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BNW

7

びーえぬだぶりゅ

競走馬のビワハヤヒデ(B)・ナリタタイシン(N)・ウイニングチケット(W)の3頭を指す言葉。クラシック三冠競走で同世代のライバルとして火花を散らした。pixivでは『ウマ娘プリティーダービー』に登場する同3頭をモチーフとした擬人化キャラクターのトリオタグとしての使用が多い。

曖昧さ回避

  1. 1990年に生まれ、1993年のクラシック三冠競走でライバルとして争った3頭の競走馬。いわゆる93世代の一角。本項目で扱う。
  2. 競走馬をテーマにした擬人化メディアミックス作品『ウマ娘プリティーダービー』における、1.の3頭を中心としたOVA作品については、BNWの誓いへ。
  3. 2.の『ウマ娘プリティーダービー』における3頭を示すトリオタグ。pixivのタグとしては最もこの用法が多い。(→BNW(ウマ娘)
  4. Black N White(Black and White のスラング表現)の略。すなわち白黒イラストに付されるタグで、英語圏ユーザーに用いられる。

もしかして⇢BMW

3頭の概要

※この記事では旧馬齢表記(現在の表記よりも+1歳)を用いる。

父:シャルード、母:パシフィカス、母父:ノーザンダンサー

主要勝鞍:菊花賞(1993)、天皇賞・春(1994)、宝塚記念(1994)、神戸新聞杯(1993)、京都記念(1994)

母パシフィカスが妊娠した状態で輸入され、日本で誕生した(いわゆる「持込馬」)。菊花賞・宝塚記念のレコード勝ちなど、特に中長距離で強さを発揮したステイヤー。1歳下の半弟に三冠馬ナリタブライアンがいる。1993年年度代表馬・最優秀4歳牡馬、1994年最優秀5歳以上牡馬。


父:リヴリア、母:タイシンリリイ、母父:ラディガ

主要勝鞍:皐月賞(1993)、目黒記念(1994)

父リヴリアはのちに種牡馬として優秀な成績を残す馬だが、タイシンはその初年度産駒であり、まだ評価は定まっていなかった。レース終盤の追込を得意とし、皐月賞を勝ったことで世代3強の一角に名乗りを挙げる。しかしその後は、肺出血・骨折・屈腱炎など、度重なる故障に泣かされた。


父:トニービン、母:パワフルレディ、母父:マルゼンスキー

主要勝鞍:日本ダービー(1993)、弥生賞(1993)、京都新聞杯(1993)

1994年に日本リーディングサイアーを獲得するトニービンの初年度産駒。母パワフルレディは1960年のオークス有馬記念馬スターロツチの牝系、母父はスーパーカーと評された快速馬マルゼンスキー。柴田政人騎手に19回目の挑戦にして念願の日本ダービー制覇をもたらした。


対決の歴史

1992年(3歳)

デビューの1992年、3頭の中で最も早く注目を集めたのはビワハヤヒデだった。

新馬戦を10馬身差以上の大差勝ちすると、初重賞挑戦となったデイリー杯3歳S(GⅡ)も軽々と勝利。芦毛の馬体も手伝って、早くも「オグリキャップの再来」と書き立てられた(当時、大ブームを巻き起こしたオグリ人気や、次いでメジロマックイーンの大活躍により、芦毛馬は主人公のように見られていた)。当時の3歳ナンバーワン決定戦朝日杯3歳ステークス(現:朝日杯フューチュリティステークス)では単勝1.3倍の圧倒的1番人気に推されるも、エルウェーウィンに敗れ2着。しかし、アイルランド生まれのエルウェーウィンには当時クラシック三冠競走への出場権がなかったため、ビワハヤヒデの三冠路線に向けた評価は揺るがなかった。


ウイニングチケットも、年末にかけて3連勝と順調に勝ちを伸ばし、ビワハヤヒデに次ぐ有力馬として評価を上げていった。


一方、ナリタタイシンは3歳時に掲示板外のレースが2度あるなど、当初そこまでの注目馬ではなかったが、年末のラジオたんぱ杯3歳S(GⅢ)を獲り、力を蓄えつつあった。


皐月賞

1993年、皐月賞トライアルの3月7日弥生賞(GⅡ)でチケットとタイシンが初対決。最後方からの追込でウイニングチケットが豪快に勝利し、本番への評価を高めた。


4月18日、クラシック一冠目の皐月賞

当日は1番人気チケット(単勝2.0倍)・2番人気ハヤヒデ(3.5倍)・3番人気タイシン(9.2倍)となり、人気順こそ3頭続いているが、倍率が示す通りチケットとハヤヒデのマッチレースだろうという予想が強かった。

