概要
「日本」の「総大将」。用例としては割とありそうだが、2022年1月現在では「競馬の国際GⅠレース「ジャパンカップ」における出走馬のうち、日本国内調教馬の代表格とされる競走馬」のことを指す。
ただかつては外国馬の勝利が珍しくなかったジャパンカップであるが、近年では出走日程等の変遷・ヨーロッパと日本の馬場の違いなどから出走外国馬のレベルの低下が顕著で、外国馬が出走すらしない年もあり、死語となっている。
強い外国馬が乗り込んでくるのを迎え撃つ形となっていた時期の勝者であればこその二つ名であろう。
稀に、ジャパンカップ以外の国際GⅠレースに使われることもある。
(94年スプリンターズステークスのサクラバクシンオー等)
日本総大将=スペシャルウィーク?
「やはり日本総大将!スペシャルウィークが勝ちました!」
この「日本総大将」というコピーは、ファンの間では1998年と99年の2度にわたって日本総大将を務めたスペシャルウィークの二つ名としてのイメージが特に強い。
それは1999年の第19回ジャパンカップにおいて、この年天皇賞春秋連覇を達成したスペシャルウィークが、前年覇者エルコンドルパサーを凱旋門賞で打ち破ったフランス馬モンジューらを迎え撃って勝利を収めた際、冒頭の実況が飛び出したことによる。
秋の天皇賞とジャパンカップの連覇は史上初だった。
なお、これより前にジャパンカップを制した日本国内調教馬は5頭(カツラギエース、シンボリルドルフ、トウカイテイオー、レガシーワールド、マーベラスクラウン)、うち日本総大将として扱われたのはルドルフとテイオーだけ。
ちなみに日本馬初代ジャパンカップ覇者のカツラギエースは総大将ではなく元々、伏兵の扱いであった。彼は勝利後、米国メディアから"Ace of Japan"と称えられている。
印象の薄い?でも凄い日本総大将
そんなスペシャルウィークと同じサンデーサイレンス産駒で日本総大将を務め、スペシャルウィークとテイエムオペラオーに続く史上3頭目の秋天JC連覇を達成し、実況でも三宅アナに「日本総大将」としっかり呼ばれているのに、スペシャルウィークのイメージが強すぎてあまりそう思ってもらえない馬がいる。
「勝ったのはゼンノロブロイ!日本総大将!史上3頭目、天皇賞ジャパンカップ連覇!」
そう、第24回の覇者ゼンノロブロイである。このあと有馬記念も制し、史上2頭目の秋古馬三冠を達成。さらに、3着に敗れたものの翌年も日本総大将を務めている。ウマ娘にもなっている凄い馬なので、是非覚えておいて頂きたい。
GⅠ未勝利だけど日本総大将
第14回(1994年)は、GⅠ未勝利のマチカネタンホイザが日本総大将となった。
これは日本国内の有力馬が故障、引退などで辞退が相次いだためで、そもそも出走馬にGⅠウィナーが1頭もいなかったという背景がある。
レースは南井克巳が駆るマーベラスクラウンが勝利。我らが総大将はというと…本馬場入場後に鼻出血を発症し、そもそもレースに出られなかった(競走除外)。悲しい…
グレード制導入前では、第1回(1981年)の日本総大将モンテプリンスも該当するだろう。モンテプリンスはこの時点で現在のGⅠ級にあたる八大競走や夏のグランプリ宝塚記念を制しておらず、2着ばかりだったため“無冠の帝王”と呼ばれていた。
レースはアメリカのGⅡクラスの牝馬メアジードーツが芝2400mの日本レコードと東京競馬場のコースレコードをともに更新する走りで勝利。モンテプリンスは7着に敗れ、日本競馬界は海外との実力差を思い知らされた。
新時代の日本総大将?
ジャパンカップにおいて日本総大将が死語になりつつある一方、2000年代後半以降、日本馬の海外遠征が活発化し、凱旋門賞、ドバイワールドカップデー、香港国際競走等、複数の日本馬(しばしばチームジャパンと表現される)が同時に海外遠征を行う機会が増える中、その代表格が日本総大将あるいは日本の総大将と表現されるようになってきている。例えば、2022年のドバイ遠征ではダービー馬シャフリヤールが日本の総大将を務め、ドバイシーマクラシックで勝利を収めている(同年のジャパンカップでは本来の意味での日本総大将も務めている)。新旧の総大将で攻守の立場が正反対となっているが、ある意味、日本競馬の発展の成果と言えるかもしれない…
ウマ娘プリティーダービーにおいて
当該作品において主人公格の一角を担うスペシャルウィークの育成において取得可能な二つ名に「日本の総大将」がある。『日本ダービーを1番人気かつ5バ身差以上で勝利+天皇賞春秋・ジャパンカップを勝利』が獲得条件。無茶なというなかれ、全部実馬が達成した実績である…。
関連イラスト
2022年1月現在、ほぼウマ娘のスペシャルウィークのイラストで占められている。
実馬のもの(サムネイル参照)やウマ娘のゼンノロブロイのものも散見される。
中にはこんなものも…