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ゼンノロブロイ

ぜんのろぶろい

2000年代に活躍したJRAの元競走馬、種牡馬(2000年 - 2022年) 。2004年に史上2頭目の秋古馬三冠馬となり、サンデーサイレンス産駒として初めてJRA賞年度代表馬を受賞した。
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王道の覇者。編集

その秋、黒鹿毛の大器は、王道を制覇した。

天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念。

すべてに参戦することさえも困難で過酷な、古馬中長距離3冠。

王道の覇者、ゼンノロブロイ。

その揺らぎ無き強さは、伝説の英雄の名にふさわしい。


ヒーロー列伝No.59》


成就への橋編集

あまりに流れは急だった

ならば石をひとつずつ

積み上げていくとしよう


強固な橋が完成したとき

手足のたくましさが

増していることに気づく


瞳に自信を宿らせて

さあ胸を張って渡ろう

対岸に待つのは

まさしく大願である


名馬の肖像 2022年天皇賞(秋)


曖昧さ回避編集

  1. 日本の競走馬種牡馬
  2. ウマ娘プリティーダービー』にて1をモチーフとして登場するウマ娘。→ゼンノロブロイ(ウマ娘)

当記事では1に関して解説する。

検索時の支障となるため、2にあたる作品にはリンク先のタグを使用する事を強く推奨する。


データ編集

生年月日2000年3月27日
死没2022年9月2日(22歳没)
英字表記Zenno Rob Roy
性別
毛色黒鹿毛
サンデーサイレンス
ローミンレイチェル
母の父マイニング
5代内のインブリードなし
競走成績20戦7勝
馬主大迫忍→大迫忍・吉田照哉・吉田勝己→大迫久美子・吉田照哉・吉田勝己
調教師藤沢和雄美浦

母ローミンレイチェルは米G1バレリーナハンデキャップなど米重賞3勝。その牝系子孫として半姉Darling My Darlingの孫に2023年全日本2歳優駿、2024年のサウジダービーUAEダービーを制したフォーエバーヤングがいる。


概要編集

03世代競走馬。2004年に史上2頭目の秋古馬三冠を達成し、サンデーサイレンス産駒として初めて年度代表馬に選ばれた。


馬主は大迫忍氏(地図制作・販売会社ゼンリン2代目社長)。後に社台グループの吉田照哉・勝己兄弟との共同所有になり、2005年の大迫氏死去後は妻・大迫久美子氏と社台グループの共同所有となった。

馬名の由来は冠名「ゼンノ」と、スコットランド義賊ロバート・ロイ・マグレガー」の通称「ロブ・ロイ」から。


戦績編集

クラシック~届かないGⅠタイトル~編集

デビューは遅く、2003年2月3日の3歳新馬戦で、鮮やかに勝利を飾った。皐月賞には間に合わず、ダービートライアルの青葉賞で重賞初制覇。初GⅠとなる日本ダービーでは2着。ここまでは一貫して横山典弘騎手が騎乗していたが、秋以降は乗り替わりが激しくなる。


菊花賞トライアルの神戸新聞杯ケント・デザーモ騎手で重賞2勝目。続く菊花賞ではオリビエ・ペリエ騎手を鞍上に4着。暮れの有馬記念では柴田善臣騎手とコンビを組み、シンボリクリスエス圧勝劇の影で3着に入った。


4歳春~掴めない輝き~編集

2004年春はザッツザプレンティリンカーンネオユニヴァースらとともに「4歳四強」と言われた。そんな中、ロブロイは初戦の日経賞ウインジェネラーレの2着と、勝ちきれないレースで始動。


続く天皇賞(春)ではダミアン・オリヴァー騎手が騎乗し、四強では最も落ちる4番人気。いざレースが始まると四強が互いに牽制し合う中、かつて主戦だった横山典弘騎手の駆る10番人気イングランディーレが思い切った大逃げを敢行。気づいた時には既に遅く、必死に追ったロブロイは「四強」のライバル全てに先着したものの、遙か前方のイングランディーレに届かず無念の2着に終わる。


宝塚記念では田中勝春騎手に乗り代わるが、今度はタップダンスシチーの逃げ切りを許してしまい4着に終わった。


覚醒の4歳秋~秋古馬三冠編集

秋を迎え、京都大賞典で始動。岡部幸雄騎手を鞍上に1番人気で堂々と直線で先頭に立つが、ゴール寸前で大外から飛んできたナリタセンチュリーにクビ差交わされ2着と、やはり勝ちきれないまま。


