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マンハッタンカフェ

まんはったんかふぇ

かつて日本中央競馬会(JRA)に所属していた元競走馬・種牡馬(1998-2015)。主な勝ち鞍は2001年の菊花賞・有馬記念、2002年の天皇賞(春)。
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誘導編集

  1. 競走馬
  2. 1をモチーフとしたウマ娘プリティーダービーに登場するウマ娘。→マンハッタンカフェ(ウマ娘)

こちらでは1に関して解説をする。2に関してはリンク先のタグを使用する事を推奨。


概要編集

生年月日1998年3月5日
英字表記Manhattan Cafe
性別
毛色青鹿毛
サンデーサイレンス
サトルチェンジ
母の父Law Society
調教師小島太
競走成績12戦6勝
近親エアスマップ(半兄) ビワハイジ(近親)

2001年菊花賞有馬記念など優勝。

2002年天皇賞(春)優勝、凱旋門賞に出走するが屈腱炎を発症し13着。

2003年シーズンから種牡馬入り。2009年リーディングサイアー。

2015年8月13日に17歳で死去した。


生涯編集

社台ファームで生を受けた後、同年のセレクトセールにおいてフサイチコンコルドなどを所有する関口房朗に1億3650万円で落札される(関口は当時エアスマップの一つ下の半弟でカフェの二つ上の兄に当たる「フサイチエキサイト」という名の牡馬を所有していたが未勝利のまま引退)。

元々は関口が当時懇意にしていた田原成貴の厩舎に預けられる話が持ち上がっていたが、フサイチゼノンの出走をめぐるトラブルで両者が仲違いしたことを機に田原厩舎からのデビューが立ち消えとなる。

その後、諸事情により関口が本馬を手放したため、一時社台ファームに返却された後、駐車場レンタカー事業である「タイムズ」の運営会社であるタイムズ24の創業者である西川清(西川きよしとは別人)の持ち馬となる。

やがて、サクラバクシンオーなどサクラ軍団の主戦騎手として活動していた頃から西川と親交のあった小島厩舎への所属が決まり、2001年(3歳)の1月に蛯名正義騎手を鞍上にデビュー。

蛯名とは12戦中10戦でコンビを組み主戦騎手として定着した。


2戦目の新馬戦に勝利し、弥生賞(GⅡ)に駒を進めるもアグネスタキオンの4着に敗れる。

次のアザレア賞(騎手は河内洋)では体調不良が響いて11着に敗れてしまう。

当時は体格こそ大きくなっていたものの、身体面が芯から充分に仕上がっておらず、繊細で神経質な性格が災いして輸送のストレスに耐えきれなかったたためか体調を崩しがちで、日に日にやつれていった。このことから皐月賞日本ダービーへの出走を断念し、春シーズン一杯は放牧にあてることとなった。


数ヶ月の休養が大きく効いたのか、痩せ衰えていた体格は徐々に肉付けが良くなり、悪化していた体調も完全に回復。騎手が再び蛯名に戻った富良野特別を1着で飾ると、その勢いのまま、かつてステイゴールドが勝利した阿寒湖特別にも勝利する。


秋初戦のセントライト記念(GⅡ。騎手は二本柳壮)は4着になったが、菊花賞(以降は引退まで蛯名が乗る)を勝利しGⅠ初勝利を飾る、夏の上り馬となった。

続いて陣営は有馬記念を選択。このレースで引退するテイエムオペラオーメイショウドトウを下し、GⅠ連勝を飾った。


ちなみに2着に入ったのはアメリカンボスで、この年に発生したアメリカ同時多発テロになぞらえたサイン馬券となった。

GⅠを2勝したものの、最優秀3歳牡馬は日本ダービージャパンカップを制したジャングルポケット(年度代表馬も受賞)に奪われた。


2002年は日経賞(GⅡ)からスタートするが6着に沈む。

天皇賞(春)ではジャングルポケットを退け優勝し、GⅠ3勝目を挙げた。

そして、最大目標であった凱旋門賞(フランス)に挑むため、同厩舎で同馬主のNHKマイルC馬のイーグルカフェを帯同馬とし、渡仏。しかし13着と大敗し、さらに屈腱炎を発症したことで引退し、種牡馬入り。

因みに、イーグルカフェはドラール賞(G2)に出走し、3着と好走。勢いに乗り帰国後はなんとジャパンカップダートにてアドマイヤドンゴールドアリュール等の強豪を下し、見事史上3頭目となる「芝・ダートのG1制覇者」となり、その後7歳の暮れまで長きに渡り走り続けた。


重賞勝利が全てGIのGIハンターだった。ちなみに管理した小島太調教師は現役騎手時代、菊花賞・有馬記念・天皇賞(春)をついに勝つことができなかったが、調教師として同馬をもって勝利を挙げることとなった。

また、菊花賞→有馬記念→天皇賞(春)のルーティンで全勝した競走馬は2023年現在もシンボリルドルフとマンハッタンカフェの二頭のみである。


種牡馬としては、天皇賞(春)を制したヒルノダムールや、秋華賞を制したレッドディザイアなどを輩出し、安定した成績を残していたが、2015年8月13日、腹腔内腫瘍のため17歳で死去した。(その翌年、イーグルカフェも後を追うように異国の地で19年の生涯を終えた。)


余談編集

容姿が父・サンデーサイレンスに非常に似ていたことで知られる。それを買われ、種牡馬時代の2004年、社台グループの創設者・吉田善哉氏の半生を題材としたドラマ「運命の出会い~サラブレッドにかけた夢~」にサンデーサイレンス役で出演した。


繁殖成績編集


産駒の種牡馬成績は近年苦しい状況だが、当馬は母父としての成績が目覚ましい。シニスターミニスターを父に持つテーオーケインズチャンピオンズカップを快勝し、中央G1初勝利を挙げている。どうやら父の良いところを引き出す傾向があるようだ。リーディングブルードメアサイアーランキングでは2024年現在、トップ10をキープし、半年間で30勝以上を挙げている。


外部リンク編集

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