概要
競馬におけるいわゆる「三強」の中でもとくに伝説化して語られる世代である。
この三頭で8大競走を7勝、現在のGI級重賞レースを9勝、3頭全てが年度代表馬に選ばれ、予後不良となったテンポイント以外の2頭は種牡馬としても優れた成績を残し、3頭全てが揃ったレースでは1着から3着までを独占する等、世代の突出度としては現在でも珍しい成績を数多く残した。
本記事では直接対決での優位性などからトウショウボーイを先に記しているが、後述のようにテンポイントがドラマ性の高さから人気ではトウショウボーイを上回っており、TTGを「テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラス」の略語と捉える人もいる。
なお、時代背景としてハイセイコーの引退から一年後にクラシックを迎えた世代であり、「第一次競馬ブームで呼び込んだファンを定着させた世代」と評されることが多い。
天馬、トウショウボーイ
引退が早いためか獲得賞金こそ三頭の中では最も少なかったが、三冠馬ミスターシービーを初めとして多数の活躍馬を輩出し、三強の中でも特に種牡馬としては抜きん出た好成績を残した。
種牡馬としての高い評価の割に種付け料金が安く抑えられていたことから、中小の競走馬生産者たちからは「お助けボーイ」と呼ばれ、大いに感謝された。
流星の貴公子、テンポイント
流星の貴公子と称される美しい容姿、トウショウボーイとの名勝負から人気が高く、予後不良となった際には助命嘆願が多数届き懸命の治療が行われたが、治療の甲斐なく死亡。
その悲劇的な最後は元々高かった人気を更に高めた他、治療で得られた数々のデータは後に馬の治療技術向上に生かされた。
緑の刺客、グリーングラス
ステイヤー型で3強の中ではパッとしないとも評される成績だったが、二頭の引退後も脚部不安に悩まされ続けながらしぶとく勝ち星を積み上げ、最終的にはTTに見劣りしない成績で年度代表馬となった。獲得賞金も最も多い。種牡馬としてもトウショウボーイには劣るもののG1馬を出して成功を収めた。
TT二頭に先着したのは菊花賞の一度のみ、他の三頭揃って出走した宝塚記念と有馬記念はどちらも三着とTTGの中では三番手ポジション。そもそも当時はTTのライバル関係がクローズアップされており、TTGになったのは後付である。
レース歴
・TB=トウショウボーイ TP=テンポイント GG=グリーングラス
・グレード制導入以前の為、「格付」はグレード制導入後の同レースのもの
・☆は八大競走
日付 | レース名 | 格付 | コース | TB | TP | GG | 他の勝者 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1975.08.17 | 新馬 | 芝1000 | 1着(1人) | ||||
1975.11.09 | もみじ賞 | 芝1400 | 1着(1人) | ||||
1975.12.07 | 阪神3歳S | GⅠ | 芝1600 | 1着(1人) | |||
1976.01.31 | 新馬 | 芝1400 | 1着(1人) | 4着(2人) | |||
1976.02.15 | 東京4歳S | GⅢ | 芝1800 | 1着(1人) | |||
1976.02.22 | 新馬 | 芝1600 | 4着(2人) | ローヤルセイカン | |||
1976.02.22 | つくし賞 | D1400 | 1着(1人) | ||||
1976.03.13 | 未勝利 | D1700 | 1着(1人) | ||||
1976.03.20 | れんげ賞 | 芝1800 | 1着(1人) | ||||
1976.03.28 | スプリングS | GⅡ | 芝1800 | 1着(1人) | |||
1976.04.04 | 300万下 | D1800 | 4着(1人) | レッドフラッシュ | |||
1976.04.25 | 皐月賞 | GⅠ☆ | 芝2000 | 1着(2人) | 2着(1人) | ||
1976.05.09 | NHK杯(注1) | GⅡ | 芝2000 | 12着(5人) | コーヨーチカラ | ||
1976.05.30 | 日本ダービー | GⅠ☆ | 芝2400 | 2着(1人) | 7着(2人) | クライムカイザー | |
