概要
主にGⅠ戦線で善戦しているも、なかなか勝利できない競走馬に使われることが多い。
略は「シルコレ」。
よしだみほの漫画「馬なり1ハロン劇場」に登場する「ブロコレ倶楽部」で一躍有名になった概念(設立メンバーはナイスネイチャ・ロイスアンドロイス・ホッカイルソーで、初登場となった第11巻ではメジロブライトを勧誘していた)。
2歳GⅠやクラシックを勝利後、古馬となってから善戦を繰り返す馬も含まれる場合がある。
ちなみに3着が多い馬は「ブロンズコレクター(ブロコレ)」と呼ばれるが、大体シルコレとひとまとめにされることもしばしば。
主なシルコレ・ブロコレ馬
太字はGⅠ、斜体はGⅡ、普通はGⅢ、特別競走は()内に格付けを表記。
一般競走は競走名を()で括る。
馬名の太字は「馬なり1ハロン劇場」におけるブロコレ倶楽部のメンバー。
現在と格付けが違うレースについては開催当時のものとする。
また、1984年以前の馬については、まだ格付けが存在していない時代のため八大競走のみ太字とする。
シルコレ・ブロコレのまま引退した馬
2着:1950年朝日杯3歳S、1951年皐月賞・東京優駿・毎日王冠・セントライト記念、1952年東京杯
生涯戦績32戦21勝2着8回3着2回、3着を外したのは1度のみ。4度のレコード勝ちもあり、2000m以下の競走では同期の無敗二冠馬トキノミノル以外に先着を許したことはない。一方で2000mを超える距離の競走では同期のミツハタなどに阻まれ1度も勝利しておらず、その適性上天皇賞へも1度も出走していない。当時2000m以下の重要な競走は少なく、21勝のうち19勝が一般競走で、ビッグタイトルを奪取することもなかった。
主な勝ち鞍:1957年金杯、
2着:天皇賞(春)、毎日王冠、スプリングS、東京杯、金杯、スプリングH等
5着:皐月賞
元祖シルバーコレクター。
母は中央競馬最高連勝記録トップを80年保持し続けている伝説の名牝・クリフジ。父は輸入馬のグレーロード。姉に史上4頭目の二冠牝馬・ヤマイチと現在にまでクリフジの血を残し続ける牝系の祖となったイチジヨウがいる。
母や姉と同じく尾形藤吉厩舎の所属馬で、同世代のハクチカラ、ケンセイと共に「尾形の三羽鳥」と謳われた。重賞勝利は金杯のみではあるが、その金杯ではハクチカラやオークス馬フエアマンナ、更には秋天馬であるミツドファームらに2馬身差で圧勝するなど八大競走を勝つ馬に決して引けを取らない実力を持っていたことがうかがえる。
因みに芦毛馬である。
主な勝ち鞍:1957年朝日杯3歳S、1958年阪神大賞典、1959年中京記念・鳴尾記念
2着:1958年皐月賞・東京優駿・菊花賞・NHK杯・毎日王冠、1959年天皇賞(春)
3着:なし
25戦13勝2着11回、連帯を外したのは1度のみ。三冠競走全てで2着という日本競馬史上1頭しかいない珍記録の持ち主であり、しかも勝ち馬が全て異なり、皐月賞はクビ差、東京優駿はハナ差、菊花賞は半馬身差と全て惜敗。古馬になって挑んだ天皇賞でもクビ差の2着に惜敗している。
2着:1979年~1980年天皇賞(秋)、1979年有馬記念
当時シルコレの概念はまだなかったが、かなり古い時代の善戦ホース。惜敗も多く8歳時には重傷を負ったが、目黒記念(秋)(当時は年に2回開催)で復活勝利した。
自身に生殖能力がなかったため種牡馬にはなれなかったが、引退後は東京競馬場で誘導馬として親しまれた。
主な勝ち鞍:1985年弥生賞、1986年AJCC・京都記念、1987年阪神大賞典
祖母が二冠牝馬ミスオンワードとなかなかの良血。しかし同期の二冠馬ミホシンザンには結局一度も勝てないままだった。
3着:1988年スプリンターズS、1989年・マイルCS
クラシックは惨敗したものの、GⅡ2勝・GⅢ3勝と実力はあった。主戦の柴田善臣に「競馬を教わった」と言われるほどのコンビとしても知られる。
主な勝ち鞍:1991年鳴尾記念・京都新聞杯・小倉記念、1994年高松宮杯
2着:1993年日経新春杯、1993年・94年産經大阪杯、1995年京都記念
3着:1991年~1993年有馬記念、1992年マイルCS、1992年・93年毎日王冠、1993年阪神大賞典
GⅠに16回出走したブロコレ馬の代表格。特に有馬記念3年連続3着は非常に有名。