レースはチケットが先行するが、やや入れ込んで落ち着きを欠いており、前団好位置につけていたハヤヒデが第4コーナーから脚を伸ばし最終直線半ばでかわす。勝負あったかと思われたが、ここで大外から猛然と突っ込んできたのが道中最後方につけていたタイシンだった。ゴール直前でクビ差ハヤヒデを差し切り勝利。

この勝利により、ビワハヤヒデとウイニングチケットの対決と予想されていた同年のクラシック路線にナリタタイシンが割って入った形となり、「BWN」と競馬ファンに呼ばれたライバル関係が形成されることになった。(現在では、乗用車のBMWに引っ掛けてBNWと呼ばれることが多いが、当時は馬の注目された順番からBWN表記のことが多かった。)


日本ダービー

5月30日、二冠目の東京優駿日本ダービー)。

1番人気チケット(3.6倍)・2番人気ハヤヒデ(3.9倍)・3番人気タイシン(4.0倍)と人気は拮抗していた。


ハヤヒデは中団につけ、チケットはその背後をマーク、タイシンは後方から機を窺うという展開になった。第4コーナー、内からチケットが前方の空いた絶好の位置を確保し先頭に抜け出す。最終直線、チケットはやや外によれ、再び内からハヤヒデが並びかけ、大外からはタイシンも突っ込んでくる。しかしここでチケットが根性のもう一伸びを見せて2頭の追撃をしのぎ切り、ダービーを制覇した。

鞍上の柴田政人騎手にとっては、実に19回目の挑戦で念願のダービー制覇となった。

菊花賞

世代最有力馬と目されながらここまでの二冠とも惜敗したハヤヒデは、通常は猛暑で馬が痩せたり体調を崩したりすることを避けるため休養に充てる夏期にトレーニングを強化。徹底した坂路調教で分厚い筋肉を手に入れた1世代上の二冠馬ミホノブルボンにならって坂路調教を増やし、馬体が大きく成長した。


11月7日、三冠目の菊花賞

1番人気ハヤヒデ(2.4倍)、2番人気チケット(2.8倍)、3番人気タイシン(11.1倍)と、初めてビワハヤヒデが人気を逆転した。

ナリタタイシンは夏の調教中に発症した肺出血(強度の運動による肺の毛細血管の損傷)の影響でぶっつけ本番の状況であり、全くレースにならず17着大敗。

勝負はハヤヒデとチケットの一騎討ちの様相となったが、夏の調教で大きく成長したハヤヒデは最終直線で後続を突き放し、2着に5馬身差の快勝で三冠最後の一つを獲得した。

その後

こうして、クラシック三冠を分け合ったBNWだったが、その後の道はそれぞれ違った。


ビワハヤヒデ:1993年末の有馬記念でも、復活したトウカイテイオーに次ぐ2着。菊花賞の勝利と3度のGⅠ2着が評価され、同年の年度代表馬・最優秀4歳牡馬に選出された。馬体充実のハヤヒデは、古馬となった1994年も京都記念・天皇賞春・宝塚記念・オールカマーと4連勝。この年、1世代下のクラシック戦線で圧倒的な強さで三冠馬へと突き進んでいた半弟ナリタブライアンと、年末の有馬記念での兄弟対決が注目された。しかし、10月30日の天皇賞・秋では生涯唯一の連対(2着以上)を外す5着。レース後に屈腱炎を発症していることが発覚し、兄弟対決の実現をみず引退した。それでも、デビューからの15戦連続連対はシンザンに次ぐ記録である。


ナリタタイシン:故障による菊花賞前後の絶不調から回復し、1994年2月の目黒記念(GⅡ)で復活勝利。天皇賞・春でハヤヒデと対戦するが、1馬身半差の2着に敗れる。その後、骨折や屈腱炎など故障が相次ぎ、年内は出走できず。このまま引退かと思われたが、1年以上を経て1995年6月の宝塚記念に出走。再びの復活を期したが、16着(この宝塚記念はライスシャワー予後不良となったレースとして知られるが、彼を除けば最下位)に終わり、これを最後に引退した。


ウイニングチケット:菊花賞3着の後、中2週でジャパンカップに挑戦し3着。さらに年末の有馬記念で再びハヤヒデと対決するが、勝ったトウカイテイオーと2着ビワハヤヒデに水をあけられた11着に惨敗。1994年前半は体調が整わずに1走もできず、7月の高松宮杯で復帰するもナイスネイチャに敗れ5着。9月のオールカマー(GⅢ)でハヤヒデと再戦するも2着。そして三度ハヤヒデへの雪辱を期した10月30日の天皇賞・秋は、屈腱炎を発症し8着。これが決め手となり、奇しくもビワハヤヒデと同じレースで引退することとなってしまった。

