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ライスシャワー(競走馬)

らいすしゃわー

日本中央競馬会(JRA)に所属していた競走馬。日本競馬史上最高の「ヒール」と称される。
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※この記事では、馬齢表記に旧表記を用います。

誕生~3歳時代

1989年3月、北海道のユートピア牧場で誕生。
父は桜花賞馬シャダイカグラを輩出したリアルシャダイ、母ライラックポイント、母の父が生涯無敗のまま引退し、菊花賞馬レオダーバン等を輩出したマルゼンスキーという良血馬だった。
生まれた直後から優れた身体能力を発揮しており、様々な所から購入の申し出があった。
しかしユートピア牧場所有者の栗林英雄氏は、生産馬を自分の馬にする「オーナーブリーダー」であったため、それらの申し出をすべて拒否。そのまま栗林氏の馬となった。
その後、馴致育成のため千葉県の大東牧場へ移動される。
ここでも高い身体能力を発揮した上、馴致に手がかからなかったため育成はサクサク進んだ。

1991年に、美浦の飯塚好次調教師の厩舎に入厩。
「この馬に触れた人に幸福が訪れるように」という意味を込め、「ライスシャワー」と名付けられた。

デビュー

当初、ライスシャワーのデビューには7月、札幌競馬場の新馬戦が予定されていた。
しかしこの新馬戦の前に熱発を起こし、レースを回避。デビューは1か月後にまでずれ込み、新潟競馬場でのデビューとなった。
この時の鞍上には、飯塚厩舎の専属騎手である水野貴広が迎えられた。
単勝オッズ3.1倍の2番人気だったが、1番人気のダイイチリユモンをクビ差で制し1着。
デビュー勝ちを飾ったライスシャワーは、早速重賞競走のGⅢ新潟3歳ステークスに出走した。
しかし、このレースでは出遅れが響き11着と大敗してしまう。
次走の芙蓉ステークスこそアタマ差で勝利したが、直後に骨折が発覚し、休養に入る事となった。

4歳時代

休養から復帰したライスシャワーは、皐月賞トライアルのGⅡスプリングステークスに出走した。
しかし4着に敗れてしまい、皐月賞への優先出走権は逃してしまう。
本番の皐月賞でも8着と完敗。
さらにダービートライアルのGⅡNHK杯でも着外に沈んでしまった。
4歳になってから馬券に絡む事すらできなかったライスシャワー。
本番の日本ダービーで16番人気という超低人気だったが、それも致し方ない事だろう。

ところが、このレースでライスシャワーは2着に入った。1着のミホノブルボンにこそ4馬身差をつけられての完敗だったが、それでも日本ダービーで2着に入ったのは事実である。
またこのレースで騎乗した的場均騎手は、これ以降ライスシャワーの主戦騎手となった。
そして夏場に休養を挟んだライスシャワーは、秋シーズンへ向け着々と力を蓄えていった。

秋になり、ライスシャワーは菊花賞のトライアル競走GⅡセントライト記念と、同じくトライアルのGⅡ神戸新聞杯へ出走。
両競走で2着となったライスシャワーは、いよいよクラシック菊花賞へと参戦する。

菊花賞

遂に迎えた、第53回菊花賞。
当日、競馬ファンの興味はほとんどがミホノブルボンへと向かっていた。
なぜならブルボンはここまで無敗であり、このレースに勝てば「皇帝」シンボリルドルフに次いで2頭目となる無敗の3冠馬となるからである。
もちろん、1番人気はミホノブルボン。ライスシャワーは単勝オッズ7.3倍の2番人気に甘んじる事となった。

そして、レースがスタート。まずキョウエイボーガンがハナを奪い、ライスシャワーは5番手辺りで競馬を進める。
2周目の最終コーナーでキョウエイボーガンが失速すると、ミホノブルボンがすかさず先頭へ躍り出た。
そのままミホノブルボンが先頭でゴールする。そう、多くの観客が思っただろう。

しかし、直線半ばで1頭の馬が飛んできた。他ならぬ、ライスシャワーである。
直線半ばでミホノブルボンを差し切ったライスシャワーは、それまで後塵を拝し続けたミホノブルボンに遂に先着した。
1着でゴールしたのは、ライスシャワーだったのである。
クラシックを制覇し、さらにレコードタイムも叩きだしたライスシャワーだった。

しかし、観衆は素直にライスシャワーを祝福する事は出来なかった。
なんといっても無敗の3冠が目の前で阻まれたのだ。それも今までブルボンに負け続けた馬に、である。
スタンドからはライスシャワーを祝福する歓声ではなく、3冠を阻まれたミホノブルボンへの同情とライスシャワーに対する怒りにも似た感情が入り混じったどよめきが聞こえていた。
この時から、ライスシャワーにはある種の「ヒール」役が定着する事となる。

