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サン=テグジュペリ

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さんてぐじゅぺり

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、フランスの小説家、雑誌記者、飛行士。空を飛ぶことに異常なまでの情熱を捧げたことで知られる。

生涯

1900年6月29日に、フランスリヨンに没落貴族の長男として生まれる。幼少期から読書飛行機が好きであり、12才の夏に初めて飛行機に乗って以来、パイロットを志すようになる。

21才に初めての単独飛行を行う。その後フランス軍のパイロットになるが、1923年5月1日に重大事故を起こして除隊させられる。

1924年に郵便飛行士として航空会社に雇用され、サハラ砂漠を縦断しながら、北アフリカ、フランス、スペインへと郵便を配達していた。

参照 参照

1926年、文芸雑誌に短編小説を発表し、その3年後に「南方郵便機」でデビュー。

1931年に発表した「夜間飛行」が1933年にアメリカクラーク・ゲーブル主演で映画化され、この頃よりサン=テグジュペリの国際的な知名度が高まる。

以来、飛行と執筆活動に勤しむものの(1935年には機体トラブルでサハラ砂漠に不時着、3日かけて徒歩でのエジプトのカイロへの生還を果たし、この体験が後の『星の王子さま』に反映されている)、第二次世界大戦の最中の1940年、ナチスがフランスに軍事侵攻を始めたため、命からがらニューヨークへ亡命した。その過程で親友が敵軍の砲火によって撃墜されたニュースを受け取る。この期間は、祖国と友への思いや孤立感から、耐え難い苦悶の日々だったという。

亡命先で作品をいくつか出版した後、1943年にフランス軍(自由フランス軍)に戻り、北アフリカのアルジェで解放戦争に尽力した。

1944年7月31日、単独で偵察飛行に飛び出したまま地中海にて行方不明となった。20世紀末になって海底に沈んだ乗機が確定され戦死が確実視されている。ドイツ軍に撃墜された、事故だった、とも言われるが詳細は不明である。享年44才。

子供はおらず、妻のコンスエロとの複雑な愛情関係は『星の王子さま』に登場する薔薇に反映されていると解釈される事が多い。

公式サイトに掲載された年表

飛行家として

物心ついた時から、飛行への並々ならぬ憧れを抱いていたことで有名である。僅か8才でエンジンや機械に興味を持ち、空飛ぶ電動自転車の設計図を作成するなど、早くもある種の才能を開花させていた。

公私に渡り、飛行機への情熱を絶やさず、常日頃から「ぼくの唯一の慰めは操縦することだ」と語っていた。

その愛の強さは、後の妻コンスエロを飛行機の助手席に乗せて曲芸飛行を披露し、恐怖におののく彼女に強引にプロポーズを迫ったという噂が立つ程だった。

1923年に初めての大事故を起こして以来、幾度も命を危険に晒してきたが、その都度九死に一生を得て生還している。しかし、度重なる飛行機事故が祟って体中が古傷だらけだったため、晩年は高空飛行による筋肉や骨組への負担が尋常ではなく、苦痛は相当なものだったという。

それでもなお、最期まで飛行士としての生き方に固執してきたことから、正に「飛行に生き、飛行に死す」生涯を貫いたといえる。

2008年、サン=テグジュペリを撃墜したというドイツ兵の証言が挙がったが、一方で不明瞭な点も多く散見されるため、その最期は現在でも謎に包まれている。参照

死因をめぐっては戦死説や事故死説などが唱えられてきたが、彼が死の直前に所属していた中隊の指揮官に対し「自分は出撃の途中で消え去るだろうが、それはのぞましいことであり、その邪魔をすべきではない」と放った言葉から、自殺説が囁かれることもあった。この際「星の王子さま」を始めとする草稿の入ったトランクを預け、自身の死後に指定された女友達に渡してくれるよう依頼している。

しかし、伝記作家カーティス・ケイトは自著「空を耕すひと」において自殺説を否定し、こう述べている。

「世の中には、死の接近を予感できる人間や、たとえばキーツのように、おのれの生命を絶とうとする意味においてではなく、<安らかな死と半ば恋に落ちる>ことのできる人間がいるものである。自殺とは普通<下降>であるが、サン=テグジュペリの死は<上昇>であった。それは、アンリ・ボルドーがその素晴らしい追悼文に書いているように、<上昇的な死、真の飛び立ち>だったのである」

余談だが、サン=テグジュペリはある日占い師から「…40才をすぎたら、飛行機にお乗りのときは用心なさいませ」と警告を受けたことがあったらしい。この話の真偽は定かではないが、皮肉にもサン=テグジュペリは実際に40代半ばにして、飛行機に乗ってこの世を去る結果となってしまった(これらの噂、情報の一部は1992年1月12日に放映され、同年11月20日に「夢と遊びの設計者たち」として書籍化された「関口宏の知ってるつもり!?」より引用)。

短い生涯とキャリア故に寡作であったが、その作品群は手塚治虫宮崎駿といった日本のクリエイターにも大きな影響を与えた。特に宮崎はサン=テグジュペリの熱狂的な愛読者であり、後のスタジオジブリ作品を始めとするあらゆる作品において、彼の生き様や代表作から非常に強い影響を受けてきたことで知られている。参照

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  • 夜間飛行

    ホント今さらなストパン。 タイトルからおわかりいただけると思いますが、あの人を出します。 えぇ、ひこうきの王子様。 好きな人ごめんなさい。この人こんなこと言わないっ!ってなことを平気で言います。 時系列は1944年の夏より前、ということにしています。
  • 名の明かされないウィッチへの手紙

    クリスマスにサーニャのもとに届いた、思わぬ人からのプレゼント。 という話になっております。 なんとかクリスマス期間中に間に合いました。こちら(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=4929067)の続きとなっています。 蛇足とは思いましたが、やはり生きていてほしかったので。
  • サン=テグジュペリ氏の小惑星

    140字掌編。「星の王子さま」は、いつも読みかけては挫折してしまいます。
  • とある王子様/常識人の星

    星の王子さまはかつて私の全てでした。 そして私も一本の赤いバラに出逢いました。 それを捜して夜空を見上げるのは不幸ではなかったです。幸福ではなくとも。 これは一番星に手を伸ばそうとした私が、愛する二人の星を書くのを辞めた理由です。 これを以て、ひとつの物語を締めさせて頂きます。 今まで読んで頂いた方は、ありがとうございました。またいつか、お会いしましょう。

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