BNW全対決

※BNW3馬のうち2頭以上が出走したレースのみ記載。

年月日レース名BNW勝ち馬
1993/03/07弥生賞GⅡ2着1着
1993/04/18皐月賞GⅠ2着1着4着
1993/05/30東京優駿GⅠ2着3着1着
1993/11/07菊花賞GⅠ1着17着3着
1993/12/26有馬記念GⅠ2着11着トウカイテイオー
1994/04/24天皇賞(春)GⅠ1着2着
1994/09/18オールカマーGⅢ1着2着
1994/10/30天皇賞(秋)GⅠ5着8着ネーハイシーザー

引退後

一生に一度のクラシック戦線で激闘を繰り広げた3頭だが、以上のように3頭ともその後故障により、古馬として存分に走り切ることのないまま引退することとなった。


その後は3頭とも種牡馬となったが、ウイニングチケットは初年度にベルグチケットがフェアリーステークスを勝っただけ、ビワハヤヒデはサンエムエックスが日経新春杯でステイゴールドの2着になったのが最高、ナリタタイシンに至っては代表産駒すら困る有様と残念ながら全員冴えない結果に終わってしまった。

随分後のことだが、2021年レイパパレ大阪杯を勝ち、その母母父であるウイニングチケットは初めてGⅠ馬の血統表に名前が載ることになった。


2010年函館競馬場のイベントでハヤヒデとチケットは16年振りに再会している。


2020年4月にナリタタイシンが、同7月にビワハヤヒデが相次いで死去。その時点で唯一存命であったウイニングチケットも2023年2月に死去し、BNW3頭全員が天へと駆けていった。

ウマ娘

競走馬を擬人化したメディアミックス作品『ウマ娘プリティーダービー』には3頭とも登場する。ビワハヤヒデは理詰めで物事を進める几帳面な眼鏡っ娘ナリタタイシンはクールでドライに見せて隠れた努力家、ウイニングチケットは活発で情熱的な感動屋、としてそれぞれ描かれている。


タイプの異なる3名だがライバルかつ友人としての絆は深い。日常生活はさながら漫才トリオであり、ハヤヒデがリーダー兼進行、タイシンがツッコミ、チケットが天然ボケといった感じである。


詳しくは当該項目へ

関連項目

競馬 競走馬 ライバル 93世代

TTG:1970年代後半に現れた強豪の総称。

ウマ娘のコンビ・カップリング・グループタグ一覧

曖昧さ回避

  1. 1990年に生まれ、1993年のクラシック三冠競走でライバルとして争った3頭の競走馬。いわゆる93世代の一角。本項目で扱う。
  2. 競走馬をテーマにした擬人化メディアミックス作品『ウマ娘プリティーダービー』における、1.の3頭を中心としたOVA作品については、BNWの誓いへ。
  3. 2.の『ウマ娘プリティーダービー』における3頭を示すトリオタグ。pixivのタグとしては最もこの用法が多い。(→BNW(ウマ娘)
  4. Black N White(Black and White のスラング表現)の略。すなわち白黒イラストに付されるタグで、英語圏ユーザーに用いられる。

もしかして⇢BMW

3頭の概要

※この記事では旧馬齢表記(現在の表記よりも+1歳)を用いる。

父:シャルード、母:パシフィカス、母父:ノーザンダンサー

主要勝鞍:菊花賞(1993)、天皇賞・春(1994)、宝塚記念(1994)、神戸新聞杯(1993)、京都記念(1994)

母パシフィカスが妊娠した状態で輸入され、日本で誕生した(いわゆる「持込馬」)。菊花賞・宝塚記念のレコード勝ちなど、特に中長距離で強さを発揮したステイヤー。1歳下の半弟に三冠馬ナリタブライアンがいる。1993年年度代表馬・最優秀4歳牡馬、1994年最優秀5歳以上牡馬。


父:リヴリア、母:タイシンリリイ、母父:ラディガ

主要勝鞍:皐月賞(1993)、目黒記念(1994)

父リヴリアはのちに種牡馬として優秀な成績を残す馬だが、タイシンはその初年度産駒であり、まだ評価は定まっていなかった。レース終盤の追込を得意とし、皐月賞を勝ったことで世代3強の一角に名乗りを挙げる。しかしその後は、肺出血・骨折・屈腱炎など、度重なる故障に泣かされた。


父:トニービン、母:パワフルレディ、母父:マルゼンスキー

主要勝鞍:日本ダービー(1993)、弥生賞(1993)、京都新聞杯(1993)