馬なり1ハロン劇場の影響もあって競馬ファンから人気を集め、善戦マンとしてのアイドルホースの地位を築いたパイオニアとなる。GI勝ち鞍こそ無いものの、6年間の競走馬生活の中で6億を超える賞金を稼ぎ、同期でGI4勝のトウカイテイオーに肩を並べるほどになった。
引退後もワイド馬券のポスターに彼の写真が使われる、ウマ娘に登場したこともありバースデードネーションが開催されるなどと愛され続け、2023年5月に静かにこの世を去った。
主な勝鞍1991年ブリーダーズゴールドカップ、1992年日経新春杯。
2着・19992年春の天皇賞、1992年安田記念、1992年宝塚記念、1992年阪神大賞典。
3着・ 1991年札幌記念、1991年秋の天皇賞。
メジロライアンやメジロマックイーンらの同期で、史上初・史上唯一となる春GI3連続2着の珍記録を達成。
主な勝ち鞍:1990年葉牡丹賞(500万下)、1994年東京スポーツ杯(OP)
2着:1991年皐月賞・京都新聞杯、1992年AJCC・アルゼンチン共和国杯、1993年新潟大賞典
3着:1992年・93年日経賞・1992年新潟大賞典、1995年金杯(東)
上のナイスネイチャと同期。'91年皐月賞でトウカイテイオーの2着に入着し、共に三冠馬の息子とあってライバルと見なされるも、ダービーでは8着完敗、テイオー不在の菊花賞も5着と振るわずクラシックを終える。
以後重賞戦線を走るが、ほとんどのレースで掲示板に入るも勝利が遠い日々が約3年も続き、久方ぶりの勝利を挙げたのがテイオーの引退式の日だったことは話題を呼んだ。
45戦3勝、重賞未勝利という戦績で引退したが獲得賞金額は3億を超え、ミスターシービー産駒の中でトップである。
主な勝ち鞍:1994年むらさき賞(1500万下)・サロベツステークス(1500万下)
2着:1993年セントライト記念
3着:1993年青葉賞(OP)、1994年オールカマー・天皇賞(秋)・ジャパンカップ
「別名・最強の3勝馬」。未勝利戦で2~3着を繰り返し、勝ち上がっても3着ばかりの馬。なぜか未勝利の身で当時オープン戦の青葉賞に出走したことでも知られる(なお上記の通り3着でダービーには出られず)。
主な勝鞍:1994年中日新聞杯
2着:1993年~1995年愛知杯
3着:1992年鳴尾記念
条件戦で2着11回3着5回、その後は史上初の同一重賞3年連続2着を達成。
2着:1994年~1995年スプリンターズS、1996年高松宮杯
アメリカ産馬。GⅢまでしか勝てなかったが強烈な追い込みが特徴。上記京成杯ではヒシアマゾンに勝利している(1994年彼女に勝利したのはペガサス以外だとあのナリタブライアンのみ)。
体重が400kg台前半の小柄な馬でもあり、巨体を誇る同時期のスプリント馬・ヒシアケボノと比べると100kg以上の体重差があった。
2着:1995年弥生賞
クラシックは皐月賞・ダービー4着、菊花賞3着と微妙な結果に終わり、その後も重賞戦線で好走を続ける。屈腱炎で3年ほど休養したが、復帰後のオールカマーでレコードのおまけつきの復活勝利を遂げた。
2着:1999年桜花賞、1999年~2000年エリザベス女王杯
牝馬三冠は桜花賞2着、オークスと秋華賞は5着と惜敗。しかし全21戦中掲示板の圏外だったのは4戦のみと成績は安定している。
2005年には息子のフサイチリシャールが朝日杯FSに勝利し、母の無念を晴らした。
主な勝鞍:1998年新潟3歳S、1999年京阪杯、2001年小倉記念、2002年オールカマー、2003年小倉記念
2着:1998年京王杯3歳S、2000年北九州記念・京阪杯、2001年~2002年北九州記念、2001年毎日王冠
3着:2000年小倉記念・京都大賞典
史上2頭目の同一重賞3年連続2着、↓のローズバドやヴィータローザと同様に薔薇一族。
主な勝ち鞍:2001年フィリーズレビュー、2003年マーメイドS
2着:2001年優駿牝馬・ローズS・秋華賞・エリザベス女王杯
薔薇一族の1頭。オークス~エリ女の4戦連続で2着という珍記録を残す(彼女のWikipediaの項目にはご丁寧にも「2着」の文字が太字で書かれている)。
息子のローズキングダムは2009年朝日杯FS、2010年ジャパンカップを制している……が、その後はほとんど2桁着順で終わっている。
