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プロフィール
馬名 | サムソンビッグ(Samson Big) |
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出身 | 日本 |
生年月日 | 1991年4月14日 |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
牡系 | パーソロン系 |
父 | サクラショウリ |
母 | シュンイチオーカン |
母の父 | フロリバンダ(Floribunda) |
近親 | ─ |
生産者 | サムソン牧場(門別町) |
馬主 | 田中由子 |
管理調教師 | 鹿戸幸治(栗東トレーニングセンター) |
主戦騎手 | 平地:鹿戸雄一等 障害:中竹和也 |
競走成績 | 35戦4勝
|
没年 | 不明(2011年2月まで存命確認) |
概要
※イラスト右の馬
三冠馬ナリタブライアンの同期で唯一のクラシック三冠戦皆勤など、JRAの平場・障害競走で活躍した。
主な勝ち鞍はきさらぎ賞(1994年)。
血統
父・サクラショウリはパーソロンの直仔で、種牡馬としてサクラスターオーなどの活躍馬を輩出。
母・シユンイチオーカンは地方競馬で43戦3勝の成績で、年藤(クリフジ)の玄孫に当たる。母父・フロリバンダはテスコボーイの成功を見て輸入されたプリンスリーギフト系の種牡馬であった。
現役時代
1993年
栗東の鹿戸幸治厩舎に入厩。
7月10日、鹿戸雄一騎手を鞍上に札幌競馬場の新馬戦(ダート1000m)でデビューし初勝利を飾った。
8月1日、札幌3歳ステークス(GⅢ)で重賞初挑戦。メローフルーツの15着に敗れた。
8月29日、クローバー賞(オープン)に出走し、ライネストウショウの5着に敗れた。
9月26日、函館3歳ステークス(GⅢ)に出走し、マリーゴッドの2着に敗れた。
10月23日、武豊騎手に乗り替わって萩ステークス(オープン)に出走し、イナズマタカオーの3着に敗れた。
11月6日、田原成貴騎手に乗り替わってデイリー杯3歳ステークス(GⅡ)に出走し、ボディーガードの14着に敗れた。
11月20日、芹沢純一騎手に乗り替わって福島3歳ステークス(オープン)に出走し、タイキウルフの2着に敗れた。
12月12日、鹿戸雄一騎手に乗り替わって朝日杯3歳ステークス(GⅠ)でGⅠ初挑戦。ナリタブライアンの13着に敗れた。
1994年
1月16日、芹沢純一騎手に乗り替わってシンザン記念(GⅢ)で始動。ナムラコクオーの11着に敗れた。
2月26日、田所秀孝騎手に乗り替わってきさらぎ賞(GⅢ)に出走。押し出されるように先頭となり、そのまま逃げ切って重賞初勝利。デビュー戦以来の勝ちとなった。
3月27日、鹿戸雄一騎手に乗り替わってスプリングステークス(GⅡ)に出走し、ナリタブライアンの9着に敗れた。
4月17日、田所秀孝騎手に乗り替わって皐月賞(GⅠ)に出走し、ナリタブライアンの17着に敗れた。
5月8日、京都4歳特別(GⅢ)に出走し、イイデライナーの14着に敗れた。
5月29日、東京優駿(GⅠ)に出走し、ナリタブライアンの18着に敗れた。秋に向けて休養に入る。
11月6日、小島貞博騎手に乗り替わって菊花賞(GⅠ)に出走し、ナリタブライアンの15着に敗れた。
12月11日、渡辺薫彦騎手に乗り替わって愛知杯(GⅢ)に出走するが、最終直線で内ラチに突っ込み落馬・競走中止となった。
1995年
4月22日、小島貞博騎手に乗り替わって栗東ステークス(オープン)で始動。マルタカトウコウの16着に敗れた。
5月6日、シルクロードステークス(オープン)に出走し、ゴールドマウンテンの15着に敗れた。
6月3日、菊沢隆仁騎手に乗り替わって阪急杯(GⅢ)に出走し、ボディーガードの7着に敗れた。
6月18日、金鯱賞(GⅢ)に出走し、サマニベッピンの10着に敗れた。
7月2日、東海ステークス(オープン)に出走し、チアズアトムの12着に敗れた。
8月13日、菊地昇吾騎手に乗り替わってマリーンステークス(オープン)に出走し、ニホンピロスタディの13着に敗れた。
9月3日、鹿戸雄一騎手に乗り替わって青函ステークス(オープン)に出走し、ホクトフィーバスの10着に敗れた。
9月30日、蛯名正義騎手に乗り替わってオータムスプリントステークス(オープン)に出走し、ホクトフィーバスの9着に敗れた。
10月14日、菊地昇吾騎手に乗り替わってオパールステークス(オープン)に出走し、ニホンピロスタディの8着に敗れた。
11月5日、千田輝彦騎手に乗り替わって秋野ステークス(オープン)に出走し、ウインドフィールズの3着に敗れた。
12月10日、植野貴也騎手に乗り替わって愛知杯に出走し、サウンドバリヤーの13着に敗れた。平地で結果が出ないため障害に転向する事となる。
1996年
1月20日、中竹和也騎手に乗り替わって京都競馬場の障害未勝利戦(ダート2910m)で始動。レースレコードで1着。2年ぶりの勝利となった。
2月24日、阪神競馬場の障害戦(400万下)に出走し、ミスタードクターの4着に敗れた。
3月17日、阪神競馬場の障害戦(400万下)に出走し、クリノホウオウの2着に敗れた。
5月12日、京都競馬場の障害戦(400万下)に出走し、アップサージの2着に敗れた。
6月8日、中京競馬場の障害戦(400万下)に出走し1着。故障により長期の休養に入る。
1997年
6月1日、中京競馬場の障害戦(オープン)で1年ぶりに復帰。ポレールの3着に敗れた。
6月29日、福島競馬場の障害戦(オープン)に出走し、フジヤマダイセンの8着に敗れた。
7月19日、小倉障害ステークス(オープン)に出走し、ネオチャイムズの6着に敗れた。このレースを最後に現役引退。
引退後
引退後は去勢され、サムソン牧場へ戻る。
1998年、筑波大学馬術部に譲渡。翌年4月1日、筑波大学馬術部所属の乗馬として日本馬術連盟に登録され、以降は馬術競技で活躍。
2008年には栃木県の乗馬クラブ「那須トレーニングファーム」に移籍し、翌2009年12月に馬術競技を引退。
その後は2011年2月にホースショーに出場した記録を最後に、消息は不明となっている。
エピソード
- 馬名は「サムソン」、「ビッグ」といかついが、馬体重400kg台前半という小さな馬だった。
- ナリタブライアン以外で唯一、1994年のクラシック三冠競走に皆勤したが惨敗続きで、皐月賞がブービーでなければ逆・三冠馬になるところだった。
- 実は生涯でただ一度だけ、ナリタブライアンに先着している(93年函館3歳ステークス、サムソンビッグ2着・ナリタブライアン6着)。
- 非常におとなしく、引き綱なしでも人間の後をついて歩いた。