プロフィール
生年月日 | 1993年4月25日 |
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死没日 | 2015年9月16日(22歳没) |
現役期間 | 1996年2月3日~2001年10月7日 |
英字表記 | Yusei Top Run |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | ミルジョージ |
母 | タニイチパワー |
母の父 | ネヴァービート |
生産 | 三枝牧場(北海道浦河町) |
馬主 | アサヒクラブ |
調教師 | 音無秀孝(栗東) |
主戦騎手 | 佐藤哲三、河内洋など |
戦績 | 43戦8勝 |
主な勝鞍 | アルゼンチン共和国杯(GⅡ 1998年) |
獲得賞金 | 2億7667万6000円 |
概要
「ユーセイ」冠の馬主クラブ「アサヒクラブ」で最も活躍した競走馬。超長距離の追い込みを得意とするステイヤーで、世代としては96世代にあたる。
トレードマークは勝負服(白地+赤玉霰、青袖)とお揃いのブリンカーつきメンコ。
重賞勝ち鞍はGⅢダイヤモンドステークス(1998年、2000年)とGⅡアルゼンチン共和国杯(1998年)
父はミルリーフ系名種牡馬で気性難製造機でもあるミルジョージ。産駒は晩成馬が多く、スタミナとパワーに秀でる傾向が多かった。そして、トップランもまさにその特徴を受け継いでいる。
母タニイチパワーの父はイギリスから輸入されたナスルーラ系名種牡馬ネヴァービート。ブルードメアサイアーとしてもメジロラモーヌやサクラユタカオー、キョウエイプロミス、ダイタクヘリオスなど多数の活躍馬を輩出している。
所属は音無秀孝廐舎で、同時期に活躍した同厩の馬にはイナズマタカオーやエガオヲミセテがいる。
騎手の乗り替わりが激しく、最多騎乗は河内洋と佐藤哲三の計8回。2000年ダイヤモンドステークスで騎乗した後藤浩輝は計3回。
現役時代
3歳(1996年)
1996年2月3日の4歳新馬戦で河内洋を鞍上にデビューしたが、1着から6秒も離される10着。タイムオーバーで出走停止をくらい、2戦目は9月にまでずれ込んだ。
ここから、遅れを取り戻すようにレース間隔を詰めて走っていく。ダートで3戦走った後、10月13日の佐藤哲三初騎乗の未勝利戦(新潟 芝1800m)でようやく初勝利。更に500万下特別戦で2戦走り、12月15日の「尾張特別」(中京 芝2000m。土肥幸広)で2勝目。
4歳(1997年)
1月6日から2月1日まで石橋守騎乗で3戦走った後、3月2日の900万下「熱田特別」(中京 芝2000m。久保田英敬)で3勝目を挙げたが、1500万下条件戦で3連敗し降級。
約半年の間を空けて10月25日から再始動して3戦目の11月23日、900万下「豊明特別」(中京 芝2000m。久保田英敬)で再昇級する。
5歳(1998年)
年明けから河内洋が騎乗、初戦(この年から1500万下→1600万下に)の寿ステークスでは4着。
ここから長距離路線に狙いを定め、中1週(1月17日)で格上挑戦のオープン戦「万葉ステークス」(京都 芝3000m)ではステイゴールドをハナ差交わして勝利し、20戦目にしてようやくオープン馬となる。
そして2月21日のGⅢ「ダイヤモンドステークス」(東京 芝3200m)で重賞に初挑戦。
GⅠ馬エルウェーウィンやGⅡ2勝馬ハギノリアルキングらを相手に道中後方で脚を貯め、直線で抜け出したステイゴールド(主な勝鞍:阿寒湖特別)を大外から一気に差し切って見事に重賞初勝利を果たした。
続くGⅡ「阪神大賞典」(阪神 芝3000m。松永幹夫)では積極的に前に出て、メジロブライトとシルクジャスティスには差されて千切られたものの3着と善戦。
しかしここからトップクラスの競走馬達を相手に。厳しい戦いが続いていくことになる。
