概要
JRA美浦トレーニングセンター所属の元騎手。
愛称は「カッチー」。
通算成績:20624戦1809勝。
経歴
1971年
2月25日、北海道三石町(現・新ひだか町)に誕生。実家は競走馬の生産牧場だった。
1986年
JRA競馬学校(千葉県)に第5期生として入所。同期には角田晃一、佐藤哲三、山田泰誠らがいた。
1989年
競馬学校を卒業し藤原敏文厩舎(美浦トレーニングセンター)所属となる。
3月4日、中京競馬場・第2競走でチャンピオンミナミに初騎乗し6着。その後、ストレスからホルモンバランスを崩しバセドウ病を発症し札幌の病院で休養。当時は病状が深刻で薬が手放せず、「ジョッキーどころか普通の生活が出来るようになるのかも不安だった」と本人も回顧するほどであった。一時はJRAによる引退勧告寸前だったが、藤原師が掛け合って現役続行となる。
10月21日、東京競馬場6Rでセキテイボーイ(※1)に騎乗し、新人騎手の中で最も遅い初勝利を挙げた。
※1…テスコボーイの産駒としては最後の勝利であった。
1990年
9月9日、オラトリオに騎乗して京王杯オータムハンデキャップを勝ち、重賞初勝利。
1992年
5月17日、安田記念で11番人気のヤマニンゼファーに騎乗。大外不安を苦にせずGⅠ初制覇。
1993年
10月31日、天皇賞(秋)で藤原師管理馬のセキテイリュウオーに騎乗して柴田善臣に乗り替わったヤマニンゼファーに挑み、ステッキを残り20m地点で落とすほどの熱戦を繰り広げるもハナ差の2着。
1994年
2月6日、セキテイリュウオーに騎乗し、59kgの斤量で東京新聞杯で1着。
10月30日、セキテイリュウオーに騎乗し、天皇賞(秋)でネーハイシーザーの2着に敗れた。
1996年
9月、藤原師の死去で小林常泰厩舎(美浦トレーニングセンター)へ移籍。
1997年
この年よりフリーランス。
2001年
主戦となったバランスオブゲームはGⅡ6勝のJRA記録を達成したがGⅠでは勝てず「GⅡ番長」と呼ばれ、田中と境遇が似ていた。
2002年
12月8日、サクラプレジテントに騎乗し、朝日杯フューチュリティステークスでエイシンチャンプの2着に敗れた。
2003年
4月20日、サクラプレジテントに騎乗し、皐月賞でネオユニヴァースの2着に敗れた。
2004年
9月11日、中山競馬場でヒシフェアレディに騎乗して初風特別に出走し、通算1000勝を達成。
2005年
12月21日、全日本2歳優駿でグレイスティアラに騎乗し、地方競馬だが13年ぶりのGⅠ(JpnⅠ)勝利。
2007年
4月15日、皐月賞で7番人気のヴィクトリーに騎乗し15年ぶりの中央GⅠ(JpnⅠ)勝利。GⅠ連敗記録は139で止まった。音無秀孝調教師から「逃げないで」と命令が出ていたが、馬のやる気に任せて逃げ切った。2着には15番人気のサンツェッペリンが入る大荒れのレースだった。
5月20日、シンガポール航空インターナショナルカップでシャドウゲイトに騎乗し、初の海外GⅠ制覇。
この年は初の年間100勝を達成した。
2019年
7月14日、マイスタイルに騎乗して函館記念を勝ち、4年ぶりの重賞勝利。重賞50勝目となった。
2022年
2月26日、中山競馬場でオウケンロジータに騎乗して4歳以上1勝クラスに出走し、史上11人目となる通算1800勝を達成。
7月10日、七夕賞でエヒトに騎乗し、最後の重賞勝利を挙げた。
2023年
12月7日、JRAの調教師免許試験に合格。同年いっぱいでの騎手引退が決定。
12月28日、中山競馬場2Rでマッスルバックに騎乗して最後の勝利を挙げた。終了後、引退式が行われた。
エピソード・人物
- 生産者であった父(田中春美)が騎手になることを念頭に幼いころから騎乗訓練を行っていた。実家の生産牧場以外にも三石町には多くの生産牧場があり、競走馬の存在が身近な環境で幼少期を過ごした(オグリキャップやオグリローマンを生産した稲葉牧場などが三石町に所在している)。
- 父はオーナーブリーダーで、所有馬の鞍上に息子である田中騎手を起用することが少なくなかった。1999年のアーリントンカップでは父・春美が所有するバイオマスターに騎乗し1着入線を果たすも、ゴール手前でヨレてしまい、これが斜行とみなされ降着となっている。
- 関東開催を得意としている。一方でキャリアが30年を超した現在でも阪神競馬場、京都競馬場、小倉競馬場での重賞勝利がない。
- セキテイリュウオーで挑んだ1回目の天皇賞(秋)については現在も「最も悔しい敗戦」として取り上げている。「『もう少し追い出しを我慢していれば……』と思うと、情けないやら悔しいやらでその晩は涙が止まりませんでした」と回顧している。この4年後に藤原師は現役のまま急逝し、師匠に初めてのGⅠを贈ることはかなわなかった。
- 2003年の皐月賞ではサクラプレジテントに騎乗するもアタマ差で2着に敗れたが、このとき、ゴール後になぜか勝ち馬であるネオユニヴァースに騎乗していたミルコ・デムーロ騎手から、頭をポーンと叩かれてしまった。これについてはデムーロ騎手曰く「カツハルさん(田中勝春)のプレッシャーに負けなかった(デムーロ騎手によると、田中騎手はネオユニヴァースが内に寄られると嫌がる馬だというのを知っており、最後の直線でネオユニヴァースに寄せてきたという)。ボクとネオ(ユニヴァース)の方が上だったんだぜ!」と思わずエキサイトしてしまったためと回顧している。ちなみにこの後デムーロ騎手は田中騎手に叩いたことを謝罪したようで、田中騎手とは友達になったという。そして時が過ぎ、2023年末・田中騎手の引退式にて、田中騎手がデムーロの頭をはたき返すという「リベンジ」が20年越しに達成され、ファンは大いに湧いた。
- 端正な顔立ちで知られ、特にその笑顔は「カッチースマイル」として競馬ファンに親しまれる。本人も「競馬界の反町隆史」と称している。