主な勝鞍:2003年ラジオタンパ賞・セントライト記念、2006年中山金杯
2着:2004年朝日CC、2005年金鯱賞、2006年小倉記念
3着:2005年新潟記念、2006年新潟記念、2007年新潟大賞典
デビューから5連続3着、重賞の3着も3回のブロンズコレクター、薔薇一族。
主な勝ち鞍:2002年(白富士S)
2着:2001年毎日杯、2002年アルゼンチン共和国杯、2003年日経新春杯・阪神大賞典、2005年京都大賞典
3着:2002年日経賞・七夕賞・札幌記念・有馬記念、2005年札幌記念・アルゼンチン共和国杯
重賞2着5回・3着6回で計11回は重賞未勝利馬の歴代1位タイ、重賞未勝利馬の獲得賞金歴代2位。
主な勝鞍:2003年朝日CC、2006年関屋記念
2着:2003年新潟記念・中日新聞杯、2004年鳴尾記念、2005年新潟大賞典、2006年京王杯オータムハンデ、2007年京王杯オータムハンデ
3着:2003年中山金杯、2004年中京記念・大阪杯
2着12回3着5回、重賞2勝2着6回3着3回。
主な勝ち鞍:2004年阪神大賞典、2005年京都大賞典、2006年日経賞
3着:2004年宝塚記念、2005年有馬記念
半弟に2007年の皐月賞馬ヴィクトリーがいる。
同期のネオユニヴァース・ゼンノロブロイ、さらには年下のディープインパクトの存在もありなかなか勝ちきれず。一応菊花賞馬のザッツザプレンティにはリベンジできているのだが……。
主な勝鞍:2005年フローラS、2007年京都牝馬S・愛知杯
3着:2005年優駿牝馬、2006年マイラーズC・ヴィクトリアマイル・オールカマー・府中牝馬S・エリザベス女王杯
2006年に重賞5連続3着を達成、しかもエリザベス女王杯は4着入線だったが1位入線のカワカミプリンセスが12着へ降着になったため、4着から3着へ繰り上げとなっての物。
主な勝ち鞍:2004年ニュージーランドトロフィー、2007年浦和記念
2着:2005年マイルCS南部杯・東京大賞典、2006年JBCクラシック、2005年~2006年川崎記念、フェブラリーS、JCダート
母は日本調教馬初の海外GⅠ制覇を成し遂げたシーキングザパール。ダートGⅠで2着を9回も記録(後にフリオーソに抜かれたが、GⅠ未勝利馬では依然最多記録を誇る)。
引退後はチリに輸出され、GⅠ馬を複数輩出している。
2着:2006年皐月賞・菊花賞・ジャパンC、2007年阪神大賞典
3着:2006年東京優駿
一応ディープ引退試合の有馬では同期最高の4着で入線している。だがその後はあまりパッとしない成績で引退した。
クレディセゾンのCMに登場した馬は彼がモデル(「ぼく、ドリームパスポートです」というナレーションがあるが、実馬の映像ではなくCGでモデリングしている)。ちなみに下記ステイゴールドの甥。
主な勝鞍:2008年アメリカジョッキークラブカップ
2着:2005年AJC杯、2006年函館記念・富士S、2007年東京新聞杯・中山記念、2008年中山金杯、2009年AJC杯、2010年日経賞
3着:2005年京阪杯、2006年中京記念、2008年中山記念、2008年・2009年有馬記念
重賞2着8回3着5回、有馬記念2年連続3着など活躍。姉にエアメサイア、親戚にエアシャカールがいる。
主な勝ち鞍:2007年スワンS、2008年京王杯SC・毎日王冠、2009年マイラーズC
2着:2005年朝日杯FS、2007年~2008年マイルCS、2010年安田記念
クラシックでは大敗しマイル路線へ。脚部不安と戦いながらもGⅡを複数勝利している。
主な勝鞍:2008年(ディセンバーS)
2着2006年:京成杯・セントライト記念、2009年福島記念、2010年中山金杯・新潟記念
3着2008年新潟記念、2009年・2010年AJC杯、2008年・2010年オールカマー、2010年福島記念
重賞2着5回3着6回の計11回は重賞未勝利馬の歴代1位タイ、重要未勝利馬の獲得賞金歴代4位。
2着:2011年東京優駿・神戸新聞杯・菊花賞、2013年有馬記念、2014年天皇賞(春)
3着:2012年天皇賞(春)
だいたいオルフェーヴルのせい。
彼に先着したのは2012年の春天のみ。そのせいかオルフェの追っかけ扱いされることも…。
