※本馬をモチーフとした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘についてはビコーペガサス(ウマ娘)参照。
プロフィール
馬名 | ビコーペガサス(Biko Pegasus) |
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出身 | アメリカ |
生年月日 | 1991年2月8日 |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
牡系 | Danzig系 |
父 | Danzig |
母 | コンデッサ(Condessa) |
母の父 | コンドルセ(Condorcet) |
近親 | クリプトコンデッサ |
生産者 | Robert Steven Stable(ケンタッキー州) |
馬主 | 有限会社レジェンド |
管理調教師 | 柳田次男 |
主戦騎手 | 上村洋行、的場均 |
競走成績 | 27戦4勝 |
生涯獲得賞金 | 3億5785万4000円 |
没年 | 2019年6月11日(28歳没) |
概要
1991年2月8日アメリカ生まれ、94世代の短距離マイル戦線で長く活躍したマル外競走馬。
馬主はビコーアルファーなど冠名ビコーを使用していた有限会社レジェンド。
ダイヤモンドビコーなどゼンノ冠とビコー冠を併用している大迫氏(ゼンリン)の所有馬ではないので注意。
GⅠ2着惜敗3回、日本レコードを叩き出したりしながらもあと一歩で頂点を掴みそこねたシルバーコレクターだった。
通算27戦4勝、
主な勝鞍:94年京成杯、95年セントウルステークス
血統
母コンデッサの牝系子孫には2005年CBC賞勝ち馬シンボリグラン、23世代の牝馬三冠馬リバティアイランド等がいる。
現役時代
1993年11月6日、上村洋行が騎乗してダート1200mの新馬戦でデビュー、続くさざんか賞とダートで2連勝。
1994年、的場均騎乗の京成杯で芝レースに初挑戦、阪神3歳牝馬ステークスを勝利したヒシアマゾンを2着に下す強い競馬でデビュー3連勝を飾り、重賞初制覇。
この年のヒシアマゾンはJRA記録タイの重賞6連勝を記録する圧倒的な強さを示しており、ビコーペガサス以外に先着できた馬は三冠馬ナリタブライアン(有馬記念)しかいなかった。
しかしビコーペガサスはこの後骨折してしまい5ヶ月間休養、復帰戦のニュージーランドトロフィーではヒシアマゾンにリベンジを許す3着で初黒星を喫した。
12月のGⅠスプリンターズステークスでは前年にサクラバクシンオーが記録した日本レコードを更新してみせたが、それを上回るサクラバクシンオーの圧倒的な速さの前に2着。
1995年、武豊騎乗のセントウルステークスで京成杯以来1年9ヶ月ぶりの勝利、重賞2勝目。スプリンターズSではヒシアケボノの前に2年連続2着となる。
1996年、GⅠに昇格した高松宮杯では同期三冠馬ナリタブライアンを破ったものの、フラワーパークの2着に惜敗。これがGⅠ3回目の2着となる。
スプリンターズSは故障したニホンピロスタディによって不利を受けたことが大きく響き、フラワーパークのスプリント春秋連覇の陰で7着。
1997年にはGⅠに昇格したフェブラリーステークスでダートに挑戦、シンコウウインディの5着。高松宮杯はシンコウキングの10着、安田記念はタイキブリザードの6着。
1998年、改名高松宮記念でシンコウフォレストの6着、安田記念でタイキシャトルの13着を最後に現役を引退。
ビコーペガサスは1200mだと短く1600mだと長い、1400mがベストの馬だったのだが、日本に1400mのGⅠ競走は当時はおろか2023年現在も存在せず、GⅠホースにはなれなかった。
430~40kg程度と小柄なビコーペガサスに対し、ヒシアケボノは最重量GⅠ勝利記録を持つ日本屈指の巨漢馬で、馬体重が100kg以上違う珍しい”凸凹ライバル”関係だった。
現役引退後
産駒には条件戦を勝ち上がったマグネティックマンがいる程度で繁殖に上がった牝馬はおらず、これといった成績を残すことは出来なかった。
2001年には腰の骨折のため1年間種付けを休養するアクシデントに見舞われたこともあって、以後ほとんど産駒は送り出せないまま、2006年シーズンを最後に種牡馬を引退。
種牡馬引退後は新ひだか町の功労馬管理施設「Rolling eggs clubステーブル」にて余生を送る。
2018年、同じ新ひだか町の「西川富岡牧場分場」に移動。