プロフィール
生年月日 | 1988年3月11日 |
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性別 | 牡 |
父 | ブレイヴェストローマン |
母 | ロッチテスコ |
母の父 | テスコボーイ |
通算成績 | 6戦3勝 |
父ブレイヴェストローマン
1974年~75年にかけてアメリカで出走、サラナックスS(G2)を制している。引退後はアメリカで種牡馬入りし、後に日本に輸入。ミルジョージとともに初期のネヴァーベンド系種牡馬として多くの活躍馬を送り出した。1984年のオークスを制したトウカイローマン、1987年の二冠牝馬マックスビューティ、1994年の桜花賞馬オグリローマンがJRAのG1を制している。なお、牝馬に活躍馬が多いのはアメリカ時代と同様で現地での代表産駒はカナディアンオークスを制したファーストサマーデイである。牡馬部門では芝・ダートの二刀流で鳴らしたフジノマッケンオー、1995年の菊花賞でマヤノトップガンの2着に入ったトウカイパレスの父ランドヒリュウ、1993年JRA賞最優秀ダート馬に輝いたメイショウホムラなどである。
牝系はクレイグダーロッチ系
祖母スターロッチの一族からはサクラユタカオー、サクラシンゲキ、サクラスターオーなどのサクラ軍団の一流馬やマチカネタンホイザ、皐月賞馬ハードバージとマチカネイワシミズの兄弟、日本ダービー馬ウイニングチケットときさらぎ賞馬ロイヤルタッチ兄弟といった、その時代を彩った名馬たちを多数輩出している。
戦績
(馬齢表記は旧年齢表記)
3歳時(1戦1勝)
1990年8月12日に函館競馬場で行われた芝1000mの新馬戦でデビュー。一番人気は後に船橋の川島正行厩舎に移籍後東京盃を連覇したサクラハイスピード、2番人気は同年の京成杯3歳S(現京王杯2歳S)でビッグファイトの2着に入ったレガシーオブゼルダ…カリスタグローリは3番人気だったがこれを快勝。しかしそのまま休養に入る。
4歳時(5戦2勝)
半年の休養後に出走した桜草特別に勝ち、初重賞出走となったスプリングSは9着に敗れた。この敗戦をきっかけに出走レースを短距離戦に絞るようになり、次走のクリスタルC(現在は廃止)ではユウキトップランを1馬身3/4退け待望の初重賞制覇を飾ったが同時にこれが最後の勝利となった。NZT4歳Sではヴァイスシーダーの5着に敗れると再度休養。半年後に出走したスプリンターズSはダイイチルビーの前に9着と完敗。現役生活にピリオドを打った。脚元がもう少しだけ丈夫であれば古馬になってから短距離路線での活躍が見込まれただけにあまりにも惜しすぎる現役時代であった。
引退後
厳しい船出
種牡馬入りしたものの初年度産駒数は僅かに6頭。そのうち血統登録された馬に至っては4頭と極めて厳しいスタートとなった。海外のビッグレースを制し、鳴り物入りで輸入された種牡馬や国内GⅠ勝ちを飾って種牡馬となった馬に対し、G3の短距離重賞を1勝しただけのカリスタグローリは新種牡馬としても注目を集めるような存在ではなかった。しかし…
初年度産駒の大躍進
1997年7月19日に新潟競馬場で開催された芝1000mの新馬戦において、ハロードーリーが新馬勝ちを収め産駒初出走初勝利という快挙を成し遂げた。同じくJRAで新馬勝ちを収めたモールドオプトレーは公営北関東に移籍後に2001年の宇都宮記念を制覇。初年度産駒2頭の新馬勝ちの影響は大きく、種牡馬として十分やっていけるという機運が高まった。
その後、2010年に供用停止となるまでに送り出した主な産駒は下表のとおりである。GⅠにこそ手が届かなかったが、2歳戦に強い上に勝ち上がり率も高く、芝・ダートを問わず適距離であれば確実に走る仔を送り出した。
馬名 | 性別 | 主な成績 |
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サチノスイーティー | 牝 | 2006年アイビスサマーダッシュ勝利 |
トーセンオリオン | 牡 | 2004年オーシャンS(当時OP特別)2着 |
ネイルアート | 牝 | 2002年東京2歳優駿牝馬2着(大井) |
パワフルダンディー | 牡 | 2009年アフター5スター賞2着(大井) |
モールドオプトレー | 牡→セン馬 | 2001年宇都宮記念勝利(宇都宮) |
シンメイジョアー | 牝 | 2007年東海クイーンカップ勝利(名古屋) |
余談
- 産駒初出走初勝利を挙げたハロードーリーは2走目のダリア賞で5着となった後、調教中に予後不良に見舞われた。通算成績2戦1勝。馬主は新派の大物女優水谷八重子氏(2代目)である。
- 競馬シミュレーションゲームの草分けでもあるダービースタリオンシリーズには一族のマチカネイワシミズが初代無料種牡馬として登場するが、後にカリスタグローリ自身も3代目無料種牡馬として登場している。