1994年に日本リーディングサイアーを獲得するトニービンの初年度産駒。母パワフルレディは1960年のオークス有馬記念馬スターロツチの牝系、母父はスーパーカーと評された快速馬マルゼンスキー。柴田政人騎手に19回目の挑戦にして念願の日本ダービー制覇をもたらした。


対決の歴史

1992年(3歳)

デビューの1992年、3頭の中で最も早く注目を集めたのはビワハヤヒデだった。

新馬戦を10馬身差以上の大差勝ちすると、初重賞挑戦となったデイリー杯3歳S(GⅡ)も軽々と勝利。芦毛の馬体も手伝って、早くも「オグリキャップの再来」と書き立てられた(当時、大ブームを巻き起こしたオグリ人気や、次いでメジロマックイーンの大活躍により、芦毛馬は主人公のように見られていた)。当時の3歳ナンバーワン決定戦朝日杯3歳ステークス(現:朝日杯フューチュリティステークス)では単勝1.3倍の圧倒的1番人気に推されるも、エルウェーウィンに敗れ2着。しかし、アイルランド生まれのエルウェーウィンには当時クラシック三冠競走への出場権がなかったため、ビワハヤヒデの三冠路線に向けた評価は揺るがなかった。


ウイニングチケットも、年末にかけて3連勝と順調に勝ちを伸ばし、ビワハヤヒデに次ぐ有力馬として評価を上げていった。


一方、ナリタタイシンは3歳時に掲示板外のレースが2度あるなど、当初そこまでの注目馬ではなかったが、年末のラジオたんぱ杯3歳S(GⅢ)を獲り、力を蓄えつつあった。


皐月賞

1993年、皐月賞トライアルの3月7日弥生賞(GⅡ)でチケットとタイシンが初対決。最後方からの追込でウイニングチケットが豪快に勝利し、本番への評価を高めた。


4月18日、クラシック一冠目の皐月賞

当日は1番人気チケット(単勝2.0倍)・2番人気ハヤヒデ(3.5倍)・3番人気タイシン(9.2倍)となり、人気順こそ3頭続いているが、倍率が示す通りチケットとハヤヒデのマッチレースだろうという予想が強かった。

レースはチケットが先行するが、やや入れ込んで落ち着きを欠いており、前団好位置につけていたハヤヒデが第4コーナーから脚を伸ばし最終直線半ばでかわす。勝負あったかと思われたが、ここで大外から猛然と突っ込んできたのが道中最後方につけていたタイシンだった。ゴール直前でクビ差ハヤヒデを差し切り勝利。

この勝利により、ビワハヤヒデとウイニングチケットの対決と予想されていた同年のクラシック路線にナリタタイシンが割って入った形となり、「BWN」と競馬ファンに呼ばれたライバル関係が形成されることになった。(現在では、乗用車のBMWに引っ掛けてBNWと呼ばれることが多いが、当時は馬の注目された順番からBWN表記のことが多かった。)


日本ダービー

5月30日、二冠目の東京優駿日本ダービー)。

1番人気チケット(3.6倍)・2番人気ハヤヒデ(3.9倍)・3番人気タイシン(4.0倍)と人気は拮抗していた。


ハヤヒデは中団につけ、チケットはその背後をマーク、タイシンは後方から機を窺うという展開になった。第4コーナー、内からチケットが前方の空いた絶好の位置を確保し先頭に抜け出す。最終直線、チケットはやや外によれ、再び内からハヤヒデが並びかけ、大外からはタイシンも突っ込んでくる。しかしここでチケットが根性のもう一伸びを見せて2頭の追撃をしのぎ切り、ダービーを制覇した。

鞍上の柴田政人騎手にとっては、実に19回目の挑戦で念願のダービー制覇となった。

菊花賞

世代最有力馬と目されながらここまでの二冠とも惜敗したハヤヒデは、通常は猛暑で馬が痩せたり体調を崩したりすることを避けるため休養に充てる夏期にトレーニングを強化。徹底した坂路調教で分厚い筋肉を手に入れた1世代上の二冠馬ミホノブルボンにならって坂路調教を増やし、馬体が大きく成長した。


