願うのは
報われることなど
数えるほどしかなくて
それでもコツコツと
走り続けるしかなくて
俺の願いはたったひとつ
もっともっと君を
喜ばせることができたなら
その時には笑顔をおくれよ
よくぞここまでと
祝福する言葉とともに
概要
生年月日 | 2000年1月16日(03世代) |
---|---|
英字表記 | OREWA MATTERUZE |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛(尾花栗毛) |
父 | サンデーサイレンス |
母 | カーリーエンジェル |
母の父 | ジャッジアンジェルーチ |
競走成績 | 38戦9勝 |
近親 | エガオヲミセテ(全姉) エアグルーヴ(叔母) アドマイヤグルーヴ(いとこ) |
名前の由来は石原裕次郎主演の映画『俺は待ってるぜ』より。馬主は珍名馬を多数所有していることで知られる小田切有一。
2000年1月に生を受けるも、およそ一か月後の2月11日に全姉の重賞馬エガオヲミセテがトレセン火災に巻き込まれ逝去。彼女が所属していた音無厩舎に預けられるもデビューが遅れ新馬戦には間に合わなかった。
2003年5月25日の3歳未勝利戦(中京芝2000m)でデビュー。2番人気であったが11着に終わる。
4戦目のレースにて武豊を背に初白星を上げる。
綺麗な尾花栗毛の持ち主だが父サンデーサイレンスの影響か気性が激しく、メンコを着用していたため毛色の話題ではあまり名が上がらない。この気難しさもあって安定したパフォーマンスは発揮できないものの、しばしば重賞で2着に好走する。
2006年の高松宮記念へ柴田善臣を背に参戦。先頭に立つとソラを使う悪癖を鑑みて、最後の直線が短い中京1200への出走を柴田騎手が進言、小田切氏の意図が一致したため初の1200m戦となった。
これが結果的に嵌り、直線で馬群から抜け出す。同じく初1200m挑戦だった桜花賞馬ラインクラフトの猛追を凌ぎ切り1着入線。見事初重賞勝利をGⅠの舞台で達成した。
音無調教師は21年前、小田切氏所有ノアノハコブネ号の鞍上としてオークスを勝利。騎手時代に築いた信頼関係から小田切氏の馬を預かるようになり、高松宮記念が調教師として初G1勝利となった。この後にヴィクトリーやカンパニーといった数々のG1馬を送り出している。
小田切氏は上述のノアノハコブネ号のオークス時には少年ソフトボールの監督業を優先し現地にいなかった。所有馬のG1勝利を実際に目にするまでやはり21年掛かっており、文字通り待ちわびた勝利であった。
次戦のGⅡ京王杯SCも前年2着のリベンジとなる1着で連勝。しかし次にマイルの安田記念を選択したことで歯車が狂ったか、以降は翌年の2007年京王杯SC3着が最高着順。10月の富士ステークス9着を最後に11月12日に引退発表となった。
引退後は種牡馬になり数々の産駒が活躍する最中、2013年10月30日に重度の腰萎症のため死亡した。享年13歳。
代表的産駒はジェンティルドンナら12世代と同期の牝馬ハナズゴールが挙げられる。チューリップ賞では後に三冠牝馬となるジェンティルドンナや阪神JF馬ジョワドヴィーヴルを破ってオレハマッテルゼ産駒JRA重賞初勝利。オレハマッテルゼが早逝した後の2014年にオーストラリアへと遠征し、異邦の地でGⅠ勝利を達成した。
繁殖成績
- ハナズゴール(オールエイジドステークス、チューリップ賞、京都牝馬ステークス)
- キングハート(オーシャンステークス)
- ユヅルノオンガエシ(ブロッサムカップ)
- エッフェル(如月賞、錦江湾賞)
- ヒロノカイザー(トレノ賞)
- ウェイトアンドシー(川崎マイラーズ、スパーキングサマーカップ、ゴールド争覇)
関連タグ
エガオヲミセテ:同厩舎所属の全姉。彼女を襲った悲劇から共に語られることが多い。