1年近く勝ち星に見放されていたロブロイ。賞金が足りず天皇賞(秋)への出走が危ぶまれるほどだったが、なんとか出走に漕ぎ着けると、短期騎手免許で来日したペリエ騎手とのコンビを再結成。そして、ここからロブロイの快進撃が始まる。


いざ出走が叶えば人気は集まり、ロブロイは1番人気。逃げるローエングリンに構わずじっくりと中段で脚を貯め、残り400mから上がり最速の脚で鋭く追い込み、先頭のダンスインザムードクリストフ・ルメール騎手)をきっちり差し切った。

まさに完勝で、これまでの詰めの甘さは何処へやら。ロブロイは悲願のGⅠ初制覇。藤沢和雄調教師にとってはシンボリクリスエスの連覇に続く秋の天皇賞3連覇となった。


続くジャパンカップ。海外からはコロネーションカップ連覇など英GⅠ3勝のウォーサン、イタリアの3歳女王リュヌドール、カナダ国際ステークスの覇者フェニックスリーチら5頭が参戦。

ロブロイは2番人気コスモバルク、3番人気ハーツクライを従え、堂々の1番人気“日本総大将”に推される。レースはマグナーテンが逃げてペースを作り、ロブロイは秋天同様中段にどっしりと待機。直線に入ってインコースのコスモバルクが先頭に立ち、ポリシーメイカー(仏GⅡ2勝馬)と叩き合う中、コース中央から堂々とスパートを掛けたロブロイは先頭争いを纏めて交わし、2着コスモバルクを3馬身千切り捨てて堂々の圧勝。


勝ったのはゼンノロブロイ!日本総大将!史上3頭目、天皇賞ジャパンカップ連覇!

(実況:三宅正治フジテレビアナウンサー)


秋の天皇賞とジャパンカップの連覇スペシャルウィークテイエムオペラオーに次ぐ史上3頭目の快挙。また、藤沢調教師にとっても初のジャパンカップ勝利となった。

また、2着コスモバルクの鞍上はクリストフ・ルメール騎手であり、2戦続けてペリエ騎手とのワンツーフィニッシュになった。


そして秋の古馬王道GⅠ最終戦、有馬記念。ファン投票でアドマイヤグルーヴに26000票以上の差をつける10万0052票で1位に選ばれたロブロイは、単勝人気でももちろん1番人気。

レースが始まると、タップダンスシチーが1F11秒台連発という超ハイペースの逃げを打つ。ロブロイは前2走とは逆にこのハイペースを受けて立ち、道中2番手で負けずに飛ばす。

中山の短い最終直線に入り、レコードペースで逃げ続けるタップに他馬がついていけなくなるなか、ロブロイはただ1頭ペースを保ったまま突き進み、最後の最後で脚色の鈍ったタップを捉えると、1/2馬身交わしてゴールを駆け抜けた。


この有馬記念での勝利により、ロブロイはテイエムオペラオー以来史上2頭目となる秋古馬三冠を達成。ペリエ騎手と藤沢調教師にとってはシンボリクリスエスに続く有馬記念3連覇となった。


勝ち時計「2分29秒5」は前年のシンボリクリスエスを上回り、初めて2分30秒を切る驚異のコースレコード。2022年1月現在、中山競馬場の芝2500mで2分30秒を切った馬はゼンノロブロイとタップダンスシチー、シルクフェイマスという、このレースの上位3頭のみである。

この年、ロブロイはJRA賞最優秀4歳以上牡馬に、そしてサンデーサイレンス産駒として初の年度代表馬に選ばれた。


現役最終年~栄光のあと~編集

2005年は海外挑戦を見据えた調整を行い、宝塚記念から始動。デザーモ騎手を鞍上に出走し3着。勝ち馬はなんとスイープトウショウ(牝馬による制覇は39年ぶり2頭目)だった。


