※現役時代の馬齢は旧表記で記載。
生涯
父はカーリアン。馬主は関口房朗。鞍上はすべて藤田伸二。
馬名の「コンコルド」は旅客機のコンコルドではなく、フランスのコンコルド広場より採られた。(これは関口が将来の凱旋門賞制覇を夢見ていたことによるもの。)
続くオープン戦のすみれステークスも勝利するが、皐月賞は回避することとなった。
さらに、輸送の度に肺炎や発熱を起こしたりするなど体質が弱かったことも重なり、獲得賞金が微妙なものとなり日本ダービーへの出走も危ぶまれたが、同馬主のフサイチシンイチと共にどうにか出走へと漕ぎ着けた。
そして迎えたダービー当日。自身と同じく発熱で皐月賞を回避したダンスインザダークが1番人気を集める中で、フサイチコンコルドは7番人気。2戦2勝とはいえ、地味な血統や体質の弱さが敬遠されての低人気だった。
レースはダンスインザダークをマークする形で追走すると、最後の直線でゴーサインを掛けたダンスインザダークを追い駆け、残り100mでダンスインザダークを外から交わしてゴール板に飛び込んだ。
実況の三宅正治は、旅客機のコンコルドに準え、「コンコルドだ!コンコルドだ!外から音速の末脚が炸裂する!!」と叫んだ。
なお、キャリア3戦目でのダービー制覇はクリフジ(1943年)以来53年ぶりで、また、イギリスのダービーステークスを同じくわずか3戦で勝利したラムタラに準え「和製ラムタラ」と呼ばれた。
こうして晴れてダービー馬となったフサイチコンコルドであったが、体質の弱さは改善されないままだった。
オープン戦のカシオペアステークスは1.3倍の圧倒的1番人気だったがメジロスズマルに敗れて2着。
そして菊花賞はダンスインザダークに次ぐ2番人気であったが、最後の直線でダンスインザダークに雪辱され、ロイヤルタッチにも抜かれての3着に終わった。
当年の最優秀4歳牡馬はダンスインザダークが受賞した。
翌1997年も現役を続けたが、脚部不安にも悩まされたことも重なり、当年は走ることなく秋に引退を表明。
キャリアは僅か5戦に終わるも残したインパクトは大きかった。
引退後は種牡馬となり、ブルーコンコルドがマイルチャンピオンシップ南部杯3連覇や東京大賞典やかしわ記念などJpnⅠを7勝するなど活躍。
また、バランスオブゲームもGⅠ未勝利ながらGⅡを6勝するなど、重賞戦線を盛り上げた。
ブルードメアサイアーとしては、2009年にNHKマイルカップを勝利したジョーカプチーノがいる。
2014年9月6日に転倒したことをきっかけに骨折。翌日には自力で起き上がれなくなり、その翌日の9月8日に21歳で死去した。
なお、名前の元となったラムタラも同年の7月6日に死去している。
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