初のGⅠ出走となった「天皇賞(春)」(京都 芝3200m。松永幹夫)は4番人気と中々の評価を受けたもののメジロブライトの8着。GⅡ「目黒記念」(東京 芝2500m、河内洋)はゴーイングスズカの4着。宝塚記念(阪神 芝2200)ではサイレンススズカの生み出したハイペースに全くついていけずブービー12着に終わった。
4ヵ月明け、11月7日のハンデGⅡ「アルゼンチン共和国杯」(東京 芝2500m。佐藤哲三)で再始動。
斤量は56kg。直線で先頭に立った一番人気の3歳馬グラスワンダー(斤量57kg)を大外から上がり最速の末脚で一気に交わし、先に抜け出たエーピーランド(軽ハンデ52kg)との激しい叩き合いを制してハナ差で勝利をもぎ取った。
「ジャパンカップ」(東京 芝2400m。河内洋)はエルコンドルパサー、エアグルーヴ、スペシャルウィークに次ぐ日本馬4番手の6着で、上がり3Fはメンバー中最速のタイムを叩き出していた。
「有馬記念」(中山 芝2500m。佐藤哲三)では復活勝利のグラスワンダーから20馬身以上千切られる12着に終わった。
5歳シーズンはオープン1勝、重賞2勝。惨敗も多かったが、これまで燻っていたトップランにとっては実に充実した1年となった。
6歳(1999年)
打って変わって、6歳はトップランにとって苦しい1年になった。
昨年勝利した「ダイヤモンドステークス」(芝3200m。佐藤哲三)から始動したが、13着大敗。続けて「天皇賞(春)」(幸英明)11着、「目黒記念」(柴田善臣)10着、「天皇賞(秋)(東京 芝2000m。松永幹夫)13着、「有馬記念」13着。
98世代が輝く影で、出走した全てのレースで二桁着順の惨敗続き。一方、同じ音無厩舎の後輩エガオヲミセテはマイラーズカップを制したり、エリザベス女王杯でメジロドーベルの3着に入るなど、牝馬マイル戦線で奮闘。
名牝ダイナカールの孫、大種牡馬サンデーサイレンスとカーリーエンジェル(女帝エアグルーヴの半姉)の娘。厩舎では彼女に大きな期待を寄せていた。
トップランにとってエガオは気の合う可愛い後輩で、ひょっとしたら彼女に惹かれていたかもしれない…と言う見方もある。
7歳(2000年)
突然の悲劇
7歳初戦は1月16日のGⅡ「日経新春杯」(京都 芝2400m。佐藤哲三)で始動したが、やはり良いところ無く13着に惨敗。そして次走を2月13日の「ダイヤモンドステークス」(芝3200m)に定め、調整を続けた
一方、エガオヲミセテも1月30日の「東京新聞杯」で始動したが、こちらも14着と大敗。音無厩舎では復活を期待して、エガオを宮城県亘理郡山元町の「山元トレーニングセンター」に放牧に出した。
しかし2月11日、音無廐舎に悲報が届く。曰く、未明に山元トレーニングセンターで廐舎1棟が全焼する火災が発生、競走馬22頭が炎に巻かれて犠牲になったというのだ。そして──
その中の1頭が、エガオヲミセテだった。
第50回ダイヤモンドステークス ~君が「先頭を走れ」と言うなら~
悲報から2日後。エガオを喪った音無厩舎の誰もが悲嘆に暮れる中、「ダイヤモンドステークス」の開催日がやってきた。トップランは7戦連続二桁着順の7歳馬(旧8歳)であり、7番人気がむしろ高い評価と言える程。1番人気はミルコ・デムーロが騎乗するサンデー産駒タヤスメドウで、軽ハンデのステイヤーメジロロンザン、ダイヤモンドステークスを得意とする岡部幸雄騎乗のトップハンデ馬スエヒロコマンダー、同期ゴーイングスズカがそれに続いていた。
騎手はテン乗りの後藤浩輝。前年にトラブルを起こしており、彼にとっては再起を期しての騎乗だったが、レースは予想外の展開を見せた。
スローペースで進む中、トップランはいつもの通り最後方からの直線追込…ではなく、あろうことか府中長距離戦のセオリー無視、バックストレッチ出口近辺からの3角大まくりを敢行。引っかかってしまったのか?だが鞍上の後藤は手綱を絞る様子がない。トップランはそのままあれよあれよという間に他馬をごぼう抜きし、第3コーナーの大ケヤキを過ぎたあたりで先頭に立ってしまった。
