ミライヘノツバサ
みらいへのつばさ
2013年
4月27日、グリーングラスやブルーアレツ、タムロチェリーなどを生産した青森県七戸町の諏訪牧場で誕生。
父のドリームジャーニーは非常に小柄で気性難で知られた。
母のタムロブライトはタムロチェリーの仔で、JRAでダートを走ったが未勝利だった。
母父のシルバーチャームはアメリカ二冠馬でドバイワールドカップも勝ち、アメリカ競馬殿堂入りを果たしたが、種牡馬としては実績を残せず、日本に輸出され日本軽種馬協会静内種馬場で供用されていた。
父に似ず大柄で人懐こい性質だった。
2014年
7月14日、セレクトセールに上場され、三島眼科医院(川崎市)院長の三島宣彦が1000万円で落札。
「ミライヘノツバサ」と名付けられ、美浦の伊藤大士厩舎に入厩する。
2015年
10月17日、東京競馬場の新馬戦でデビュー。アグレアーブルの6着に敗れた。
12月12日、中山競馬場の未勝利戦に出走しステイパーシストの2着に敗れた。
2016年
1月5日、中山競馬場の未勝利戦に出走しラグルーラの3着に敗れた。
1月23日、中山競馬場の未勝利戦に出走し1着。初勝利を挙げる。
4月2日、山吹賞(500万下)に出走し1着。
4月17日、皐月賞(GⅠ)で重賞初挑戦。ディーマジェスティの12着に敗れた。
7月3日、ラジオNIKKEI賞(GⅢ)に出走しゼーヴィントの8着に敗れた。
7月30日、阿寒湖特別(1000万下)に出走しカフジプリンスの5着に敗れた。
10月1日、習志野特別(1000万下)に出走し1着。
10月23日、菊花賞(GⅠ)に出走しサトノダイヤモンドの13着に敗れた。
2017年
1月7日、迎春ステークス(1600万下)に出走し1着。
1月22日、アメリカジョッキークラブカップ(GⅡ)に出走しタンタアレグリアの3着に敗れた。
3月25日、日経賞(GⅡ)に出走しシャケトラの2着に敗れた。レース後に右前脚の屈腱炎を発症し休養に入る。
2018年
9月23日、1年半ぶりにオールカマー(GⅡ)で復帰。レイデオロの10着に敗れた。
11月17日、アンドロメダステークス(オープン)に出走しドレッドノータスの6着に敗れた。
2019年
1月20日、アメリカジョッキークラブカップに出走しシャケトラの10着に敗れた。
4月14日、福島民報杯(リステッド)に出走しレッドローゼスの6着に敗れた。
5月11日、都大路ステークス(リステッド)に出走しソーグリッタリングの10着に敗れた。
7月21日、福島テレビオープン(オープン)に出走しリライアブルエースの3着に敗れた。
9月1日、丹頂ステークス(オープン)に出走しポンデザールの12着に敗れた。
9月15日、ラジオ日本賞(オープン)に出走しローズプリンスダムの11着に敗れた。
2020年
伊藤師がJRAと相談した結果、引退後は馬事公苑に預けられることが決まった。
2月1日、白富士ステークス(リステッド)に出走しインビジブルレイズの8着に敗れたが、1着と0.6秒差だったため重賞に挑戦する事となった。
2月22日、ダイヤモンドステークス(GⅢ)に出走し、メイショウテンゲンの強烈な差しを凌いで1着。単勝325.5倍という大穴で、青森県産馬による12年ぶりの重賞制覇を果たした。
5月3日、天皇賞(春)(GⅠ)に出走しフィエールマンの12着に敗れた。
5月31日、目黒記念(GⅡ)に出走しキングオブコージの13着に敗れた。
6月5日、JRA競走馬登録を抹消し引退。馬事公苑で誘導馬としての訓練を受ける。
10月25日、東京競馬場の誘導馬としてデビュー。