ちなみに父は下記ハーツクライで、オルフェの父は下記ステイゴールドである。そして調教師は上記ナイスネイチャの主戦だった松永昌博と、つくづくシルコレ・ブロコレに縁のある馬である。
主な勝ち鞍:2014年はなみずき賞(500万下)
2着:2014年京都新聞杯・神戸新聞杯・菊花賞、2015年京都大賞典・有馬記念、2016年日経賞・ジャパンC
別名「最強の2勝馬」。重賞では24戦して2着7回、あとは4着以下という極端すぎる成績の持ち主。何気に4億6700万円稼いでいる。
2着:2014年阪神JF、2016年JBCレディスクラシック、2017年スプリンターズS、2017年~2018年高松宮記念
珍名馬ともとれるユニークな名前と可愛らしい馬体・行動から愛さ続けれた存在。オークスと秋華賞で惨敗したのでスプリント・マイル方面に転向、芝・ダート問わず走り続け7歳までと長く現役を続けている。
勝利したのは新馬戦と上記2戦のみだが、引退レースとなった2019年阪神C(4着)の後に異例ともいえる引退式が行われた。
主な勝ち鞍:2017年府中牝馬S
2着:2017年~2019年エリザベス女王杯
3着:2019年ヴィクトリアM
下記ステイゴールドの娘。着外も結構あるのだが特筆すべきはエリ女3年連続2着の珍記録。
- ナックビーナス
主な勝ち鞍2018年キーンランドカップ。
2着2017年~2020年オーシャンステークス。
3着2017年キーンランドカップ・2018年高松宮記念・2018年函館SS。
史上初の同一重賞4年連続2着、史上唯一の中央同一重賞4年連続2着の2つの記録を保持している。
主な勝ち鞍:2017年(2歳未勝利)
2着:2018年青葉賞・神戸新聞杯・菊花賞、2019年日経賞
こちらも下記ステイゴールドの息子で別名「最強の1勝馬」。しかも彼とは違い3着が全く無い生粋のシルコレ。なのにもかかわらず2億円稼ぎ、ほぼ功労馬扱いながら種牡馬入りまでしている。
主な勝ち鞍:2019年スイートピーステークス(L)
2着:2019年優駿牝馬・秋華賞・ジャパンC、2020年京都記念・オールカマー、2021年日経賞
3着:2021年天皇賞(春)
そもそも彼女の世代は牝馬大躍進の世代だったので、しょうがないと言えばしょうがないのだが(三冠を分け合った牝馬は全員古馬でも大活躍している)。というか先頭に立つと不安になってつい譲ってしまう性格らしい。
特に2021年春天ではグレード制導入以降牝馬初の3200mの天皇賞3着以内という大記録をやってのけた。ちなみにこの時の勝ち馬ワールドプレミアとは現役後半ではほとんど同じようなローテで走って着順も近く、引退のタイミングもほぼ一緒である。
故障し結果的に引退レースとなってしまった2021年天皇賞(秋)の12着以外は掲示板を外していない。
先述の「アイドルホースオーディション」でもぬいぐるみ化されている。
主な勝ち鞍:2018年(2歳未勝利)
2着:2019年チューリップ賞・桜花賞、2020年中日新聞杯
カレンブーケドールの同期。
エタリオウと同じく未勝利戦しか勝っていないが、3歳時を中心に1億6000万円以上稼いだ。
クラシックは全て複勝圏内と善戦。だがその後はやや苦戦気味で、現役後半は掲示板に載るのもままならず。
主な勝ち鞍:2018年京都新聞杯、2022年レッドシーターフハンデキャップ・ドバイゴールドカップ
2着:2019年中山金杯・京都記念・福島記念、2020年AJCC、2022年京都記念
3着:2017年ホープフルS、2018年チャレンジC、2019年鳴尾記念・函館記念、2020年京都記念・目黒記念・オールカマー
ステイゴールド産駒。親父譲りのシルコレ・ブロコレだったが2022年に突如覚醒、海外重賞を複数制覇した。同年、香港ヴァーズで親子制覇をねらう・・・はずだったが、凱旋門賞で惨敗したあと怪我で引退。しょうがない。
3着:2021年弥生賞・マイルCS、2022年関屋記念・毎日王冠、2022年大阪杯
無敗でホープフルSを制したが、その後一度も勝利出来なくなった。しかし2022年夏からは再び好調子になり、4戦連続3着以内に入ることができ(途中に父とは少し別の意味の破壊力を見せたこともあったけど)、2度目のGI制覇を期待されていたが、惜しくも引退に。
