概要
主な勝ち鞍はラジオたんぱ賞(1994年)など。
生年がナリタブライアンと被ってビッグタイトルには縁がなかったが、息の長い活躍をつづけた。
プロフィール
略歴
1991年
4月10日、北海道三石町(現在は新ひだか町)の三石橋本牧場で誕生。
父・ミルジョージは種牡馬として地方競馬を中心に活躍馬を輩出し、ノーザンテーストから全国リーディングサイアーの座を奪う活躍をみせた。
母・エゾミドリは豪サラ※・ミスブゼンの血を牝系で引き、現役時代は新潟公営競馬所属で17戦2勝。
母父・ヴィミーはフランス馬として初のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの勝ち馬で、日本に輸入されてショウフウミドリなどを輩出した。
※戦後の競走馬不足を解消するため、競馬主催者や馬主会などがオーストラリアやニュージーランドなどから輸入した競走馬。ミスブゼンはニュージーランド産。
1993年
毛利喜昭(毛利喜八の息子)が馬主となり、美浦の松山康久厩舎に入厩。冠名の「ヤシマ」は毛利が一時使用していたものだった。
10月17日、岡部幸雄騎手を鞍上に東京競馬場の新馬戦(ダート1400m)でデビューし1着。
11月27日、東京競馬場の条件戦(500万下)に出走し、ビッグカントリーの5着に敗れた。
12月18日、中山競馬場の条件戦(500万下)に出走し1着。
1994年
2月14日、共同通信杯4歳ステークス(GⅢ)で重賞初挑戦。初の芝レースでもあったが、ナリタブライアンの4着に敗れた。
3月6日、弥生賞(GⅡ)に出走し、サクラエイコウオーの8着に敗れた。
3月27日、横山典弘騎手に乗り替わってスプリングステークス(GⅡ)に出走し、ナリタブライアンの5着に敗れた。
5月8日、坂井千明騎手に乗り替わってNHK杯(GⅡ)に出走し、ナムラコクオーの2着に敗れた。
5月29日、東京優駿(GⅠ)に出走し、ナリタブライアンの3着に敗れた。
7月3日、ラジオたんぱ賞(GⅢ)に出走し1着。重賞初勝利。
10月9日、福島民報杯(オープン)に出走しコースレコードで勝利。
11月6日、菊花賞(GⅠ)に出走し、ナリタブライアンの2着に敗れた。
12月25日、有馬記念(GⅠ)に出走し、ナリタブライアンの11着に敗れた。
1995年
4月2日、産経大阪杯(GⅡ)に出走し、インターマイウェイの7着に敗れた。
4月23日、天皇賞(春)(GⅠ)に出走し、ライスシャワーの12着に敗れた。
8月6日、関屋記念(GⅢ)に出走し、フェスティブキングの3着に敗れた。
9月18日、オールカマー(GⅡ)に出走し、ヒシアマゾンの6着に敗れた。
10月29日、天皇賞(秋)(GⅠ)に出走し、サクラチトセオーの8着に敗れた。
11月18日、アルゼンチン共和国杯(GⅡ)に出走し、ゴーゴーゼットの6着に敗れた。
1996年
8月18日、柴田善臣騎手に乗り替わって函館記念(GⅢ)に出走し、ブライトサンディーの7着に敗れた。
9月15日、オールカマーに出走し、サクラローレルの5着に敗れた。
10月27日、菊沢隆徳騎手に乗り替わって天皇賞(秋)に出走し、バブルガムフェローの13着に敗れた。
11月16日、柴田善臣騎手に乗り替わってアルゼンチン共和国杯に出走し、エルウェーウィンの9着に敗れた。
12月14日、坂井千明騎手に乗り替わってディセンバーステークス(オープン)に出走し、キングオブダイヤの12着に敗れた。
1997年
1月25日、白富士ステークス(オープン)に出走し、セイントリファールの5着に敗れた。
2月8日、バレンタインステークス(オープン)に出走し1着。2年4ヶ月ぶりの勝利となった。
4月12日、エイプリルステークス(オープン)に出走し、エスジーフラットの3着に敗れた。
4月27日、メトロポリタンステークス(オープン)に出走し、マウンテンストーンの6着に敗れた。
5月31日、エプソムカップ(GⅢ)に出走し、タイキマーシャルの8着に敗れた。
6月22日、吾妻小富士オープン(オープン)に出走し1着。
7月6日、宝塚記念(GⅠ)に出走し、マーベラスサンデーの8着に敗れた。
8月3日、関屋記念に出走し、エイシンガイモンの8着に敗れた。
9月14日、オールカマーに出走し、メジロドーベルの2着に敗れた。
10月26日、天皇賞(秋)に出走し、エアグルーヴの12着に敗れた。
11月16日、福島記念(GⅢ)に出走し、テイエムオオアラシの7着に敗れた。
1998年
1月15日、JRAの登録を抹消され、現役引退。
種牡馬となるが、産駒は6頭にとどまる。主な産駒はモンテコンドルなど。
2007年
種牡馬を引退。故郷の三石橋本牧場で余生を送る。
2010年
中橋清牧場(新ひだか町)に移動。
2012年
5月、死亡(21歳)。