クィーンスプマンテ
くぃーんすぷまんて
父ジャングルポケットは2001年に東京優駿やジャパンカップを制した馬で、種牡馬としてはオウケンブルースリなどを輩出している。
母父サクラユタカオーは1986年の天皇賞(秋)などを勝っており、サクラバクシンオーなどの父としても知られる。
2007年、美浦の小島茂之調教師の元で、3歳3月というかなり遅めのデビューを果たし、2戦目で初勝利を飾る。
夏に2勝目を上げたが、その後オープン戦では惨敗を繰り返し、果敢に挑んだ秋華賞(この時期はJpnI扱いだった)でも12着。
2008年には条件戦に降格し、初戦の500万下を1勝しただけだったが、掲示板には入れるようになってきた。
そしてクラブ規定で引退が決まっていた2009年、5歳時。
1000万下で4勝目を上げ、その後は9着・8着と連敗を挟み、みなみ北海道ステークスでは大逃げを打って圧勝する。
久々の重賞挑戦となった京都大賞典(GII)ではテイエムプリキュアの2番手を追走したが、共に逆噴射し9着。
それでも陣営は、果敢に牝馬限定GI競走エリザベス女王杯へと向かった。
この年のエリザベス女王杯には桜花賞・オークスを制したブエナビスタ、前年度勝者リトルアマポーラ、2年前に1位入線するも降着となったカワカミプリンセスといった名牝が揃っており、重賞未勝利のクィーンスプマンテは特に注目されることもなく、18頭中11番人気で本番を迎える。
スタートを切ると、クィーンスプマンテは事前に宣言した通り大逃げを打ち、着いてくるのは同じ逃げ馬で12番人気のテイエムプリキュアのみ。
他の馬の騎手たちは2頭がスタミナ切れを起こすと考えており、巻き添えを食らわないよう控えて追走し、3番手のリトルアマポーラまでの間は10馬身以上に広がった。
が、実際のところ1000m通過タイムは1分00秒5と、ハイペースでも何でもなかった。
それにもかかわらず3番手以下を離していくクィーンスプマンテとテイエムプリキュアに、観客席がらどよめきが上がる。
実はこの時、3番手を追走して追走集団のペースをコントロールする立場にあったリトルアマポーラの鞍上スミヨンは直前にシャラナヤに騎乗するルメール騎手にアガ・カーン殿下の主戦騎手の座を奪われており、「自ら疲弊してルメールの利になることはしたくない」という判断が働いた可能性も高い。
第4コーナーあたりでブエナビスタが「これはまずい!」とばかりに猛烈な勢いで追い込んできたが、20馬身以上離されていてはさすがに手遅れだった。
粘り切ったクィーンスプマンテが逃げ切り、鞍上の田中博康と人馬ともにGI初制覇を果たした。
全盛期を過ぎて単なる珍名馬と見られていたテイエムプリキュアも、ブエナビスタの猛追をクビ差振り切って2着に入った。
人気薄逃げ馬の1・2フィニッシュとなったため、馬券の方は単勝7710円、馬連は10万2030円、三連単に至っては154万5760円という凄まじい配当となった。
このレースの大波乱ぶりは、関西テレビの馬場アナウンサーが叫んだ「これが競馬の恐ろしさ!!」という実況に集約されている。
ちなみに関東馬のエリザベス女王杯制覇は1999年のメジロドーベル以来である。
引退レースとして香港国際競走へ遠征し、香港カップへ出走するも殿負けの10着。
2010年より社台ファームで繁殖牝馬となり、牡馬3頭・牝馬6頭を産んでいる。
2023年12月31日、社台ファームより繁殖引退が発表された。