そして8月、イギリスに遠征。武豊騎手を鞍上に、ヨーク競馬場のGⅠ「インターナショナルステークス」(芝10f 88yd≒2092m)に出走。


道中後方に控えたロブロイは残り2Fで先頭集団を捉え、ゴール板を通過した時には前にいた馬3頭全て差し切った。しかし、更に大外最後方から迫ってきていたElectrocutionistにクビ差交わされ、惜しくも2着に敗れた。藤沢調教師や武豊騎手は敗因について、欧州特有の重い芝や荒れた馬場状態の影響を指摘している。

ちなみに、このときの遠征には藤沢厩舎のメンバーに加えて、のちに調教師としてスクリーンヒーローエフフォーリアなどを管理することとなる鹿戸雄一騎手(当時)が帯同していた。また、武豊騎手には当時放送されていた武豊TVの特別企画として、タレントの見栄晴福永祐一騎手がイギリスまで密着取材を行っていた。


帰国後、天覧競馬となった第132回天皇賞は久々に横山典弘騎手が騎乗。1番人気に推されたが、ヘヴンリーロマンスとアタマ差の2着。ジャパンカップではデザーモ騎手が騎乗。2年連続で日本総大将に推され、好タイムを叩き出しながらも、ホーリックスのレコードを破ったアルカセットハーツクライの前に3着に敗れた。


そして引退レースとなった有馬記念。圧倒的1番人気の無敗三冠馬ディープインパクトハーツクライに敗れるという波乱の中、2番人気のゼンノロブロイはデザーモ騎手が騎乗していたが、スタート直後に脚を捻ってしまい、初めて掲示板を外す8着に終わった。担当厩務員であった川越靖幸氏は、このころに藤沢厩舎に取り入れられた一括での飼い葉作りの兼ね合いで飼い葉の微妙な調整ができなくなっており、馬体を絞りきれなかったことも敗因ではないかと指摘している。


ライバルのネオユニヴァースとは2勝2敗、リンカーンとは7勝5敗、ハーツクライとは3勝3敗であった。


通算成績

20戦7勝(GⅠ3勝 GⅡ2勝) 2着6回(日GⅠ3回 英GⅠ1回 GⅡ2回) 3着4回(GⅠ3回)

生涯獲得賞金(秋古馬三冠の褒賞金2億円を除く)

11億1560万円+10万1200ポンド。


種牡馬時代編集

2006年シーズンから社台スタリオンステーション種牡馬として活動。06~07年はオセアニアでも種付けを行った。2015年にはブリーダーズスタリオンステーションへと移動した。

主な産駒には日本史上初のGⅠ同着優勝記録をもつサンテミリオンジャパンダートダービーを制したマグニフィカ、「最強の青葉賞馬」と評された人気者ペルーサなどがいる。


主な産駒と勝ち鞍編集


最晩年編集

2020年に村上欽哉牧場へと移動して以降は、プライベート種牡馬として余生を過ごしていた。

そして2022年9月2日、立ち上がれなくなっているところを牧場スタッフに発見され、牧場のスタッフに見守られる中、同年8月に天国へ旅立った同厩の先輩・タイキシャトルの後を追うように22年の生涯を閉じた。死因は老衰(厳密には加齢による心臓衰弱)であった(参考)。


馬主の大迫久美子氏は「突然のことで驚いています。大迫家にとってたくさんの夢と幸せを与えてくれた馬なので、ただただ感謝しかありません。」、藤沢師は「天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念という難しいローテーションで2年連続頑張り、2004年には3つとも勝たせてもらい、イギリスでもクビ差負けでしたが善戦してくれた素晴らしい馬でした。本当に残念です。ご冥福をお祈りします。」とコメントしている(参考)。


都市伝説編集

「在英時代は大人しい馬達を先導していた」「在英時代の牧場近所の犬にビビらなくなった」「先輩たるシンボリクリスエスの後継者として期待されていた」という逸話から、「シンボリクリスエスからボス馬の座を奪い、在英時代では現地のボス馬にもなったことがある」という話はネット上によく流布されている。

しかし、実際はそれらしい資料は無く、むしろロブロイの方がクリスエスに迫力負けしていたという証言もあるため、前述のエピソードは都市伝説(またはデマ)として見るべきであろう。



外部リンク編集


死後に公開されたインタビュー類編集


関連項目編集

03世代 秋古馬三冠 日本総大将 サンデーサイレンス

ゼンリン…馬主・大迫忍が実質的な創業者。

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03世代 ぜろさんせだい

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