調和する要素たち
スピードとスタミナは
相反するものではないし
力強さと鋭さが
共存できることもある
肝心なのは配分と均衡だ
調和と秩序に目を向けろ
複雑かつベストな形で
さまざまな要素を結びつけて
自分と世界を共鳴させる
それが達成へとつながるのだ
概要
ツルマルボーイは1998年3月5日生まれ、父は菊花賞馬ダンスインザダーク、母は重賞1勝のツルマルガール。母父はオグリキャップと同世代で鋭い末脚で人気だったサッカーボーイ。厩舎は橋口弘次郎厩舎。父親も母親も橋口厩舎所属だった馬で、同厩舎所縁の血統馬になる。
現役時代
2000年デビューし新馬戦を勝ち抜いて将来を期待される。この新馬勝ちがダンスインザダーク産駒の中央初勝利となる。
しかしその後は重賞に出走するなど素質は示していたが、馬体重が軽かったり筋肉がひ弱だったりと完成するまで時間がかかった。
本格化したのは2002年で、初戦で3勝目を挙げると格上挑戦の中京記念で重賞初制覇、産経大阪杯5着とオープン戦勝利を挟んだ金鯱賞では2000年の2冠馬エアシャカールを差し切り重賞2勝目を挙げる。その勢いで出走した宝塚記念ではダンツフレームの2着に入りGⅠ初出走で初連対を果たす。秋は京都大賞典でナリタトップロードの2着、天皇賞(秋)では11着に大敗。
2003年は産経大阪杯3着、天皇賞(春)4着、宝塚記念ヒシミラクルの前に2年連続2着、天皇賞(秋)でもシンボリクリスエスの2着でGⅠ3度目の2着になるなど勝ちきれず、ジャパンカップでは15着に大敗。有馬記念で4着。
2004年に入ると産経大阪杯では6着に沈む。そこで陣営は重賞実績のないマイルの安田記念を選ぶ。この時の鞍上は安藤勝己だったが、直前の日本ダービーで2頭のお手馬の内、橋口厩舎のハーツクライではなくキングカメハメハを選んでおり、その借りを返したいと思っていた。レースでは6番人気だったが、好位から抜け出し追い込んできたテレグノシスをクビ差振り切りついにGⅠ初制覇を果たす。これは馬主にとっても初のGⅠ制覇となり、安藤は見事に借りを返すことができた。その後は宝塚記念6着、天皇賞(秋)4着、有馬記念で8着として競走馬を引退した。
父ダンスインザダーク産駒のGⅠ馬は4頭居るが、ツルマルボーイ以外はいずれも菊花賞馬であり(デルタブルースは加えて芝3200mのメルボルンCを勝っている)、ツルマルボーイの同期ダイタクバートラムが長距離実績豊富だったことからも、マイルGⅠ初挑戦で戴冠を果たしたツルマルボーイは異端寄りであった。
ライバルのタップダンスシチーとは4勝4敗と互角だった、シンボリクリスエスとは1勝3敗、エイシンプレストンとは1勝1敗だった。
引退後
2005年から種牡馬となる。初年度産駒の1頭が初勝利をもたらし、また翌年度産駒のシャアはオープン入りを果たすもその後は目立った活躍馬を出せず、父がまだ健在であったこともあり2008年に種牡馬を早々に引退。去勢されてノーザンホースパークやノーザンファーム天栄で乗馬として働いた後、2019年から埼玉の駿ホースクラブで功労馬として余生を送っている。スタッフの方がYoutubeで近況を動画にしていらっしゃるので、気になった人は見てみるとよいだろう。
ちなみに同じツルマル冠名のツルマルツヨシがウマ娘化した際にはボーイのウマ娘化を希望するツイートを投稿している。
関連タグ
ツルマルツヨシ:同じ馬主の活躍馬