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概要編集

1992年2月2日生まれ、父ニジンスキー・母スノーブライドという血統の栗毛の牡馬。通算4戦4勝。

現役時代は「ライオンハート」「神の馬」と称された。


1995年、2歳時に出走して以来からという、とんでもないローテーションでイギリスダービーを勝つという大偉業を達成。さらにその後もキングジョージ、凱旋門賞も勝ち、史上初の無敗で欧州三冠(イギリスダービー・キングジョージ・凱旋門賞)を達成(欧州三冠自体はミルリーフに続き史上2頭目)。

このような実績を打ち立てながら、ブリーダーズカップシリーズには出走しなかったためか、あるいは馬主がドバイのマクトゥームファミリーだったためか(ラムタラの低評価について、当時のイギリス競馬界において急速にその勢力を拡大させるマクトゥームファミリーへの反感が影響したという見方は今でもある)、欧州年度代表馬には選ばれなかった。


種牡馬入り後編集

日本への購買編集

引退後はマクトゥームファミリーの競走馬管理団体「ゴドルフィン」が保有するイギリスのダルハムホールスタッドで種牡馬入り。

...したのだが、日本・北海道日高地方の競走馬生産者たちを母体とする総合商社「ジェイエス」によって3000万ドル(33億円)で購入され、日高で種牡馬入りすることになる。この時ゴドルフィン側は2度に渡って購買交渉を拒否し、ようやく3度目で交渉を受諾したのだが、契約締結時も締結場所のダルハムホールスタッドの職員はインクが出ないボールペンを差し出すことで「本当は売りたくない」という意思を示した。

当時の日本はバブル景気が崩壊したとはいえその余韻がまだまだ残っている時代であり、このトレードにはイギリスは勿論、アメリカ(最初にラムタラの購買を凱旋門賞前に申し出るも拒否された)でも「日本人が金の力に物を言わせて名馬を買い漁る」という非難の声が上がった他、日本でも一部から「イギリスに留めるべき」という意見が上がっている。


この背景には、サンデーサイレンスとその産駒たちを軸とする社台グループと徐々に勢力を拡大する外国産馬を前に、日高の中小生産者たちが馬主に対し強いアピール力を持つ独自の存在を欲していたことがあったとされている。よく「サンデーサイレンスへの対抗のために導入された」という意見もあるが、これについてはジェイエス代表が「金を出せばサンデーは誰でも付けられるし、サンデー憎しという感情はない」と否定している。

調教師の白井寿昭引退後に連載しているコラムでラムタラを取り上げた際にはサンデーサイレンス対抗説について否定的で、「かつてのテスコボーイが与えてくれたような夢を、日高の生産者は見ていたんじゃないかな」と評している。

一方で、馬産業界の暗黒時代に、後述するラムタラの失敗が追い風となって多くの中小生産牧場が倒産に追い込まれており、現実として「社台の台頭によって首が回らなくなった生産者たちが、藁にもすがる思いでラムタラに大きな期待をかけていた」という背景は存在している。


日本にて編集

こうして日本にやって来たラムタラは総額44億2800万円(サンデーサイレンスで24億9000万円)という巨額のシンジケートを組まれて種牡馬入りする。しかしその結果は惨憺たるもので、重賞勝ち馬はメイショウラムセスのみに終わり、母の父として春の天皇賞を勝ったヒルノダムールを出したのが最大の成果という類を見ない大失敗に終わってしまった。


ここまでの大失敗となった理由は複数唱えられている。以下がその一例。

  • 日高ではニジンスキー系種牡馬としてマルゼンスキーが成功を収めていた影響でノーザンダンサーの血を引く繫殖牝馬が多かったこと。2×4というノーザンダンサーの強いインブリードを持つラムタラは付けにくかった。
  • パワータイプの欧州血統の馬はスピードタイプの日本競馬にはあまり向かないこと。日本で種牡馬としてそこそこの結果を出したトニービンなどの例もあるが、多くは日本で種牡馬入り後苦戦気味である。

特に前者は致命的であり、ラムタラ産駒は気性難や虚弱体質といった弱点を有する馬が多かったといわれている。それでも見栄えは良かったので当初は高く売れ、一応金銭的な面ではペイできたらしいが、馬主との信頼などといった目に見えないものの損害は巨大なものだったといわれている。


かくしてラムタラは盛大に失敗してしまい、日高の生産者たちに有形無形の損失を与えることとなった。ラムタラ以降、海外からの高額種牡馬の輸入は社台グループが主に担っている。



その後編集

日本輸入から10年後の2006年。ラムタラはゴドルフィンによって買い戻され、イギリスに戻ることとなった。その金額は24万ドル(当時のレートで約2750万円)で、購入時の金額の百分の一というものだった。

イギリスに戻ったラムタラは種牡馬を引退し、種牡馬入り後最初の仕事場だったダルハムホールスタッドで功労馬として余生を送った。ちなみに同牧場では繫殖を引退した母スノープライドも功労馬として余生を送っており、普通は離乳後顔を合わせることが無いサラブレッドの母子が一緒にいるという珍しい光景が展開された(日本でも同様の例としてはミスターシービーとシービークインがある)。

また、ラムタラを目当てにダルハムホールスタッドを訪れるファンも多かったという。


2014年7月6日、ダルハムホールスタッドで死去。22歳没。


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