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サクラエイコウオー

さくらえいこうおー

1993年から1997年までJRAで現役生活を送った競走馬。おもな勝ち鞍は弥生賞(GⅡ)・七夕賞(GⅢ)。
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概要編集

1993年から1997年までJRAで現役生活を送った競走馬

父:マルゼンスキー 母:サクラハツユキ 母父:パーソロン

通算15戦5勝。主な勝ち鞍は弥生賞七夕賞など。

優れた能力を持ちながら気性難で折り合いを欠く事が多く、逸走暴走がネタにされがちだった。

同世代にはヒシアマゾンサクラローレルナリタブライアンエアダブリンヤシマソブリンビコーペガサスなどがいる。

漫画「新・優駿たちの蹄跡」(やまさき拓味)の「100円玉の感動」で、サクラエイコウオーが取り上げられている。


略歴編集

デビュー前

1991年6月1日、日高郡静内町(現在は新ひだか町)の谷岡牧場に誕生。

1992年、さくらコマース馬主となり、美浦境勝太郎厩舎入厩。調教時計は2歳No.1を連発し、「関東の一番馬」と評価され期待を集めた。

主戦は小島太騎手となる。


1993年

9月11日、中山競馬場の新馬戦(芝1200m)でデビュー。最終コーナーを曲がらずに逸走し競走中止。

10月10日、東京競馬場の未勝利戦(芝1400m)では道中怪しかったものの初勝利を挙げる。

11月13日、京王杯3歳ステークスに出走。最終直線で内ラチにぶつかり5着。

11月28日、赤松賞に出走し1着。圧勝であった。

12月12日、朝日杯3歳ステークスに出走。まるで抑えが利かず前半5ハロンを57秒6と暴走し、後半失速して14着と惨敗。


1994年

1月9日、京成杯に出走。3着に敗れるがビコーペガサスやヒシアマゾンと互角の勝負を繰り広げた。

2月5日、ヒヤシンスステークスに出走。逃げて圧勝。

3月6日、弥生賞に出走し、重賞初制覇。ゲート内で暴れて何度も立ち上がり、道中折り合いを欠き、小島太騎手からは「どこに行くか分からない、こんなんで勝っても全然うれしくない」というコメントが出た。

4月17日、皐月賞に出走し8着。レース前に小島太騎手が「今度は差す競馬で」と言っていたが、抑えが利かず逃げになってしまった。

5月29日、東京優駿に出走し11着。脚部不安から長期の休養に入る。


1995年

4月2日、休養明けでダービー卿チャレンジトロフィーに出走し、12着に敗れる。脚部不安から再び長期の休養に入る。


1996年

4月13日、横山典弘騎手に乗り替わり、休養明けで卯月ステークスに出走し、2着に敗れる。

5月11日、東信二騎手に乗り替わり、京王杯スプリングカップに出走し、11着に敗れる。

6月1日、エプソムカップに出走し、12着に敗れる。

7月6日、七夕賞(この年は中山競馬場で行われた)に出走し2年半ぶりの勝利。鞍上は2年目の西田雄一郎騎手で、何故かサクラエイコウオーは素直に指示に従った。西田雄一郎騎手の次の重賞勝利は14年後の2010年であった。脚部不安から再び長期の休養に入り、境勝太郎調教師の引退により小島太厩舎に転厩。


引退後

回復できないまま、1997年12月17日に現役引退となった。

功労馬として新和牧場で繋養されていたが、2023年12月30日、32歳で死去。

引退後は非常に穏やかな性格に変わっていた。


関連タグ編集

競走馬 94世代

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