉会式である。
F-111の特技として『ビッグ・トーチ』(『トーチング』『ダンプアンドバーン』等とも)という演目がある。これは燃料投棄弁をテイルパイプ(エンジン排気口)の間に配置しているため、燃料投棄中にアフターバーナーを吹かすと、投棄した燃料に火がつくのである。これは本来危険な行為であるため、普段は規制されている。
この技自体はブルーインパルスなど他国の曲技飛行隊も専用の燃料噴射弁を取り付けて行っているが、シドニーオリンピックでの演出からF-111のイメージが強い。
会場の聖火がいよいよ消えようという瞬間、
空中に突如として現れた巨大な火柱は記憶に焼き付いている人も多いだろう。
電気仕掛けのワタリガラス(レイヴン)
F-111には電子戦仕様も存在する。それがEF-111A「レイヴン」である。アメリカ海軍のEA-6Bと違い、こちらはオペレーターがわずか一人となっている分、高度な自動化が行われており、また対応できる範囲も狭まっている。
(電子妨害のみ担当する空軍と、レーダー狩りまで行う海軍との違い)
自衛用の武装はサイドワインダー2基だけで、ただでさえ相手の後方に付けること自体が怪しく、よって有効性は期待できないので、基本的には高速飛行のみで「自衛」する。重く、大きい機体ではあったが、湾岸戦争ではイラク軍のミラージュF1を「撃墜」し、公式に戦果として挙げられている。得意の低空飛行に誘い込み、地面に激突させたマニューバーキルである。
「撃墜」の基準について
同じアメリカであっても、海軍と空軍では「撃墜」の基準には違いがあり、
- 海軍:自らの「攻撃」で相手を墜落させる
- 空軍:とにかく相手を墜落させる
という風に分かれている。上記の場合、海軍式では「攻撃」していないので撃墜とは認められないが、空軍式では撃墜とみなされる。
関連タグ
参考文献
デイル・ブラウン「ロシアの核」
小説ではあるが、作者はF-111の元搭乗員(航法士)であり、この中で登場した主翼外側ハードポイントやサイドワインダーの使用法はおそらく本当に考えられていた事と思われる。