その後ライスシャワーは有馬記念に出走した。
2番人気に推されたものの、レースでは再結成を果たしたメジロパーマーダイタクヘリオスのバカコンビが10馬身近くというバカ逃げを行った。
最終的にダイタクヘリオスが失速し、メジロパーマーが勝利。
結局ライスシャワーは8着に敗れてしまった。なお、3着にはいつも通りナイスネイチャが入った。

古馬時代

古馬となったライスシャワーは、GⅡ目黒記念に出走した。
しかし、以前に下したマチカネタンホイザに敗れ2着止まり。
そんな結果でも、次走のGⅡ日経賞では1番人気に支持される。
その人気に応え、2着のイタリアンカラーに2馬身半の差をつけて快勝した。

というところで、陣営はライスシャワーをあるGⅠレースに出走させる事にした。
3200mの長距離を走りぬく過酷なGⅠ、天皇賞(春)である。

天皇賞(春)

ライスシャワーは、日経賞での勝利を手土産に天皇賞へと出走した。
しかし、この年の天皇賞にはある強敵が存在していた。
単勝オッズ1.6倍。驚異的な人気を得て春の天皇賞3連覇を狙う「最強のステイヤー」、メジロマックイーンである。
天皇賞(春)2連覇に加え菊花賞も制した、名実ともに現役最強のステイヤー。
そんな馬が、春の天皇賞3連覇という大偉業をかけて出走してきたのだ。

マックイーンに対し、普通の手では勝ち目がないと判断した調教師らは、ライスシャワーに徹底的なスパルタ調教を施した。
「マックイーンに勝つ前に壊れる」と言われるぐらい過酷なものを。
結果、当日の馬体重は430kg、目黒記念から-12kgもの体重減であり、限界まで体を絞ってきた。

そして始まった天皇賞。
前年の有馬記念を制したメジロパーマーが相方不在のまま大逃げを打つと、マックイーンはそれに追走し2番手。ライスシャワーは両馬、特にマックイーンをマークしながら走っていた。
そして、パーマーの失速と同時に先頭に立ったマックイーン。ここで、ライスシャワーはすかさず仕掛けていった。
最終的に、抜け出したライスシャワーがマックイーンに2馬身半の差をつけ勝利。マックイーンの天皇賞3連覇を阻止した上にレコードタイムを叩きだし、見事に春の盾を手中に収めたのである。
この時、実況の杉本清アナは「関東の刺客、ライスシャワー!!」というフレーズを使用した。
前年に勝利したミホノブルボン、そして今回勝利したメジロマックイーンの2頭はともに栗東トレーニングセンター、つまり関西の馬だったのである。
それら関西の馬の記録を、ライスシャワーはことごとく阻んでいた。まさに「関東の刺客」である。

ところが、そこからライスシャワーは大きく調子を落としてしまう。
秋初戦のGⅢオールカマーで3着となったのを皮切りに、天皇賞(秋)6着、ジャパンカップ14着、有馬記念8着と負け続け。
翌年、6歳となってもライスシャワーはGⅡ京都記念5着、GⅡ日経賞2着と勝ちきれなかった。
その上、天皇賞(春)への調整中に右前管骨を骨折してしまう。
競走馬としてやっていけるかが危ぶまれる程の重傷であり、一時期は引退も検討された程である。
しかし、長距離でしか結果を残していない上に小柄な馬体だったため、種牡馬としての受け入れ先は見つからず、現役続行となった。
その後年末のグランプリ有馬記念に出走したものの、ここでも3着に敗れてしまった。
しかし、ただで転ばないのがレコードブレイカーと呼ばれる所以。
このレースには、それまでの有馬記念で3年連続3着の珍記録を持つナイスネイチャも出走していた。
ライスシャワーは、有馬記念4年連続3着というナイスネイチャの大異業を見事に阻んでいたのである。
だからどうした?返す言葉もございません。
翌年、7歳となっても勝つ事ができないライスシャワー。
GⅡ京都記念、GⅡ日経賞に去年に引き続いて参戦したものの、両レースとも6着に敗れた。

そして、2年ぶりに出走した天皇賞(春)。
3冠馬ナリタブライアンが故障によって回避しており、本命馬不在の中でのレースとなった。それまでのスランプのためか、単勝オッズは5.8倍の4番人気。

