※ウマ娘については「ドリームジャーニー(ウマ娘)」を参照。
概要
父:ステイゴールド、母:オリエンタルアート(母父:メジロマックイーン)。俗にいうステマ配合である。
全弟にオルフェーヴルがいる。
通算31戦9勝。
主な勝ち鞍は朝日杯フューチュリティステークス(2006年)、宝塚記念(2009年)、有馬記念(2009年)。
2006年最優秀2歳牡馬、2009年最優秀古牡馬。
競走馬引退後は種牡馬となった。
略歴
2004年
2月24日、白老ファーム(北海道白老町)に誕生。人をよく観察しており、新人スタッフが近づくと激しく威嚇した。
3月、池江泰寿調教師は開業の挨拶回りで牧場を訪れた際にはじめて同馬を見たという。のちに開業祝いとして同馬を管理することになる。
離乳後はサンデーレーシングに卸され、1口50万円の40口(2000万円)で出資募集。自分より大きな子馬に喧嘩を売って勝ち、あっという間に当歳馬のボスに君臨した。
2006年
早来ファーム(北海道安平町)での育成・調教を経て、池江泰寿厩舎(栗東トレーニングセンター)に入厩した。
9月3日、蛯名正義騎手を鞍上に新潟競馬場の2歳新馬戦(芝1400m)でデビュー。1着となる。
12月10日、朝日杯フューチュリティステークス(GⅠ)で1着。
2007年
9月23日、武豊騎手に乗り替わり、神戸新聞杯(JpnⅡ)で1着。
2008年
6月8日、池添謙一騎手に乗り替わり、安田記念(GⅠ)で10着。
8月3日、小倉記念(JpnⅢ)で1着。本来は武豊騎手が騎乗する予定だったが、騎乗停止処分を受けて騎乗が叶わず、そのため函館での先約をキャンセルしてまで池添騎手が小倉へ駆けつけた。この勝利以降、鞍上は池添騎手に固定される(優駿2020年6月号掲載「未来に語り継ぎたい名馬物語53」)
9月15日、朝日チャレンジカップ(GⅢ)で1着。
2009年
6月28日、宝塚記念(GⅠ)で1着。
12月27日、有馬記念(GⅠ)で1着。史上9頭目の同一年両GP制覇となった。
2010年
12月26日、有馬記念で13着。
2011年
6月26日、宝塚記念で10着。引退することとなる。
9月19日、札幌競馬場パドックにて引退式が行われた。
引退後
2012年より社台スタリオンステーションで種牡馬生活に入る。
小柄すぎて種付けが非常に下手なのがネック。(サラブレッドは牛や豚などに使われる人工授精など人為的な方法による受精は認められておらず、自然交配でなければサラブレッドとして認められない)その一方、生まれた産駒の勝ち上がり率はディープインパクトやキングカメハメハに比類するほど高い。この辺りは、大物を何頭も輩出こそすれ勝ち上がり率が低く「ガチャ」呼ばわりされる弟とは対照的である。
主な産駒
2013年
ミライヘノツバサ:2020年ダイヤモンドステークス1着、引退後は東京競馬場で誘導馬となる。
2014年
ドリームズライン:2017年駿蹄賞、東海ダービー、岐阜金賞を制し東海三冠馬となる。
2017年
ヴェルトライゼンデ:2019年ホープフルステークス2着、2020年東京優駿3着、2022年鳴尾記念1着。鳴尾記念は495日振りのレースでの勝利で、最長間隔JRA平地重賞勝利記録。
2018年
スルーセブンシーズ:2021年優駿牝馬9着、2023年中山牝馬ステークス1着、宝塚記念2着。2023年凱旋門賞4着(挑戦した日本の牝馬の中では現在最先着)
余談
