プロフィール
経歴
アメリカでデビュー3戦目から2連勝するが故障しそのまま引退。日本で種牡馬入りした。
代表産駒のイナリワンは東京大賞典勝ちの実績を引っさげて中央移籍、1989年に春の天皇賞と宝塚記念を勝ち有馬記念をもレコード勝ちし、スーパークリーク・同じように中央移籍したオグリキャップ共々平成三強と呼ばれ、競馬ブームの火付け役の一頭となった。またこの年には日本競馬リーディングサイアーとなり、ノーザンテーストの8連覇(ただし中央競馬だけだとノーザンテーストの方が上だった)を阻止した。
またミルジョージの活躍により日本に数多のミルリーフ系種牡馬が導入され、モガミのリファールと並ぶブームの火付け役ともなった。モガミと同じく気性難・タフネス・地方競馬適性と言うかダート適性も高いと似た所が多く、ある意味時代の必然だったと言えようか。
だが他のミルリーフ系種牡馬の中で成功したと言えるのはミホノブルボンを産んだマグニテュードとせいぜいエリザベス女王杯勝ち馬のタケノベルベットを輩出したパドスールぐらいであり、ミルジョージ自身の産駒種牡馬も中央重賞勝ち馬ゼロのまま消えてしまい、残念ながら直系は残っていない。
代表産駒など
ユーセイトップラン ダイヤモンドステークス隔年制覇
ロッキータイガー 初年度産駒。ジャパンカップでシンボリルドルフの2着。
ノーブルグラス 安田富男騎手に全場重賞制覇を達成させた(函館スプリントステークス)。
セイウンスカイ 母の父。