ノーザンダンサー
のーざんだんさー
馬名は両親の馬名からの連想(父名は新北区→北の→Northern)。
父ニアークティックは短距離からマイルにかけて活躍。母ナタルマは底を見せることなく引退したが、この馬も良血。従兄弟にヘイローがいる。
生まれてから競走馬引退まで
カナダのオンタリオ州生まれで、幼駒の時は柵破壊や牝馬の追まわしを始めとする悪戯が目立ち、去勢も検討されていた程の問題児だったという。もし取られていたら競馬の歴史は大きく変わっていただろう。
小柄で遅生まれだったことが災いし買い手がつかず、生産者のテイラー氏がそのまま馬主となった。
新馬戦の7馬身差の圧勝から見事にその名を轟かせ、1963年は9戦7勝、カナダの最優秀2歳馬に選出される。
これで同期との格付けは済んだと踏んだか、翌1964年には戦場をアメリカに移し、外国馬として初のケンタッキーダービーを制する。その後、プリークネスステークスを連勝するなどアメリカを荒らし、カナダのダービーに相当するクイーンズプレートにも出走して1着、しかし夏に屈腱炎を発症し引退。この年9戦7勝、アメリカで最優秀3歳牡馬に選ばれた。
種牡馬として
…と競走馬としてもクラシックでの引退が惜しまれる程の名馬だったが、種牡馬としてからが凄まじかった。彼は種付け数を制限していたため、産駒は多くはないが、初年度に競走馬登録された18頭のうち、16頭が勝ち上がる高い勝ち上がり率を見せ、10頭がステークスウィナー。この成績が評価され、240万ドルのシンジゲートが組まれ、米国入りする。そして、その2年目に無敗で英国三冠を制したニジンスキーを輩出。その後も下記にある通り、G1を多数勝利する名馬を輩出した。しかも、そのほとんどが種牡馬としても成功。これが影響し、世界中の競走馬の血統図を書き換えるレベルにまでに達し、ピーク時には「ノーザンダンサーの精液は、同量の金と等しい価値がある」とまで言わしめてノーザンダンサー系を築き上げた。
日本には主にノーザンテーストを介して血が広まっている。
1987年に受胎率が著しく低下したことで種牡馬を引退、ノーズビュースタリオンステーションで余生を送っていたが1990年に疝痛で安楽死の処置がとられた。
ここに挙げた馬のほとんどは種牡馬としても成功。そして、競走馬として大成しなかった産駒も種牡馬になってから大成するということもあった
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