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セキテイリュウオー

せきていりゅうおー

日本の競走馬、種牡馬。引退まで重賞戦線で好走を続けたが、GⅠでの勝利はならなかった。
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概要

日本の競走馬種牡馬

主な勝ち鞍は日刊スポーツ賞金杯(1993年)、東京新聞杯(1994年)など。

引退まで重賞戦線で好走を続けたが、GⅠでの勝利はならなかった。


プロフィール


来歴

1989年

4月30日、北海道門別町の千葉飯田牧場に誕生。

父・トウショウボーイは競走馬としても種牡馬としても優秀な成績を残した。母・レインボーローズは22戦3勝して繁殖入り。叔父にホウヨウボーイがいる。


1991年

美浦の藤原敏文厩舎に入厩した。

12月1日、蛯沢誠治騎手を鞍上に中山競馬場の新馬戦(芝1800m)でデビュー。シービーゲイルの2着に敗れる。

12月22日、中山競馬場の新馬戦(芝1600m)に出走し1着。


1992年

1月11日、若竹賞(500万下)に出走しハヤノビトンの6着に敗れる。

2月3日、セントポーリア賞(500万下)に出走しサクラセカイオーの3着に敗れる。

2月23日、田中勝春騎手に乗り替わり、春菜賞(500万下)に出走しタイガーエースの2着に敗れる。

3月22日、若葉ステークスオープン)に出走し1着。

4月19日、皐月賞(GⅠ)に出走しミホノブルボンの6着に敗れる。

5月31日、東京優駿(GⅠ)に出走しミホノブルボンの9着に敗れる。秋まで休養に入る。

11月8日、菊花賞(GⅠ)に出走しライスシャワーの6着に敗れる。

12月6日、ディセンバーステークス(オープン)に出走しフジヤマケンザンの2着に敗れる。


1993年

1月5日、日刊スポーツ賞金杯GⅢ)に出走し1着。重賞初制覇。藤原厩舎にとっても開設15年目にして初の重賞勝利であった。

2月21日、目黒記念GⅡ)に出走しマチカネタンホイザの4着に敗れる。

3月14日、中山記念(GⅡ)に出走しムービースターの5着に敗れる。

4月11日、エイプリルステークス(オープン)に出走しサクラセカイオーの2着に敗れる。

5月16日、新潟大賞典(GⅢ)に出走しハシノケンシロウの4着に敗れる。

6月13日、南井克巳騎手に乗り替わり、宝塚記念(GⅠ)に出走しメジロマックイーンの4着に敗れる。秋まで休養に入る。

10月10日、鞍上が田中勝春騎手に戻り、毎日王冠(GⅡ)に出走しシンコウラブリイの2着に敗れる。

10月31日、天皇賞(秋)(GⅠ)に出走。最終直線でヤマニンゼファーと300mに渡る競り合いとなったが、写真判定の末、ハナ差で2着に敗れる。

12月5日、ディセンバーステークス(オープン)に出走し1着。

12月26日、有馬記念(GⅠ)に出走。364日ぶりの復帰戦だったトウカイテイオーの7着に敗れる。レース中、パトロールタワーの影に怯えて飛び越えた事からシャドーロールを装着する事となる。


1994年

2月6日、東京新聞杯(GⅢ)に出走し1着。安田記念を目標に調教が進められたが、橈骨骨膜炎により休養となる。

10月9日、休養明けで毎日王冠に出走し、レコード勝ちしたネーハイシーザーの8着に敗れる(時計はこれまでのレコードタイ)。

10月30日、天皇賞(秋)に出走。最終直線でネーハイシーザーを追い込んだものの届かず、2着に敗れる。脚部不安により休養に入る。


1995年

7月9日、休養明けで高松宮杯(GⅡ)に出走しマチカネタンホイザの7着に敗れる。脚部不安により休養に入る。


1996年

2月4日、休養明けで東京新聞杯に出走しトロットサンダーの6着に敗れる。

3月10日、中山記念に出走しサクラローレルの9着に敗れる。脚部不安により引退となる。


1997年

種牡馬となるが繁殖牝馬が集まらず、12年の種牡馬生活で血統登録されたのは65頭だけだった。


2009年

種牡馬を引退し、荒木育成牧場新ひだか町)に功労馬として繋養され余生を送る。


2011年

4月13日、病気のため死去(22歳歳)。


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競走馬 JRA 92世代

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