1976.06.06 | あじさい賞 | 芝2000 | 1着(2人) | ||||
1976.07.10 | マーガレット賞 | 芝2000 | 2着(2人) | トウフクセダン | |||
1976.07.11 | 札幌記念(注2) | GⅢ→GⅡ | D2000 | 2着(1人) | グレートセイカン | ||
1976.10.03 | 中距離H | 芝2000 | 2着(2人) | トミカゼ | |||
1976.10.03 | 神戸新聞杯 | GⅡ | 芝2000 | 1着(1人) | |||
1976.10.17 | 京都大賞典 | GⅡ | 芝2400 | 3着(6人) | パッシングベンチャ | ||
1976.10.24 | 鹿島灘特別 | 芝2000 | 1着(1人) | ||||
1976.10.24 | 京都新聞杯 | GⅡ | 芝2000 | 1着(1人) | |||
1976.11.14 | 菊花賞 | GⅠ☆ | 芝3000 | 3着(1人) | 2着(3人) | 1着(12人) | |
1976.12.19 | 有馬記念 | GⅠ☆ | 芝2500 | 1着(1人) | 2着(3人) | ||
1977.01.23 | アメリカJCC | GⅡ | 芝2400 | 1着(3人) | |||
1977.02.13 | 京都記念 | GⅡ | 芝2400 | 1着(1人) | |||
1977.02.20 | 目黒記念 | GⅡ | 芝2500 | 2着(1人) | カシュウチカラ | ||
1977.03.27 | 鳴尾記念(注3) | GⅡ→GⅢ | 芝2400 | 1着(1人) | |||
1977.04.29 | 天皇賞(春) | GⅠ☆ | 芝3200 | 1着(1人) | 4着(2人) | ||
1977.06.05 | 宝塚記念 | GⅠ | 芝2200 | 1着(2人) | 2着(1人) | 3着(3人) | |
1977.06.26 | 高松宮杯(注4) | GⅡ | 芝2000 | 1着(1人) | |||
1977.07.03 | 日本経済賞 | GⅡ | 芝2500 | 1着(1人) | |||
1977.10.16 | 京都大賞典 | GⅡ | 芝2400 | 1着(1人) | |||
1977.10.23 | オープン | 芝1600 | 1着(1人) | ||||
1977.11.12 | オープン | 芝1800 | 1着(1人) | ||||
1977.11.27 | 天皇賞(秋) | GⅠ☆ | 芝3200 | 7着(1人) | 5着(2人) | ホクトボーイ | |
1977.12.18 | 有馬記念 | GⅠ☆ | 芝2500 | 2着(2人) | 1着(1人) | 3着(3人) | |
1978.01.22 | 日本経済新春杯 | GⅡ | 芝2400 | 競走中止(1人) | ジンクエイト | ||
1978.01.22 | アメリカJCC | GⅡ | 芝2400 | 2着(1人) | カシュウチカラ | ||
1978.04.09 | オープン | 芝1800 | 3着(2人) | プレストウコウ | |||
1978.04.29 | 天皇賞(春) | GⅠ☆ | 芝3200 | 1着(1人) | |||
1978.06.04 | 宝塚記念 | GⅠ | 芝2200 | 2着(1人) | エリモジョージ | ||
1978.12.17 | 有馬記念 | GⅠ☆ | 芝2500 | 6着(3人) | カネミノブ | ||
1979.01.21 | アメリカJCC | GⅡ | 芝2400 | 2着(2人) | サクラショウリ | ||
1979.06.03 | 宝塚記念 | GⅠ | 芝2200 | 3着(7人) | サクラショウリ | ||
1979.11.10 | オープン | 芝1800 | 2着(1人) | メジロイーグル | |||
1979.12.16 | 有馬記念 | GⅠ☆ | 芝2500 | 1着(2人) |
(注1)ダービートライアル。96年に廃止され3歳GⅠNHKマイルカップ(芝1600m)に。
(注2)当時ダート重賞。90年から芝コースに変わり97年GⅡ昇格。
(注3)当時の芝2400mから芝2500m→芝2000m→芝1800m→芝2000mと変遷。開催時期も度々変更。
