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概要
2008年4月10日生まれ、父ハーツクライ 母スーパーバレリーナ。
2010年デビュー、2011年青葉賞で重賞初制覇、ダービー2着・菊花賞2着。
2012年春の天皇賞で3着、2013年有馬記念で2着。2014年日経賞で重賞2勝目、春の天皇賞でGI4回目の2着。
通算23戦4勝、そしてG1未勝利という、戦績としてはややパッとしない部分は否めない。
しかしその多くのレースで2着や3着という結果を残しており、シルバーコレクターながらウインバリアシオンを名馬と呼ぶファンが多い理由も頷ける。
ちなみにブロンズコレクターとして有名なナイスネイチャとは偶然ながら関係者が一部同じだったりする。
現役時代は怪我にも悩まされており、これによって競走馬としての能力を活用出来なかったことも悔やまれる。引退理由も後述の競走能力喪失によるものであった。
ライバル・オルフェーヴル
ウインバリアシオンをシルバーコレクターたらしめた一つの要因が、オルフェーヴル の存在である。
ライバルのオルフェーヴルには1勝4敗と負け越している。しかしその多くはオルフェーヴルに続く2着と好走しているのである。
ウインバリアシオンの走りは競馬ファンの多くを魅了するものであった。ただ、ライバルとされたオルフェーヴルが強すぎた。
ちなみにオルフェーヴルの引退レースでもウインバリアシオンは出走しており、そこでも2着、しかも8馬身差を付けられての大敗に終わる。最後の最後までウインバリアシオンはオルフェーヴルをライバルとして競い続けた。
ウインバリアシオンの引退はそれから約2年後であったが、その頃からは以前にも増して故障不安が付きまとうように。
好敵手が消えても、フェノーメノ、ゴールドシップ、ジェンティルドンナら12世代の群雄割拠状態であり、彼らと戦わなければならないのに体調不安に悩まされるというのは不運なことであった。2014年初戦の日経賞を勝ち、天皇賞(春)で惜しくもフェノーメノの2着になった後の宝塚記念で7着と同時に屈腱炎が再発、復帰戦の金鯱賞・有馬記念では2桁着順となってしまった。
そしてフェノーメノ、ジェンティルドンナが引退した2015年の天皇賞(春)、ゴールドシップが内枠から大外回りで大きくまくっていった中で12着。そのレースで異常が見られたことで即検査が入り、その結果左前浅屈腱不全断裂が発覚、そのままひっそりと引退していった。
なおこの屈腱不全断裂は稀にではあるものの、最悪の場合予後不良にも繋がりかねない重症だったことから、目立たずとも無事に現役を終えられたことだけが唯一の救いであろう。
引退後は乗馬になる予定だったものの、二転三転した末、青森のスプリングファームで種牡馬生活を送っており、当て馬もいない中で牝馬の様子を見てからスマートにお務めを果たす種付け巧者ぶりが語られ、東北の馬産復興に貢献しているそう。
今の所目立った種牡馬成績は出していないが、産駒の中にマジックミラーと名付けられた馬が存在する。馬によくある馬名に号を付けた呼び方をしてしまうと…
関連タグ
メイショウドトウ…ライバルが強すぎた仲間その1。世紀末覇王さえいなければ……
ヴィルシーナ…ライバルが強すぎた仲間その2。貴婦人さえいなければ……
ちなみにヴィルシーナはウインバリアシオンとも走ったことがある。
バリアシオン…イクシオンサーガDTの登場人物。名前の由来がウインバリアシオン。