11月7日、三冠目の菊花賞

1番人気ハヤヒデ(2.4倍)、2番人気チケット(2.8倍)、3番人気タイシン(11.1倍)と、初めてビワハヤヒデが人気を逆転した。

ナリタタイシンは夏の調教中に発症した肺出血(強度の運動による肺の毛細血管の損傷)の影響でぶっつけ本番の状況であり、全くレースにならず17着大敗。

勝負はハヤヒデとチケットの一騎討ちの様相となったが、夏の調教で大きく成長したハヤヒデは最終直線で後続を突き放し、2着に5馬身差の快勝で三冠最後の一つを獲得した。

その後

こうして、クラシック三冠を分け合ったBNWだったが、その後の道はそれぞれ違った。


ビワハヤヒデ:1993年末の有馬記念でも、復活したトウカイテイオーに次ぐ2着。菊花賞の勝利と3度のGⅠ2着が評価され、同年の年度代表馬・最優秀4歳牡馬に選出された。馬体充実のハヤヒデは、古馬となった1994年も京都記念・天皇賞春・宝塚記念・オールカマーと4連勝。この年、1世代下のクラシック戦線で圧倒的な強さで三冠馬へと突き進んでいた半弟ナリタブライアンと、年末の有馬記念での兄弟対決が注目された。しかし、10月30日の天皇賞・秋では生涯唯一の連対(2着以上)を外す5着。レース後に屈腱炎を発症していることが発覚し、兄弟対決の実現をみず引退した。それでも、デビューからの15戦連続連対はシンザンに次ぐ記録である。


ナリタタイシン:故障による菊花賞前後の絶不調から回復し、1994年2月の目黒記念(GⅡ)で復活勝利。天皇賞・春でハヤヒデと対戦するが、1馬身半差の2着に敗れる。その後、骨折や屈腱炎など故障が相次ぎ、年内は出走できず。このまま引退かと思われたが、1年以上を経て1995年6月の宝塚記念に出走。再びの復活を期したが、16着(この宝塚記念はライスシャワー予後不良となったレースとして知られるが、彼を除けば最下位)に終わり、これを最後に引退した。


ウイニングチケット:菊花賞3着の後、中2週でジャパンカップに挑戦し3着。さらに年末の有馬記念で再びハヤヒデと対決するが、勝ったトウカイテイオーと2着ビワハヤヒデに水をあけられた11着に惨敗。1994年前半は体調が整わずに1走もできず、7月の高松宮杯で復帰するもナイスネイチャに敗れ5着。9月のオールカマー(GⅢ)でハヤヒデと再戦するも2着。そして三度ハヤヒデへの雪辱を期した10月30日の天皇賞・秋は、屈腱炎を発症し8着。これが決め手となり、奇しくもビワハヤヒデと同じレースで引退することとなってしまった。

BNW全対決

※BNW3馬のうち2頭以上が出走したレースのみ記載。

年月日レース名BNW勝ち馬
1993/03/07弥生賞GⅡ2着1着
1993/04/18皐月賞GⅠ2着1着4着
1993/05/30東京優駿GⅠ2着3着1着
1993/11/07菊花賞GⅠ1着17着3着
1993/12/26有馬記念GⅠ2着11着トウカイテイオー
1994/04/24天皇賞(春)GⅠ1着2着
1994/09/18オールカマーGⅢ1着2着
1994/10/30天皇賞(秋)GⅠ5着8着ネーハイシーザー

引退後

一生に一度のクラシック戦線で激闘を繰り広げた3頭だが、以上のように3頭ともその後故障により、古馬として存分に走り切ることのないまま引退することとなった。


その後は3頭とも種牡馬となったが、ウイニングチケットは初年度にベルグチケットがフェアリーステークスを勝っただけ、ビワハヤヒデはサンエムエックスが日経新春杯でステイゴールドの2着になったのが最高、ナリタタイシンに至っては代表産駒すら困る有様と残念ながら全員冴えない結果に終わってしまった。

随分後のことだが、2021年レイパパレ大阪杯を勝ち、その母母父であるウイニングチケットは初めてGⅠ馬の血統表に名前が載ることになった。


2010年函館競馬場のイベントでハヤヒデとチケットは16年振りに再会している。


2020年4月にナリタタイシンが、同7月にビワハヤヒデが相次いで死去。その時点で唯一存命であったウイニングチケットも2023年2月に死去し、BNW3頭全員が天へと駆けていった。

ウマ娘

競走馬を擬人化したメディアミックス作品『ウマ娘プリティーダービー』には3頭とも登場する。ビワハヤヒデは理詰めで物事を進める几帳面な眼鏡っ娘ナリタタイシンはクールでドライに見せて隠れた努力家、ウイニングチケットは活発で情熱的な感動屋、としてそれぞれ描かれている。


タイプの異なる3名だがライバルかつ友人としての絆は深い。日常生活はさながら漫才トリオであり、ハヤヒデがリーダー兼進行、タイシンがツッコミ、チケットが天然ボケといった感じである。


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