しかし、レースでは800m近くに渡ってロングスパートを敢行。
第4コーナーで先頭に立ち、後続を引き離しにかかるが後ろからステージチャンプが追い込んできた。
そのまま2頭並んでゴールイン。ステージチャンプに騎乗していた蛯名正義騎手はガッツポーズを行った。ライスシャワーは僅差で敗れたのか?
勝負の行方は、写真判定にゆだねられた。
そして写真判定の結果、勝利したのは・・・




                      ライスシャワーだった。




ハナ差でステージチャンプを抑え、ライスシャワーが先着していたのである。
それまで9戦、実に2年ぶりの勝利。
ライスシャワーは、見事に復活を果たしたのだった。
そしてこの瞬間、競馬ファンのライスシャワーへの評価は一転した。
様々な記録を阻止し続ける「ヒール」から、挫折を乗り越え復活した「ヒーロー」へと─────

宝塚記念

復活を遂げたライスシャワーは、春のグランプリ宝塚記念に出走した。
当初は休養の予定だったが、繁殖生活上中距離レースでの勝利もあった方が良かった事や、斤量がそれまでよりはるかに軽い56kgだった事、阪神・淡路大震災復興支援競走となったこのレースにファン投票1位の馬が出走しないのは・・・などの理由もあり、参戦が決定した。
阪神・淡路大震災により、京都競馬場で施行されたこのレース。
ライスシャワーは単勝オッズ6.0倍の3番人気だった。

そして、レースがスタートした。
後方でレースを進めたライスシャワー。いつも通り、最後の直線で追い込んでくる戦法だったのだろう。

しかし、ライスシャワーが直線にやってくる事は無かった。
第3コーナーでライスシャワーは前のめりに転倒し、落馬。
左第一指関節解放脱臼に加え、粉砕骨折を発症しており、もはや手当ての術は無かった。
予後不良と診断されたライスシャワーは、馬運車の中で安楽死処分を受けた。
主戦騎手の的場は、ライスシャワーの遺体を載せた馬運車に対し最敬礼を行い、相棒を見送った。

ライスシャワーが競走馬として花開いた菊花賞
長い不調から奇跡の復活を果たした天皇賞。その2つのレースの舞台となった京都競馬場。
ライスシャワーの生き様がしっかりと刻み込まれた淀の地で、彼はその一生を終えた。

京都競馬場にはそのライスシャワーの碑が建てられており、今でも花などが供えられている。

余談

・彼の死の原因は、高速馬場にあるとの意見もある。
前日のメインレースでもバンブーユジーンが競走中止、予後不良となっていた。
さらにレコードタイムも頻発しており、スピードが出る固い馬場となっていたのが原因という事である。
しかし、実際は彼の故障との因果関係は不明であり、いささか短絡的な意見という見方も多い。

・実は上記の宝塚記念、杉本清アナウンサーが「私の夢」と言ったダンツシアトルが勝利している。
杉本アナは毎年宝塚記念で「私の夢」となる馬を話しているが、「私の夢」となった馬はさっぱり勝てないのである。
なので、ダンツシアトルはそのジンクスを見事にはね返した凄い馬・・・の筈なのだが、ライスシャワーの死によってその勝利はイマイチ影が薄くなっている。
また、杉本アナは最後の直線で「私の夢、ダンツシアトル!」と実況していたため、「ライスが死んでるのに『夢』かよ」と一部から非難を受ける結果となった。
杉本さんは悪くないのに。

競走成績

R=レコードタイム

3歳時

3歳新馬 1着
新潟3歳ステークス(GⅢ) 11着
芙蓉ステークス 1着

4歳時

スプリングステークス(GⅡ) 4着
皐月賞(GⅠ) 8着
NHK杯(GⅡ) 8着
東京優駿 2着
セントライト記念(GⅡ) 2着
神戸新聞杯(GⅡ) 2着
菊花賞(GⅠ) 1着R
有馬記念(GⅠ) 8着

5歳時

目黒記念(GⅡ) 2着
日経賞(GⅡ) 1着
天皇賞(春)(GⅠ) 1着R
オールカマー(GⅢ) 3着
天皇賞(秋)(GⅠ) 6着
ジャパンカップ(GⅠ) 14着
有馬記念(GⅠ) 8着

6歳時

京都記念(GⅡ) 5着
日経賞(GⅡ) 2着
有馬記念(GⅠ) 3着

7歳時

京都記念(GⅡ) 6着
日経賞(GⅡ) 6着
天皇賞(春)(GⅠ) 1着
宝塚記念(GⅠ) 競走中止※予後不良

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競馬 競走馬

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