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概要

日本の競走馬JRA平場障害競走で活躍した。

主な勝ち鞍はきさらぎ賞(1994年)。


プロフィール


略歴

1991年

4月14日北海道門別町のサムソン牧場に生まれた。

父・サクラショウリはパーソロンの直仔で、種牡馬としてサクラスターオーなどの活躍馬を輩出していた。

母・シユンイチオーカンは地方競馬で43戦3勝の成績で、クリフジの玄孫に当たる。母父・フロリバンダはテスコボーイの成功を見て輸入されたプリンスリーギフト系の種牡馬であった。


1993年

栗東の鹿戸幸治厩舎に入厩。

7月10日、鹿戸雄一騎手を鞍上に札幌競馬場の新馬戦(ダート1000m)でデビューし初勝利を飾った。

8月1日、札幌3歳ステークスGⅢ)で重賞初挑戦。メローフルーツの15着に敗れた。

8月29日、クローバー賞オープン)に出走し、ライネストウショウの5着に敗れた。

9月26日、函館3歳ステークス(GⅢ)に出走し、マリーゴッドの2着に敗れた。

10月23日、武豊騎手に乗り替わって萩ステークス(オープン)に出走し、イナズマタカオーの3着に敗れた。

11月6日、田原成貴騎手に乗り替わってデイリー杯3歳ステークスGⅡ)に出走し、ボディーガードの14着に敗れた。

11月20日、芹沢純一騎手に乗り替わって福島3歳ステークス(オープン)に出走し、タイキウルフの2着に敗れた。

12月12日、鹿戸雄一騎手に乗り替わって朝日杯3歳ステークスGⅠ)でGⅠ初挑戦。ナリタブライアンの13着に敗れた。


1994年

1月16日、芹沢純一騎手に乗り替わってシンザン記念(GⅢ)で始動。ナムラコクオーの11着に敗れた。

2月26日、田所秀孝騎手に乗り替わってきさらぎ賞(GⅢ)に出走。押し出されるように先頭となり、そのまま逃げ切って重賞初勝利。デビュー戦以来の勝ちとなった。

3月27日、鹿戸雄一騎手に乗り替わってスプリングステークス(GⅡ)に出走し、ナリタブライアンの9着に敗れた。

4月17日、田所秀孝騎手に乗り替わって皐月賞(GⅠ)に出走し、ナリタブライアンの17着に敗れた。

5月8日、京都4歳特別(GⅢ)に出走し、イイデライナーの14着に敗れた。

5月29日、東京優駿(GⅠ)に出走し、ナリタブライアンの18着に敗れた。秋に向けて休養に入る。

11月6日、小島貞博騎手に乗り替わって菊花賞(GⅠ)に出走し、ナリタブライアンの15着に敗れた。

12月11日、渡辺薫彦騎手に乗り替わって愛知杯(GⅢ)に出走するが、最終直線で内ラチに突っ込み落馬・競走中止となった。


1995年

4月22日、小島貞博騎手に乗り替わって栗東ステークス(オープン)で始動。マルタカトウコウの16着に敗れた。

5月6日、シルクロードステークス(オープン)に出走し、ゴールドマウンテンの15着に敗れた。

6月3日、菊沢隆仁騎手に乗り替わって阪急杯(GⅢ)に出走し、ボディーガードの7着に敗れた。

6月18日、金鯱賞(GⅢ)に出走し、サマニベッピンの10着に敗れた。

7月2日、東海ステークス(オープン)に出走し、チアズアトムの12着に敗れた。

8月13日、菊地昇吾騎手に乗り替わってマリーンステークス(オープン)に出走し、ニホンピロスタディの13着に敗れた。

9月3日、鹿戸雄一騎手に乗り替わって青函ステークス(オープン)に出走し、ホクトフィーバスの10着に敗れた。

9月30日、蛯名正義騎手に乗り替わってオータムスプリントステークス(オープン)に出走し、ホクトフィーバスの9着に敗れた。

10月14日、菊地昇吾騎手に乗り替わってオパールステークス(オープン)に出走し、ニホンピロスタディの8着に敗れた。

11月5日、千田輝彦騎手に乗り替わって秋野ステークス(オープン)に出走し、ウインドフィールズの3着に敗れた。

12月10日、植野貴也騎手に乗り替わって愛知杯に出走し、サウンドバリヤーの13着に敗れた。平地で結果が出ないため障害に転向する事となる。


1996年

1月20日、中竹和也騎手に乗り替わって京都競馬場の障害未勝利戦(ダート2910m)で始動。レースレコードで1着。2年ぶりの勝利となった。

2月24日、阪神競馬場の障害戦(400万下)に出走し、ミスタードクターの4着に敗れた。

3月17日、阪神競馬場の障害戦(400万下)に出走し、クリノホウオウの2着に敗れた。

5月12日、京都競馬場の障害戦(400万下)に出走し、アップサージの2着に敗れた。

6月8日、中京競馬場の障害戦(400万下)に出走し1着。故障により長期の休養に入る。


1997年

6月1日、中京競馬場の障害戦(オープン)で1年ぶりに復帰。ポレールの3着に敗れた。

6月29日、福島競馬場の障害戦(オープン)に出走し、フジヤマダイセンの8着に敗れた。

7月19日、小倉障害ステークス(オープン)に出走し、ネオチャイムズの6着に敗れた。現役引退となる。去勢されてサムソン牧場へ戻った。


1998年

筑波大学馬術部に譲渡された。


1999年

4月1日、筑波大学馬術部所属の乗馬として日本馬術連盟に登録。


2008年

栃木県乗馬クラブに移籍。


2009年

12月、馬術競技を引退。


2011年

2月にホースショーに出場した記録がある。以降の消息は不明。


余談

  • 馬名は「サムソン」、「ビッグ」といかついが、馬体重400kg台前半という小さな馬だった。
  • ナリタブライアン以外で唯一、1994年のクラシック三冠競走に皆勤したが惨敗続きで、皐月賞がブービーでなければ逆・三冠馬になるところだった。
  • 1993年の函館3歳ステークスでは唯一ナリタブライアンに先着している(サムソンビッグ2着・ナリタブライアン6着)。
  • 非常におとなしく、引き綱なしでも人間の後をついて歩いた。

関連タグ

94世代 JRA 競走馬

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