主な勝ち鞍:2021・2023年東京スプリント・クラスターC
2着:2021年北海道スプリングC、2021年・22年カペラS、2022年東京盃・JBCスプリント
3着:2022年北海道スプリングC
6歳で覚醒した短距離ダートの新星(?)。こちらも前述のアエロリットと同じくシルバーコレクターお似合いの毛色(芦毛)である。(ちなみに馬名は女の子っぽいが、リュウノユキナは牡馬である)
2023年に中央から船橋に移籍。ビッグタイトルはあと一歩の所で届かず引退へ。
シルコレ・ブロコレを脱却した馬
主な勝ち鞍:1973年天皇賞(春)
3着:1972年東京優駿
四白流星(脚4本と額が白い馬。他にはメリーナイスやヤエノムテキなどが有名)の美しい見た目で「貴公子」と呼ばれた。クラシックでは惜敗したため「無冠の貴公子」とネタにされたが、翌年の天皇賞(春)でリベンジ。「無冠の貴公子に春が訪れます!」の実況は有名。
死後20年以上が経った2022年の正月には生産牧場がTwitterで「ウマ娘に出す」と発言したことで一躍話題に。
3着:1981年有馬記念
良馬場では好走するが、重馬場や雨の日が苦手なため「太陽の王子」と呼ばれた。6歳時にようやく天皇賞(春)を勝利し、上述したタイテエムにあやかって「無冠の貴公子に春が訪れてから9年目、無冠のプリンスにも春が訪れました!」と実況された。
主な勝ち鞍:1991年宝塚記念
若き日の横山典弘騎手に競馬の厳しさを教えた馬として有名で、多大な影響も与えた2頭(もう1頭はホクトベガ)の内の1頭。下記メジロブライトの父でもある。
旧4歳時はメジロマックイーンやオグリキャップに負かされていたが、5歳で宝塚記念を制覇。しかしその後屈腱炎を発症し引退した。
ステイゴールド・メイショウドトウ・ウインバリアシオン以前の、惜敗馬としてナイスネイチャと並ぶ代名詞的存在だった。
主な勝ち鞍:1997年安田記念
3着:1995年安田記念
アメリカ産馬。1995年はグランプリ共に2着、翌年の安田記念でも好走するもGⅠ勝ちはなかった。しかし1997年の安田記念でついにGⅠを勝利。何気に1996年BCクラシック(13着)と引退試合の1997年有馬記念(9着)以外掲示板を外していない、安定した成績を誇った。
主な勝ち鞍:1997年(阿寒湖特別)、2000年目黒記念、2001年日経新春杯・ドバイシーマC・香港ヴァーズ
2着:1998年天皇賞(春)・宝塚記念、1998年~1999年天皇賞(秋)
3着:1998年有馬記念・1999年宝塚記念
メイン画像の馬で、ナイスネイチャと双璧をなす善戦ホースの代名詞。
荒い気性に由来する斜行癖もあり、阿寒湖特別勝利後は3年ほど重賞未勝利のまま好走を繰り返し、「ゴールドの前でステイ」「阿寒湖」などと揶揄された。しかし裏を返せば90年代後半~00年代前半にかけての競馬史の生き字引のような存在でもあり、同い年で同父の逃亡者の栄光と悲運の最期、1歳年下のライバル達との激闘、世紀末覇王の無双などをその目で見届けてきた。29連敗中GⅠ2着4回、5着以内22回、獲得賞金5億円という善戦っぷりである。
2000年の目黒記念で久々の勝利。この時GⅠ未勝利なのにもかかわらずヒーロー列伝が作られたほど。翌年のドバイシーマCではトゥザヴィクトリーの帯同馬だった身なのに勝利(なお20年後に孫が同じことをやってのけた)。そして50戦目にして引退試合の香港ヴァーズで見事な差し切り勝ち。しかも日本生産・調教馬初の海外GⅠ制覇のおまけ付きである。漢字表記の「黄金旅程」に相応しい大団円で競走生活に幕を下ろした。なおこの時最後に差し切って2着となったエクラールも、また奇妙な軌跡を辿るが詳細は次を参照。
引退後は種牡馬としても大活躍。ドリームジャーニー&オルフェーヴル兄弟、ゴールドシップ、オジュウチョウサンといった高い競走能力を受け継ぐ名馬を多数輩出したが、一方でシルコレ・ブロコレの産駒もかなり目立つのも特徴。シルコレ・ブロコレの多さは晩生傾向が引き継がれているためと思われるが、一方であまりに名馬を量産するため「現役時代は手抜きしていたのでは?」という疑惑も絶えない。
彼自身は2015年に21歳で生涯を終えたが、「黄金の旅路」は今なお続いている。