(注4)96年から1200mのGⅠに変わり、98年から名称も高松宮記念に。
同世代(76世代)の競走馬
4月18日生まれ。1976年の第1回エリザベス女王杯優勝馬。
下記のテイタニアとは同じ稲葉幸夫厩舎に所属していた。
4月22日生まれ。
5歳(現4歳)時の1977年に天皇賞(秋)でトウショウボーイとグリーングラスを破って優勝。
父は1970年のクラシックを盛り上げたアローエクスプレス。
最優秀3歳牝馬と最優秀4歳牝馬を受賞した。
5月11日生まれ。
本格化が遅れクラシックには出られなかったが、7歳(現6歳)時の1979年に天皇賞(春)を勝利。
2003年に30歳の天寿を全うし、同世代のGⅠ馬で最も長く生きた。
5月22日生まれ。TTG世代のダービー馬。
馬名は「Climb Kaiser」で「帝位に上り詰める」という意味だが、ダービーでのやや強引な騎乗から「犯罪皇帝(Crime Kaiser)」というあだ名が付けられてしまった。
その後ダービー以降の勝鞍はなく、ライバルという立場すら許されなかった。
生涯成績は21戦5勝だが、ラストランの1977年宝塚記念(6着・最下位)以外は全て掲示板(5着以内)を確保しており、成績自体は悪くない。
2月23日生まれ。快速を活かした逃げ馬で、毎日王冠(当時は2000m)コースレコードを含む重賞3勝を記録した名牝。
繁殖入りした後はトウショウボーイとの間にミスターシービーを授かる。
その際のすったもんだや、事故で繁殖能力を喪ったことでミスターシービー以外の産駒を残さなかったこと、実はデビュー戦で一緒に走っていた(※グリーングラスも居ました)ことから、トウショウボーイの嫁扱いされることが多い。
77世代の競走馬
1974年5月19日生まれ。父はイギリスの三冠馬ニジンスキー、母父はアメリカで13連勝を飾ったバックパサーという、当時の日本はおろか世界でも屈指の超良血エリート。
僅か1歳差ながら当時の持込馬のレギュレーションで大レースに出走できず、また圧倒的な強さからライバル不在というTTGとは対照的な後輩。
常に悩まされ続けていた脚部不安から第22回有馬記念の直前に引退。対戦の機会は無かったが「もしも」が多く語られる。
日本短波賞(芝1800m。現ラジオNIKKEI賞)では、ほとんど「遊びながら」後の菊花賞馬プレストウコウに7馬身差を付けて圧勝した。
1974年4月14日生まれ。第38回菊花賞馬。マルゼンスキーが引退し不在の第22回有馬記念ではテンポイントとトウショウボーイ、グリーングラスから大きく離された4着(6馬身差)に敗れた。
…上記の日本短波賞の結果も踏まえて人々がマルゼンスキーの不在を惜しんだのは言うまでもない。
古馬になってからはオープンで1度グリーングラスに勝利(GG3着)したものの、グリーングラスが勝った天皇賞(春)では2周目の向正面で鞍ズレが発生し競走中止、天皇賞(秋)ではテンメイに菊花賞のリベンジを許し2着、第23回有馬記念ではカネミノブに敗れ12着(GG6着)…と、大舞台(八大競走)ではついに勝てなかった。
随分とご無体な扱いだが、実はこれでも他のクラシック馬に比べればマシな方だったりする。
pixivに於けるTTG
古い世代だが伝説として語られる世代だけあり、いくつかイラストが投稿されている。しかし古いため資料の探しにくさもあってか競走馬擬人化の題材としても人気。
ゲーム等におけるTTG
昭和期の競馬において屈指の人気を誇る世代の一つではあるのだが、ウイニングポストシリーズでプレイアブル化したのは2022年版とかなり最近。
収録データや開始年代の関係上シンボリルドルフからとなっていた事を踏まえると仕方がないのかもしれないが、スペシャル種牡馬としては初期からテンポイントが収録されてる。
馬齢が他のスペシャル種牡馬より若く能力も高いので使用した場合、後継種牡馬を残すのは容易。
ウマ娘においては世代が古すぎることもあってか、現状では登場していない。
サクラチヨノオーのシナリオにおける有馬記念に登場するミスターシービーが、トウショウボーイの代役ではないかと推測される程度である。
関連イラスト
TTGに関するイラストを紹介してください。
別名・表記ゆれ
TTGに関する別名や、表記ゆれがありましたら、紹介してください。
関連タグ
平成三強:平成元年から平成2年にかけて活躍したオグリキャップ・スーパークリーク・イナリワンの3頭を表した総称。