ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

スターロッチ

すたーろっち

1960年クラシック世代の日本の競走馬であり、自身を祖とする一大牝系を築いた繁殖牝馬。1960年最優秀4歳牝馬。有馬記念を3歳(旧4歳)で制した史上唯一の牝馬。馬名登録は「スターロツチ」。
目次 [非表示]

概要編集

60世代の日本の競走馬繁殖牝馬

当時のルール上、馬名登録は「スターロチ」で、読みは「スターロッチ」。

ハロウェー、母コロナ(母父:月友)。

通算戦績:25戦9勝。


経歴編集

デビュー前編集

1957年4月16日、藤原牧場(北海道新ひだか町)に生まれる。

1958年、買い手がつかず、8月のセリ市で日本中央競馬会により最低価格(150万円)で買い取られ、日本中央競馬会宇都宮育成場で育成される。抽籤により藤井金次郎が馬主となる(抽籤馬)。

現役編集

1959年、東京競馬場松山吉三郎厩舎に入る。11月7日の3歳未勝利戦でデビュー。12月26日の3歳未勝利戦で勝ち上がる。


1960年は桜花賞3着の後に優駿牝馬を9番人気で勝利。抽籤馬による八大競走制覇はジツホマレに次ぐ史上2頭目であり、テン乗りの高松三太騎手にとっても初の八大競走制覇だった。


その後、クイーンステークスで斤量60kgを背負いながら2着、有馬記念では再び高松を鞍上に9番人気の低評価を覆し、ガーネツトに次ぐ史上2頭目、3歳では史上初の牝馬による有馬記念制覇を達成。この快挙が評価され、啓衆社賞最優秀4歳牝馬を受賞した。


1961年は暫く精彩を欠いたが、9月の京王杯オータムハンデキャップで古馬重賞制覇。しかし次走の毎日王冠で右前脚を脱臼し競走中止。重度の故障であり、予後不良は免れたもののそのまま現役を退いた。


現在(2023年9月)に至るまで、スターロツチ以外に3歳で有馬記念を制した牝馬は現れていない。

引退後編集

怪我からの回復後、故郷の藤原牧場で繁殖牝馬となる。

自身の子に活躍馬は出なかったが孫世代に活躍馬が多く産まれ、一大牝系を築いた。


晩年、玄孫の一頭であるサクラスターオーが母親を早くに喪ったため、スターロツチが乳母を務めた。スターオーがデビューに向けて調教生活に入ると、立派に育った玄孫の姿に安心したのか、1986年8月7日に老衰で死去(30歳)。


スターロツチ牝系編集

【ウマ娘】御園藤原家の一族

重賞馬等 【】は牝馬

勝鞍の強調はGⅠ(グレード制導入前は八大競走

直仔 【ロッチ】編集


直仔 【ネバーロッチ】編集

直仔 【ロッチテスコ】編集


直孫 【アンジェリカ】編集




直孫 【クリプシー】編集




関連タグ編集

競走馬 JRA 抽籤馬

関連記事

親記事

60世代 ろくじゅうせだい

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました