概要
サクラユタカオーは1982年4月28日生まれ、父テスコボーイ母アンジェリカ。通算12戦6勝。サクラシンゲキの半弟。
足元が弱く3度も故障し長期休養しているが、3度のレコード勝ちがあるスピード馬。管理した境勝太郎調教師も、晩年「私が手掛けた馬で最強はサクラローレルだが、2000mの良馬場限定であれば、ユタカオーかもしれない。」と述べていた。
産まれた時から馬体の良さは評価されていたが、栗毛であることは不安視された。テスコボーイの産駒には栗毛の活躍馬がいなかったためであり、当時の競馬界では「テスコボーイの栗毛は走らない」というジンクスが公然と囁かれていた。誕生後の種付け台帳には「栗毛イカンともし難し」(栗毛なのはどうしようもない)と書き残されている。
1984年デビュー新馬戦レコードタイムで圧勝、以後1985年共同通信杯4歳ステークスまで3連勝するが故障し半年ほど休養、菊花賞4着。
1986年またも故障し3か月ほど休養、大阪杯で重賞2勝、春の天皇賞14着。三度故障し半年ほど休養、毎日王冠と秋の天皇賞を共にレコードタイムで連勝、ジャパンカップ6着、有馬記念6着後に引退。
種牡馬としてサクラバクシンオー・ユキノビジン・サクラキャンドル・エアジハード・ウメノファイバーなど輩出。サクラバクシンオーとエアジハードは共にGⅠ馬を輩出しているので、サクラユタカオーは親子3代GⅠ制覇を2組のラインで達成した事になる。
サクラユタカオーの父のテスコボーイもクイーンアンステークス(GⅠ)に勝っている。
父の美しいプロポーションを受け継いだ仔が多く、馬産地の人々は容姿を見ただけで「ユタカオーの子だ」と分かったという。
2000年、受精率が低下し種牡馬を引退。新ひだか町の所有馬となり、ライディングヒルズ静内で余生を送る。
2010年11月23日、老衰により死去(28歳)。