主な勝ち鞍:2003年ジョッキークラブ大賞 (イタリア)
2着:2001年香港ヴァーズ、2002年共和国大統領賞(イタリア)
3着:1999年レーシングポストトロフィー(アメリカ)、2002年ジョッキークラブ大賞、香港ヴァーズ、ドバイシーマクラシック(UAE)
前項のステイゴールドが最後に差し切った馬として、日本でもその名前が知られるが、そんな彼もまた世界各国を転戦としながらなかなかGⅠに勝てず、2002年は3戦連続GⅠ3着も達成。2003年、引退レースのジョッキークラブ大賞(現在はGⅠⅠ)でG1初勝利、というまるで2年前香港で自分を負かした馬と似たような軌跡を辿っている。
主な勝ち鞍:1997年ステイヤーズS、1998年AJCC・阪神大賞典・天皇賞(春)、1999年日経新春杯
2着:1998年有馬記念、1998年~1999年天皇賞(春)・京都大賞典
クラシック時は3戦連続で3着。しかしその後は4戦連続で重賞を勝利した。特に天皇賞(春)では「メジロ牧場に春!羊蹄山の麓に春!!」と実況されている。だが次走の宝塚記念ではゲート内で暴れて11着と大敗、以降は1つ下の世代の台頭もありシルコレに。
主な勝ち鞍:1999年菊花賞、2001年~2002年阪神大賞典
2着:1999年東京優駿
特筆すべきは天皇賞(春)3年連続3着というナイスネイチャもかくやという珍記録。宝塚記念に三年出なかったが苦手とする重馬場ではなく良馬場になったり、覇王が引退したかと思えば新たな強者に遅れをとる、大飛び走法のため小回りのきく中山競馬場は苦手だったが、府中が改修中だったので2002年の天皇賞(秋)とジャパンカップがよりによって中山開催になってしまったりと、つくづく不憫な馬でもあった。
主な勝ち鞍:2000年金鯱賞・オールカマー、2001年宝塚記念
2着:2000年宝塚記念・天皇賞(秋)・ジャパンC・有馬記念、2001年天皇賞(春)
3着:2001年天皇賞(秋)
だいたいテイエムオペラオーのせい。
アイルランド出身のためクラシックには出られない……どころの問題ではなく、実力が伸びずに同期ライバルと競うレベルですらなかった。そんな弱い馬が古馬になると一変。2000年の宝塚記念以降、古馬王道戦線で6戦連続オペラオーとワンツーと、他馬を寄せ付けずもはや様式美になっていた。翌年の宝塚記念でついにリベンジに成功。ただしオペラオー不在のGⅡ・GⅢでは逆にドトウが無双していたためどっちもどっちである。
同期たちが続々と天に召されていく中、2023年現在も存命。2つ年上のタイキシャトルとは彼が2022年8月に亡くなるまで仲良くやっていたが、「オペラオー」という言葉を聞くと露骨に嫌そうな態度を取るらしい。…といっても、実際のところオペラオーとはそんなに仲が悪くなかったのだとか…そんな中最近になってオペラオーの鞍上を務めていた騎手がドトウの元を訪れた際、温厚な彼にしては珍しく耳を絞って威嚇し、噛み付こうとしていたことからその人物=オペラオーと認識していたのではないかという疑惑が浮上した。
主な勝ち鞍:2001年エリザベス女王杯
クラシックからなかなか勝ちきれないレースが続く。2001年のエリ女で今までの先行策から一転差し切り、その名に恥じない勝利を手にした。
何気にドバイワールドカップ2着、テイエムオペラオーに先着という記録は牝馬では彼女だけが持つ。
主な勝ち鞍:2001年アーリントンC、2002年宝塚記念、2003年新潟大賞典
クラシックは善戦したものの勝利はなし。翌年の宝塚記念でついにGⅠ制覇を果たす。屈腱炎を発症して一度引退するが、治りが早かったという理由で撤回。地方に転属して走り続けた。引退後は乗馬になったが肺炎で命を落とした。
2着:2002年~2003年宝塚記念、2003年天皇賞(秋)
惜敗が多く何かと歯がゆい競馬ばかりしていたが、2004年安田記念で念願のGⅠ初制覇。
2024年現在も存命で、YouTubeでは元気な姿を見ることができる。
3歳~4歳中盤までは善戦マンに甘んじていた(ダービーはキングカメハメハがレコード勝ちし、ジャパンCではアルカセットと3cm差と惜しいところまでには来ていた)が、年末に突如覚醒。これまでの追い込みから脚質を変えて先行、なんとディープインパクト相手にジャイアントキリングをかました。ドバイでも逃げ切り勝ちした後は喉鳴りを発症し引退。