- 激しい気性で有名だった父ステイゴールドは、池江泰寿調教師の父である池江泰郎調教師の管理馬であった。父ステイゴールドとその産駒ドリームジャーニーの両方を知る師は、その気性について「基本的に激しい性格だった。ステイゴールドより、ドリームジャーニーの方が激しかったんじゃないかな」と語っている(日刊スポーツ)
- 小柄な父親のステイゴールドよりも更に馬体重が軽く、勝つたびに最軽量勝利記録を更新するほどだったが、非常に丈夫であり、現役時代は大きな怪我とはほぼ無縁であった。
- 池江泰寿厩舎では全兄のドリームジャーニーと半兄のジャポニズムの気性が非常に悪かったため、弟のオルフェーヴルを迎えるスタッフは戦々恐々としていたが、おとなしい馬で拍子抜けした。…が、肝心のオルフェーヴルは最初だけおとなしいタイプの気性難だった。
- 小さな歩幅のピッチ走法でチョコチョコと走る姿は愛嬌があり、「豆ツブ」などとあだ名された。
- オルフェーヴルとの兄弟対決を期待されていたが、ドリームジャーニーはその前の引退となった。
- ライバルのカンパニーとは1勝4敗、スクリーンヒーローとは3勝1敗、ディープスカイとは2勝1敗、ブエナビスタとは1勝4敗。
- ステイゴールド産駒で最初にGⅠレースに勝った馬であり、ステイゴールドのブレイク、ひいてはステマ配合の嚆矢ともなった馬でもある。
- 母オリエンタルアートはドリームジャーニーがデビューした年に白老ファームからの放出候補にリストアップされていたが、ドリームジャーニーが新馬戦、芙蓉Sと勝利したことで白老ファームに留まることになった。それが後に三冠馬オルフェーヴルを含めた産駒たちの誕生へ繋がったため、ステイゴールド産駒や母の運命をも切り開いた馬といえる。
- 気性難だらけのステイゴールド産駒の中でも彼とナカヤマフェスタは双璧を成すとんでもない馬として知られているが、フェスタの方は種牡馬を引退し去勢したとはいえ現在はかなり懐っこい性格に変貌しており、未だに気性難エピソードを生み出し続けるドリジャのヤバさが際立っている。
- 現在、ドリームジャーニーは社台SSにて繋養されている。種牡馬登録自体は継続しており、種付自体はしていないが去勢もされていない。
- 自身の冠番組の企画で毎年会いに行く池添騎手がふれ合いをすすめられる程度には落ち着いている模様。が、毎年かなりへっぴり腰の状態でおそるおそる接している。なお全弟に対しても毎年へっぴり腰で接している。
インターネット上の噂
ドリームジャーニーはその激しい気性ゆえにSNSを中心にいくつもの噂がまことしやかに語られている。
しかし噂が出回るばかりで出典は示されず、どこで語られた話なのか、真実なのかさえ不明である。
(もし信頼できるソースを発見した際には余談のほうに移してください)
- ドリームジャーニーが池添騎手の首に噛みつき流血沙汰となり、「ジャーニーがついに人を…」と調教師を青ざめさせた。
- ドリームジャーニーはスタッフをゆっくり隅まで追い詰めてから噛みつくことで心を折るのを楽しんでいたが、池添謙一騎手の力を抜いて好きなだけ噛ませるという態度を不気味に感じたのか、その後は池添に従うようになった。今でも池添騎手のことはかなり好いており、関係者曰く池添騎手が会いに来た後は機嫌が良く扱いやすいらしい。
- 当時、池添騎手が「ドリームジャーニーは人間が大怪我しないよう立ち回ってから噛む、賢く気遣いができる馬。一度噛まれたらわかる。こわいこわいと言うほどじゃない」と平然と言い、武豊騎手をドン引かせた。
- 引退後に種牡馬になった直後は気性の悪さが目立ち、会いに来た池添騎手も「殺されるかもしれないから」という理由で離れて見ているしかなかったという。
上記の話はあくまで出典不明の噂である。