デルタ翼か、後退翼か
このSu-15は、Su-7の兄弟機「Su-9」から発展している。
設計に際しては、デルタ翼と後退翼の差が出ないように厳密に行われた。
(主翼の形状が飛行性能に及ぼす影響をみるため)
後退翼機がSu-7、デルタ翼機がSu-9とされ、それぞれ飛行試験が行われた。
飛行試験から検討された結果、
前線戦闘機としてはSu-7、
迎撃戦闘機としてはSu-9が優秀とされた。
デルタ翼なので、
翼面積が同じでも空気抵抗を少なくできる=空気抵抗が少ない=加速がいい
とされたのだ。
Su-9はMiG-21と違い、最初からレーダー装備の迎撃戦闘機として完成した。
のちにレーダーを強化して機首の形状も変更され、Su-11に発展した。
(機首が太くなり、先端も細くないようになった)
そしてSu-11はレーダーをさらに強化し、エンジンも2基装備したSu-15に発展するのである。
フラゴン、出撃す!
と言ってもSu-15の配備先は防空軍だったので、実戦は経験していない。
また輸出もされておらず、性能などの実態は『鉄のカーテン』に覆い隠されたままだった。
エンジンが2基に増えたので、推力対重量比に優れている。
これは、上昇力や速度が要求される迎撃戦闘機には必須の性能である。
自重が11t足らずなのに対し、エンジンの最大出力の合計は12tを超える。
反面燃料消費が激しくなり、燃料タンク増設のために胴体を太くする必要が生じた。
このおかげで燃料搭載は約1.5倍となり、Su-11にも劣らない航続性能を実現できた。
こうしてSu-15はスホーイ設計局の看板となり、防空軍の主力として活躍した。
戦闘機型の生産は1976年まで続けられ、その勢力は防空軍全体でも中核を占めている。
1980年代になるとさすがに旧式化が目立つようになり、役目をSu-27に譲って退役し始める。
1996年、最後のSu-15飛行隊が解散し、こうしてSu-9から24年続いた改良・発展の旅路はピリオドを打つこととなった。
前線戦闘機として
運用後期は爆弾を搭載し、空軍の前線戦闘機としても用いられた。だが、ここで迎撃戦闘機として絞った設計が裏目に出た。搭載量が少ないのである。
迎撃戦闘機なら、ミサイルを2発(のちに最大4発)搭載できるだけで良かったのだ。
それが前線戦闘機となると話は別だ。
より多くの爆弾を搭載し、支援攻撃出来なくてはならないのだ。
そういう訳で、搭載量に乏しいSu-15はごく短期間使われただけで退役した。
ちなみに、このSu-15は2回の民間機攻撃事件に関与している。
詳細はwikiの当該記事にて。
なお、大韓航空機撃墜事件の際は当初、別に出撃したMiG-23(P型)が撃墜したものと思われていた。
のちの発展
直接の関連はないが、中国で開発されたJ-8戦闘機はSu-15によく似ているといわれている。
これは
・どちらも原型機(Su-9・J-7)を双発にして能力向上を狙った
・強力なレーダーを搭載した迎撃戦闘機
である事による。
ただSu-15はともかく、J-8は現在でも不明な点が多い戦闘機なので、これからも評価が変わるかもしれない。「発育のいいMiG-21」(のようなもの)が2011年まで使われていたのも驚きである。
Ye-152「フリッパー」
1958年に開発された、MiG-21をもとにエンジンを双発として能力向上を図った高高度戦闘機。「E-152」とも。J-8Ⅰはこちらに近いだろう。飛行試験が行われ、当時の世界記録を更新する性能を披露したが不採用となった。
エンジンを増設したYe-152よりも、完全新設計のMiG-23の方が将来性があると思われたのかもしれない。
J-8Ⅱ「フィンバックB」
のちにJ-8も発展し、Su-15のような外観のJ-8Ⅱが開発された。(初飛行:1984年)
しかし天安門事件の影響で海外の共同開発先(米・ウェスティングハウス社)が離れてしまい、貧弱な国産レーダーで間に合わせるハメになってしまう。
のちにレーダーをロシア製に変更し、現在も生産が続けられている。
元々が第3世代ジェット戦闘機(原型を考えると第2世代ジェット戦闘機の方が近いだろうか)に毛を生やしたような機なので、性格としては「格闘戦には向かない一撃離脱専用機」に近いと思われる。
迎撃戦闘機としては現在でも油断ならない相手かもしれない。