「ここから府中の長い直線が控えているというのに、老いたトップランがこんなところから脚を使ってしまっては、ゴールまで持つわけがない。何をやってるんだ後藤!」
誰もがそう思っただろう。競馬場の観客席からは罵声や怒号に似た野次も飛び交った。
だが、不思議とトップランの脚は止まらない。それどころか、後続集団が全くトップランに追いつけず、逆にジリジリと離されていくではないか。気づけば上がり2位の末脚で人気勢を5馬身以上千切り、最後に軽ハンデの同期ジョーヤマトだけが上がり最速のスパートで突っ込んできたものの時すでに遅し。
トップラン、1年3ヶ月ぶりの復活勝利。ガッツポーズを繰り返した後藤騎手は満面の“笑顔を見せて”いた。一方の音無調教師は、まるで厩舎の皆を元気付けるかのようなトップランの激走に感極まってしまい、笑顔ではなく泣き顔になってしまっていたが…。
無謀とも言える破天荒なロングスパートについては、普段から仕掛け時がくるまでガンとして動かないトップランが、このレースでは自らグイグイと仕掛けだしたようだ。後藤騎手は早すぎるとわかっていたが敢えて馬の行く気に任せたらしく、レース後に「やっちゃいました」と語っている。
音無調教師もスパートについては「無謀なスパートだ」と苦言を呈しているが、それでも奇跡的にトップランの脚が止まらなかったことに「最後までよく頑張ったな、と思う。その分、天国から(エガオが)後押ししてくれたのかな、と思っちゃったけど…」と、その胸中を語っている。
実際、三角からのまくりはエガオヲミセテが「阪神牝馬特別」で魅せた強い走りにも重なって見え、まるで彼女が乗り移ったかのようだった(少々言い過ぎだろうか?)。
余談ではあるが、不思議なことは同日のGⅢ「きさらぎ賞」でも起きている。中山トレセン火災で兄スターシャンデリアを亡くしたシルヴァコクピットが、トップランと同じく見事な追悼勝利を飾ったのだ。
これらはまるで、残された人達に「笑顔を見せて」ほしいと言わんばかりの、奇跡のような出来事だった。
その後のトップラン
久々の勝利を飾ったトップランだったが、これが現役最後の勝利となった。
調教中に右第3中足骨を骨折して春の天皇賞を断念し、休養。秋の天皇賞(マイケル・ロバーツ)で復帰するが、この年の王道を席巻していたテイエムオペラオーの6着。
以降も長い距離を中心に出走を続け、アルゼンチン共和国杯(ロバーツ)でマチカネキンノホシの4着、ステイヤーズステークス(中山 芝3600m。蛯名正義)はホットシークレットの6着。
暮れの有馬記念には中舘英二とのコンビで出走し、テイエムオペラオーの年間全勝を遥か後方で見届ける11着で7歳シーズンを終えた
8歳(2001年)
現役最終年となった8歳シーズンは日経新春杯(河内)で始まり、ステイゴールドの6着。
ダイヤモンドステークスで再び後藤浩輝とコンビをくんだが往年の脚は戻らずイブキヤマノオーの7着、続く目黒記念もホットシークレットの11着に終わった。
そしてラストランは10月7日、7頭立てで行われたGⅡ「京都大賞典」で。鞍上には新馬戦でコンビを組んだ河内洋が座った。レースは最早勝負と言える内容ではなく、終始最後尾を走ってブービーのサニーサイドアップから10馬身も千切られる最下位。
ただしナリタトップロードが落馬し、1着入線のステイゴールドが進路妨害によって失格になったため着順は5着で、最後に賞金640万円を加算して現役を終えた。
通算成績:43戦8勝(GⅡ1勝 GⅢ2勝) 2着1回 3着3回(GⅡ1回)
生涯獲得賞金:2億7667万6000円
引退後
トップランは種牡馬にはならず、馬事公苑で乗馬として第2の馬生を歩んだ。
2008年9月3日には、JRAの協賛試合だったプロ野球「千葉ロッテマリーンズ対埼玉西武ライオンズ」戦の始球式に、柴田善臣騎手の乗馬として登場している。
乗馬引退後の2014年からは熊本県の川俣静剛牧場で余生を送り、功労馬繋養展示事業の助成対象にも選ばれた。
そして2015年9月16日、22歳で懐かしいエガオヲミセテと後藤浩輝が待つ天国へと旅立った。