概要
当時のルール上、馬名登録は「スターロツチ」で、読みは「スターロッチ」。
通算戦績:25戦9勝。
経歴
デビュー前
1957年4月16日、藤原牧場(北海道新ひだか町)に生まれる。
1958年、買い手がつかず、8月のセリ市で日本中央競馬会により最低価格(150万円)で買い取られ、日本中央競馬会宇都宮育成場で育成される。抽籤により藤井金次郎が馬主となる(抽籤馬)。
現役
1959年、東京競馬場の松山吉三郎厩舎に入る。11月7日の3歳未勝利戦でデビュー。12月26日の3歳未勝利戦で勝ち上がる。
1960年は桜花賞3着の後に優駿牝馬を9番人気で勝利。抽籤馬による八大競走制覇はジツホマレに次ぐ史上2頭目であり、テン乗りの高松三太騎手にとっても初の八大競走制覇だった。
その後、クイーンステークスで斤量60kgを背負いながら2着、有馬記念では再び高松を鞍上に9番人気の低評価を覆し、ガーネツトに次ぐ史上2頭目、3歳では史上初の牝馬による有馬記念制覇を達成。この快挙が評価され、啓衆社賞最優秀4歳牝馬を受賞した。
1961年は暫く精彩を欠いたが、9月の京王杯オータムハンデキャップで古馬重賞制覇。しかし次走の毎日王冠で右前脚を脱臼し競走中止。重度の故障であり、予後不良は免れたもののそのまま現役を退いた。
現在(2023年9月)に至るまで、スターロツチ以外に3歳で有馬記念を制した牝馬は現れていない。
引退後
怪我からの回復後、故郷の藤原牧場で繁殖牝馬となる。
自身の子に活躍馬は出なかったが孫世代に活躍馬が多く産まれ、一大牝系を築いた。
晩年、玄孫の一頭であるサクラスターオーが母親を早くに喪ったため、スターロツチが乳母を務めた。スターオーがデビューに向けて調教生活に入ると、立派に育った玄孫の姿に安心したのか、1986年8月7日に老衰で死去(30歳)。
スターロツチ牝系
重賞馬等 【】は牝馬
直仔 【ロッチ】
直仔 【ネバーロッチ】
直仔 【ロッチテスコ】
- 孫 【パワフルレディ】
直孫 【アンジェリカ】
直孫 【クリプシー】
- 仔 【コニーストン】
- 孫 レオマイスター(08年ラジオNIKKEI賞)
- 孫 メイショウラムセス(02年富士S)