概要
地方競馬と中央競馬の「交流元年」となった1995年、地方在籍のまま中央の重賞・報知杯4歳牝馬特別を制した。
主な勝ち鞍は、報知杯4歳牝馬特別、サラ・プリンセス特別、ゴールドウィング賞、ジュニアグランプリなど。
プロフィール
性別 | 牝 |
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毛色 | 鹿毛 |
父 | ワカオライデン |
母 | ヒカリリーダー(母父:ネプテューヌス) |
生産者 | ヒカル牧場(新冠町) |
馬主 | 水野俊一 → 水野恵吉 |
調教師 | 荒川友司(笠松競馬場) |
生涯成績 | 24戦13勝(地方:17戦12勝、中央:7戦1勝) |
略歴
1992年
5月25日、北海道新冠町のヒカル牧場に誕生。
父・ワカオライデンは中央と地方で活躍し、種牡馬としては地方競馬と繋がりのある生産者に人気だった。母・ヒカリリーダーは中央で9戦0勝、地方で40戦8勝の成績を残し、ヒカル牧場に戻って繁殖牝馬となっていた。
かつてワカオライデンを見出した荒川友司調教師が管理を引き受け、飲食店を経営する水野俊一の所有馬となる。
貧弱な馬体で、あまり期待されていなかった。
1994年
能力試験競走で2着に入り、思ったより走ると感じた荒川調教師は笠松のトップジョッキーだった安藤勝己に騎乗を依頼した。
6月7日、笠松競馬場の新馬戦(ダート800m)でデビューし1着。その後、笠松で5連勝。
9月28日、名古屋競馬場の中京盃に出走し1着。重賞初勝利となる。荒川調教師は翌年の中央競馬クラシック競走への登録を申請した。
11月6日、笠松競馬場のサラ・プリンセス特別に出走し1着。
12月7日、名古屋競馬場のゴールドウイング賞に出走し1着。
12月29日、笠松競馬場のジュニアグランプリに出走し1着。
1995年
この年は「開放元年」と呼ばれ、多くの中央地方指定交流競走が設けられた。
2月20日、笠松競馬場のうぐいす特別に出走し1着。
3月19日、中央競馬の重賞・4歳牝馬特別(GⅡ)に出走。初めての芝だったが最終直線で強烈な末脚を発揮し1着。地方競馬所属馬として初の中央重賞勝利を飾り、デビューから11連勝となった。
4月9日、桜花賞(GⅠ)に1番人気で出走し、ワンダーパヒュームの4着に敗れた。
5月21日、優駿牝馬(GⅠ)に1番人気で出走し、ダンスパートナーの13着に敗れた。秋競馬へ向け休養に入る。
9月27日、名古屋競馬場の東海チャンピオンシップに出走し1着。
10月22日、ローズステークス(GⅡ)に出走しサイレントハピネスの3着に敗れた。
11月12日、エリザベス女王杯(GⅠ)に出走しサクラキャンドルの13着に敗れた。中央競馬の牝馬三冠全てに出走した唯一の地方競馬所属馬となった。
1996年
中央競馬での活躍を評価され、1995年度のNARグランプリ年度代表馬に選ばれた。
1月15日、平安ステークス(GⅢ)に出走しアドマイヤボサツの8着に敗れた。
2月12日、笠松競馬場の白銀争覇に出走しマルブツセカイオーの3着に敗れた。地方競馬で初の敗北を喫する。
4月28日、シルクロードステークス(GⅢ)に出走しフラワーパークの6着に敗れた。
8月31日、笠松競馬場の高原特別に出走し1着。
12月11日、名古屋競馬場の愛知県畜産特別に出走しレッドアゲインの8着に敗れた。
1997年
1月14日、笠松競馬場の新春短距離特別に出走しオーミビクトリーの2着に敗れた。
2月25日、笠松競馬場のアメジスト特別に出走しハヤノワカムシャの4着に敗れた。
3月11日、笠松競馬場の中央競馬騎手招待に出走しマサミネオーの5着に敗れた。引退が決まる。その功績を称え、笠松競馬場に重賞競走・ライデンリーダー記念が創設された。
1998年
ワカオライデンを生産した吉田牧場(早来町)で繁殖牝馬となったが、これといった成績はあげられなかった。
2009年
繁殖牝馬を引退。吉田牧場で功労馬として繋養された。
2014年
4月2日、肺炎のため死亡した(22歳)。
余談
安藤勝己は笠松のトップジョッキーだったが、当時は勝つ事に飽き、引退し調教師になろうと考えていた。しかし、ライデンリーダーに騎乗して中央競馬で厳しいマークにあって発奮し、2003年に地方競馬出身者として初めて中央競馬の騎手免許を取得し移籍した。