情熱の炎
挑む機会を失い
目前の勝利を奪われ
そしてまた
立ちはだかる厚い壁
だがどんな苦難も
情熱の炎を消せはしなかった
むしろ暗闇の中で
その炎は勢いを増し
すべての悲運を
焼き尽くしていくのだった
- 名馬の肖像 2020年菊花賞より
生涯
デビューまで
大種牡馬サンデーサイレンスの第2世代として生まれる。
母は名牝ダンシングキイで、2歳上の半兄はエアダブリン(ナリタブライアンと同世代の日本ダービー2着馬)、1歳上の全姉はダンスパートナー。そして、8歳下の全妹はダンスインザムード。
母の父はマルゼンスキーの父ニジンスキーという、良血馬であった。
6月生まれという競走馬としては遅生まれでありながら、関係者は「クラシックを獲れる逸材だ」と褒められていた。騎手は全8戦一貫して武豊が務めた。
3歳(1995年)
1995年12月3日の阪神競馬場での新馬戦で勝利を飾ると、中2週でラジオたんぱ杯3歳ステークス(当時【GⅢ】、現在のホープフルステークス【GⅠ】)に出走するが、3着に敗れた。
1着になったロイヤルタッチ、2着は後に皐月賞を勝利するイシノサンデー、そして朝日杯3歳ステークスを勝利して一足早くGⅠ馬になったバブルガムフェローと合わせて、「サンデーサイレンス四天王」(または「サンデー四天王」)と呼ばれることとなる。
4歳(1996年)
春は日本ダービーを目標にきさらぎ賞【GⅢ】から出走。前走で敗れたロイヤルタッチにクビ差で敗れて2着。
続いて皐月賞トライアルの弥生賞【GⅡ】に出走し、イシノサンデーを破って重賞初勝利。
当然次は皐月賞…と思われたが、競走6日前に発熱を起こしてしまい、回避を余儀なくされた。
前年までのNHK賞(NHKマイルカップの前身)に代わり、この年から創設されたダービートライアルのオープン戦・プリンシパルステークスを勝利し、日本ダービーに臨む。
第63回日本ダービーでは、皐月賞を勝利したイシノサンデーを抑えて1番人気に推された。
直線に入ると、逃げるサクラスピードオーをかわして先頭に立ったが、外から7番人気のフサイチコンコルドの音速の末脚に差され2着に敗れた。(イシノサンデーは6着)
「コンコルドだ!コンコルドだ!外から音速の末脚が炸裂する!フサイチコンコルド!
勝ったのはフサイチコンコルド!そして2着にダンスインザダーク!
今、今ひとつの競馬の常識が覆された!フサイチコンコルド!なんと、わずか3戦目でダービー制覇!」(上記動画の9分55秒あたり。実況は三宅正治)
ゴール直後に武は、フサイチコンコルド鞍上の藤田伸二と馬上で握手した。
なお、武はこの時点で八大競走の中で日本ダービーだけは勝てておらず、八大競走完全制覇は目前で潰えた。(武が日本ダービーを初勝利するのは2年後の1998年である。馬はスペシャルウィーク)
秋は京都新聞杯から始動。ロイヤルタッチやイシノサンデーを破ってクラシック最後の一冠、菊花賞に臨んだ。
菊花賞では、ここまでGⅠ勝利がないにもかかわらず1番人気に推された。
しかし直線に入った時点で進路を塞がれ、前から12番目という厳しい位置。ここで武は馬群を縫うかのように徐々に外に持ち出すと、上り3ハロン33秒8という驚異的な末脚、ひいては一世一代の末脚で、ロイヤルタッチとフサイチコンコルドをまとめて抜き去り、1着でゴールイン。武にとってはスーパークリーク以来8年ぶり2度目の菊花賞勝利であった。
ちなみに姉のダンスパートナーも前年に菊花賞に挑戦しており結果は5着だったため、姉の無念も晴らすこととなった。
「おおっとダンス来た!物凄い脚だダンスインザダーク!ロイヤルタッチ!ダンスインザダーク!
ダンスかわした!ダービーの無念を晴らした!一気にダービーの無念を晴らした!
ダンスインザダーク、武豊珍しくガッツポーズ!やったやったやった!武豊ガッツポーズ!
うわー、凄い脚だ!ダービーの無念を一気に晴らすゴール前、すんごい脚~~~!」(上記動画の7分00秒あたり。実況は杉本清。)
しかし、文字通り一世一代の末脚の代償は大きかった。菊花賞の翌日に屈腱炎を発症したことが判明し、そのまま引退となった。
当年のJRA賞は、キャリア3戦でダービーを制したフサイチコンコルドや、4歳(現3歳)でありながら初めて天皇賞(秋)を勝利したバブルガムフェローを抑え、最優秀4歳牡馬に選出された。
なお、バブルガムフェローとは一度も対戦の機会がないまま、ダンスインザダークはターフを去ることとなった。
引退後
現役引退後は種牡馬となり、ツルマルボーイが安田記念を勝利して産駒初のGⅠ勝利を達成。
その後、ザッツザプレンティ(2003年)、デルタブルース(2004年)、スリーロールス(2009年)と3頭の菊花賞馬を輩出した。
産駒の中にはあのハルウララを超える連敗記録を残したダンスセイバーという変わり種も…
2017年を以て種牡馬を引退し、功労馬として余生を送っていたが、2020年1月2日に老衰のため27歳で死亡した。
関連動画
「20世紀の名馬100」では第31位にランクイン。