種牡馬としても優秀な成績を収めたが、産駒には父の特性を受け継いだのか「クラシック期くらいまではシルコレ→古馬になってしばらくすると突如覚醒してGI制覇」という傾向が多く見られ、特に世代最強クラスのディープ産駒や三冠馬相手に大金星を上げるといった馬がやたらと目立つ。
2020年に種牡馬を引退し、2023年3月にこの世を去った。
主な勝ち鞍:2012年JBCクラシック、2014年帝王賞、2015年かしわ記念
2着:2011年東京大賞典、2011年~2013年JCダート、2013年川崎記念・JBCクラシック
3着:2012年~2013年フェブラリーS、2013年帝王賞、2014年かしわ記念・JBCクラシック、2015年マイルCS南部杯、2013年・2015年東京大賞典
8年近く現役だったとはいえ好走がかなり多い、JCダートで史上初の同一GI3年連続2着を達成。
主な勝ち鞍:2010年鳴尾記念、2011年日経新春杯・金鯱賞、2012年AJCC・QEⅡC
2着:2012年宝塚記念
デビューしてから3歳中盤までは勝つのと負けるのを交互に繰り返すという極端な戦績だった。5歳時に香港のGⅠを制覇するがその後ブロコレ化。特に2012年の秋古馬三冠は全部出遅れて3着という史上2頭目の珍記録を残している(引退レースとなった有馬に至ってはゲート内で盛大に立ち上がっている。なおこの時の勝ち馬も後に全く同じことをしでかした)。
主な勝ち鞍:2013年~2014年ヴィクトリアM
2着:2012年桜花賞・優駿牝馬・ローズS・秋華賞・エリザベス女王杯
3着:2014年宝塚記念
だいたいジェンティルドンナのせい。というか2012年の牝馬三冠は全てこの2頭のワンツーで決着している。
彼女に先着できたのは結局2014年の宝塚だけだが、VMを連覇する実力はあった。……こらそこ、ジェンティルドンナ不在の空き巣とは言わない。
なお、秋華賞に関しては全妹のヴィブロスがリベンジしている。
主な勝ち鞍:2017年菊花賞
2着:2018年ジャパンC、2019年大阪杯、2019年~2020年宝塚記念
上記ルーラーシップの息子。
台風のため超絶不良馬場だった菊花賞を制した馬(案の定最終直線の時点でヘトヘトになる馬が続出。例年よりも15秒以上遅く、これ以上遅いタイムは戦前まで遡らないと存在しない)。
逃げ馬でもあり、2018年のジャパンCでは超ハイペースの逃げによりアーモンドアイのレコード勝ちに貢献し、自身も従来のレコードを超えて世界2位の記録を叩き出すなど、能力自体は間違いなく高かった……のだが、現役後半では親父譲りの出遅れ癖が炸裂していた。
結局重賞制覇は上記の菊花賞しかないが、「キセキ民」と呼ばれるファンを多数生み出し愛されていた。宝塚記念・有馬記念の投票でどちらも4年連続10位以内にランクインしたり、京都競馬場主催のイベント「アイドルホースオーディション」でぬいぐるみ化が決定したり、2021年の京都大賞典ではアナウンサーがキセキ贔屓の実況をしていたりとかなりの人気を誇った。
2着:2018年中山記念、2018年~2019年安田記念、2019年毎日王冠
3着:2019年天皇賞(秋)
「隕石」を意味する馬名の如く駆け抜けた芦毛の牝馬。上記キセキと同じく逃げ馬で、彼女のハイペースな逃げでレコード決着になったことも。「1800m~2000mならキセキの強化版」とも言われた。
2024年現在現役の馬
主な勝ち鞍:2020年京都新聞杯、2021・2022年阪神大賞典、2021年フォワ賞
2着:2021・2022・2023年天皇賞(春)、2021年有馬記念
国内GIレースでは2020年皐月賞と2022年有馬記念を除くと常に掲示板をキープする安定した走りを見せているもののGI勝利には中々手が届かず、ついに3年連続天皇賞(春)2着と同一JRAG1で3年連続2着の3頭目という記録を達成した。
また同時にGI未勝利馬の獲得賞金ランキング1位(6億4591万3800円)を更新しており、稀代のシルコレ馬という地位を着実に固めつつある。
その安定感と勝ち切れなさ、主戦騎手が豪腕に定評のある和田竜二騎手という面にも現れている特徴の1つのズブさも相まってファンは多く、一部界隈ではプボくんと呼ばれて愛されている。
