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マルブツセカイオー

まるぶつせかいおー

マルブツセカイオーは元競走馬。元は中央競馬に所属していたが、のちに公営の東海競馬へと移籍し、大活躍を見せる。

概要編集

1990年3月22日生まれ、父サウスアトランティックエイプリルブライド。通算52戦20勝。

叔父にウイニングチケットロイヤルタッチがいる良血馬(1990年生まれなので、ウイニングチケットは叔父であるが同期である)。


1992年に中央競馬からデビューするも、中央では1勝しか挙げられず、苦戦が続いた。


1993年6月に地方の名古屋へ移籍。すると次々と勝利を得ていき、1994年8月までに9勝。


1994年11月東海菊花賞を制覇。全日本サラブレッドカップではダービーグランプリを勝ち、のちに宝塚記念にも出走することになるトシミノポルンガも破って優勝。


1995年に中央地方交流元年を迎えると、東海地区を飛び出し全国のレースへと顔を出すようになる。中央競馬にも参戦し、芝の日経賞や京都大賞典にも出走した。また佐賀記念帝王賞など、中央馬も相手となる地方競馬の重賞へと顔を出すが、他地区では苦戦が続いた。一方で地元では無敵の強さを誇り、東海菊花賞では東海ダービー馬ライフアサヒを破って連覇。中央競馬との交流戦であるオグリキャップ記念でも、この年東京大賞典を勝つアドマイヤボサツを破って優勝し、地元に優勝カップをもたらす。


1996年も現役を続行。白銀争覇では桜花賞1番人気に推された笠松競馬ライデンリーダーを破って優勝。東海桜花賞でライフアサヒを破って優勝。

一方で中央競馬との交流レースでは、名古屋大賞典でキョウトシチーの4着、帝王賞はホクトベガから大きく離された4着に終わり、さらに東海菊花賞はホウエイコスモスのハナ差2着に終わり3連覇を逃す。


東海地区を離れると苦戦が続いていたものの、引退レースとなった東京大賞典では3コーナーで先頭に立つと懸命の粘りを見せ、中央競馬のキョウトシチーと大井競馬所属のコンサートボーイとの3頭競り合いの末に僅差の3着に好走。アドマイヤボサツや東京ダービー馬カネショウゴールド、セントリック、金沢競馬の名馬ハヤテサカエオーに先着を果たす。他地区でのレースでも、そして中央や南関東競馬の実力馬が相手でも引けを取らないことを示した。


地方競馬時代の主戦騎手は戸部尚実、宇都秀樹(ともに現在は調教師)。


引退後は種牡馬となり、産駒には地方で9連勝したワールドサンボーイなどがいる。

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