余談だが、同一JRAG1で3年連続2着の他2頭についても全てに和田竜二騎手が乗っていた。
主な勝ち鞍:2021年神戸新聞杯
2着:2020年朝日杯フューチュリティステークス
皐月賞3着、ダービー3着、菊花賞4着でネタにされた。しかも菊花賞が阪神競馬場での代行開催だったのでさらにネタに。汚名返上はなるか。
主な勝ち鞍:2022年(一宮特別)(2勝クラス)
3歳3月の1勝クラスゆきやなぎ賞を勝利した後、京都新聞杯で3着になり賞金加算に失敗、日本ダービーに出走できず。秋には神戸新聞杯3着で優先出走権を得て出走した菊花賞はハナ差の2着、その後の有馬記念も2着。翌年の阪神大賞典では単勝1.8倍の圧倒的人気に推されたが2着。
主な勝鞍:2021年小倉2歳S、2022年函館スプリントS、2023年シルクロードS・キーンランドC
2着:2023年・2024年高松宮記念、2022年フィリーズレビュー、2021年ファンタジーS、2024年京都牝馬S
3着:2022年桜花賞、2023年・2024年スプリンターズS、2022年北九州記念
鋭い末脚を武器とする現役屈指のスプリンターだが、GIには惜しいところでいつも手が届かず、4歳春の高松宮記念以降スプリントGIでは4戦連続3着以内に入っている。
渋った馬場でも短い直線でも伸びてくるがGI舞台には届かない、いつの間にか獲得賞金は5億円を超え、重賞6勝のメイケイエールも超えてミッキーアイル産駒最多獲得賞金である。
隠れたシルコレ馬
皐月賞を制したあとはダービー、京都大賞典、菊花賞、ステイヤーズS、有馬記念いずれも2~3着が多かったため「馬なり」でブロコレ倶楽部入り。……が、レース内容を見ればシルコレというには強すぎるレースをしている(特に3600mのステイヤーズSからの連闘なのにグラスワンダーとスペシャルウィークの接戦に僅差の3着に突っ込んだ有馬記念)。
ダートGⅠ・JpnⅠを合計6勝したが、39戦中2着14回という記録を残している。
GⅠを6勝した名牝だが、2着もそれなりにあり、降着も2回経験している。父親のスペシャルウィークも地味に2着3着が多かったため親父譲りと言われることも。
条件戦で5連続2着、通算2着数18回は中央平地2着回数歴代1位タイ。
条件戦で4連続2着、通算2着数18回は中央平地2着回数歴代1位タイ、3着も11回。
条件戦で5連続2着、通算2着数16回は中央平地2着回数歴代3位、3着も11回。
条件戦で3連続2着が2回、通算2着数14回は中央平地2着回数歴代4位タイ、3着も4回。
条件戦で4連続2着、通算2着10回3着5回はかなりの物。
条件戦で4連続2着、通算2着10回3着6回はかなりの物。
条件戦で2着14回、その後重賞を3勝しGIでも3着を獲得。
条件戦で9戦連続2着の平地障害問わない中央最多記録を保持。2着14回3着5回。マイルCS勝ち馬パッシングショットの母でもある。
2着6回3着1回。
覚醒前の毎日王冠2年連続2着、13秋天の直前で重賞3連続2着、覚醒後のJC2着と度々2着とは縁があった。
2014年ドバイデューティーフリーにて世界一にはなったのだが、「馬なり1ハロン劇場」で「走っても走っても銀銀銀の銀魂(ぎんだましい)」とイジられた時のように馬名の由来となった漫画から銀という文字は付き纏う。
GI3勝馬であまりブロコレという印象はないが、1986年の秋は4戦連続3着、さらに史上初の秋古馬3冠で全て3着という珍記録を達成。
関連項目
横山典弘:そもそも馬ではなく騎手だが、1995年から2012年まで毎年GⅠで2着を取り続けた。2003年~2006年には菊花賞で4年連続2着などもあった程。
ル・サロン・ダルジャン:馬なり1ハロン劇場でレーヴドスカーが作った団体。日本語に訳すと「銀の会」であり、本人もジャパンカップに出るまで1勝2着6回3着1回4着1回だった(ジャパンカップは7着)。
橋口弘次郎:これまた馬ではなく調教師で、GⅠ15勝(中央は10勝)しているが、ダービー初制覇まで2着4回、さらにシルバーコレクターだった馬(ロサード・ダイタクリーヴァ・ローズバド・ヴィータローザ・ツルマルボーイ・ハーツクライ)も多かったためGIや重賞の2着・3着も非常に多かった厩舎。