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ライスシャワー(競走馬)

らいすしゃわー

日本中央競馬会(JRA)に所属していた競走馬。日本競馬史上最高の「ヒール」と称される。
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※この記事では、馬齢表記に旧表記を用います。



'93年 天皇賞(春)
極限まで削ぎ落した体に、鬼が宿る。
王者・メジロマックイーンの三連覇を阻んだ、漆黒のステイヤー。
ヒールか、ヒーローか。悪夢か、奇跡か。
その馬の名は…

― JRAプロモーションCM 「The WINNER 天皇賞(春)編」 より

誘導

※当馬をモデルとするウマ娘については「ライスシャワー(ウマ娘)」を参照。

なお、ライスシャワーのみでは他の用途も存在するため、競走馬のライスシャワーはこちらのタグを使用することを推奨。

誕生~3歳時代

1989年3月、北海道のユートピア牧場で誕生。
父は桜花賞馬シャダイカグラを輩出したリアルシャダイ、母ライラックポイント、母の父が生涯無敗のまま引退し、菊花賞馬レオダーバン等を輩出したマルゼンスキーという良血馬だった。
生まれた直後から優れた身体能力を発揮しており、様々な所から購入の申し出があったものの、当時の牧場の代表であった栗林英雄が生産馬を自分の馬にする「オーナーブリーダー」であったため、それらの申し出を全て拒否したため、そのまま英雄の馬となった(奇しくも戦前の最強牝馬クリフジは英雄の父・栗林友二の所有馬で、勝負服『青服・赤袖・茶たすき』も共通していた)。
その後、馴致育成のため千葉県の大東牧場へ移動されたが、ここでも高い身体能力を発揮し、人間の言うことをよく聞くだった馬こともあり、馴致に手がかからず育成はサクサクと進んでいった。

1991年、美浦トレーニングセンターに在籍していた調教師・飯塚好次が心臓の音の大きさに注目。競走馬としての素質を見出され、そのまま飯塚の厩舎に入厩。
「この馬に触れた人に幸福が訪れるように」という意味を込め、「ライスシャワー」と名付けられた。

1991年 デビュー・3歳戦

当初、ライスシャワーのデビューには7月の札幌競馬場の新馬戦が予定されていた。
しかしこの新馬戦の前に熱発を起こし、レースを回避。デビューは1か月後にまでずれ込み、新潟競馬場でのデビューとなった。
この時の鞍上には、飯塚厩舎の専属騎手である水野貴広(現・調教師)が迎えられた。
単勝オッズ3.1倍の2番人気だったが、1番人気のダイイチリユモンをクビ差で制し、1着。
デビュー戦を勝利で飾ったライスは、早速重賞競走のGⅢ新潟3歳ステークスに出走するも、出遅れが響いて11着と大敗。
次走である1勝クラス・芙蓉ステークスこそアタマ差で勝利したが、直後に骨折が発覚し、休養に入ることとなった。

1992年 牡馬クラシック

休養から復帰したライスシャワーは、皐月賞トライアルのGⅡスプリングステークスに出走(このとき鞍上は柴田政人を迎えた)。
このレースにおいて、朝日杯3歳ステークス優勝馬で、ライスにとってライバルの一頭となるミホノブルボンと始めて対戦するも。ブルボンは8馬身ぶっちぎりの圧勝であり、ライスは4着だった。
本番の皐月賞においては、鞍上に主戦となる的場均を迎えるも、8着と完敗。

その後のダービートライアルのGⅡNHK杯においても、着外に沈むなど大敗が続いたため、本番の日本ダービーでは16番人気という超低人気だったが、マヤノペトリュースとの接戦で2着に入った。

1着であったブルボンには4馬身差をつけられたものの、この日本ダービーで2着になったことを機に、ステイヤーとしての頭角を本格的に現すようになり、徐々に競馬ファンからの関心を集めるようになる。
そして、ライスは日本ダービー後の夏場に休養に入り、秋シーズンへ向けて着々と力を蓄えていった。

秋になると、ライスは菊花賞のトライアル競走GⅡセントライト記念と、GⅡ京都新聞杯へ出走。
セントライト記念では的場が函館3歳ステークスに騎乗したことから田中勝春が代打騎乗しており、レースはレガシーワールド(のち1993年ジャパンカップ優勝)の2着、鞍上が的場に戻った京都新聞杯ではブルボンの2着と惜敗するも、1馬身半差と以前よりも着差は迫っていた。
レース後、的場は馬主の栗林夫人に「逃げ馬のキョウエイボーガン(神戸新聞杯馬)が出走して、ミホノブルボンの先頭を奪えるようなら、ミホノブルボンを負かせるチャンスはあります」と語り、いよいよクラシック菊花賞へと参戦することとなった。

菊花賞



遂に迎えた、第53回菊花賞。
レース当日、競馬ファンのほとんどがミホノブルボンへと関心を向けていた。ここまで無敗であるブルボンがこのレースに勝てば、「皇帝」シンボリルドルフに次いで2頭目となる無敗の3冠馬となると期待されていたためであった。
もちろん1番人気はブルボンであったが、ライスはそれを追う単勝オッズ7.3倍の2番人気だった。

そして、レースが始まり、まず神戸新聞杯勝ち馬・キョウエイボーガンがハナを奪い、ライスは5番手辺りで速度を上げていった。
2周目の最終コーナーでキョウエイボーガンが失速すると、ブルボンがすかさず先頭へ躍り出た。
多くの観客が、そのままミホノブルボンが先頭でゴールすると思われていたが、直線半ばで1頭の馬が飛び込んできた。
それは他ならぬライスシャワーであった。

ライスは、直線半ばでブルボンを差し切り1着でゴールイン。これまで後塵を拝し続けたブルボンに遂に競り勝ったのだ。
ライスは、ようやくクラシックを制覇し、さらにはレコードタイム・3分5秒0を叩きだした。
飯塚たちが見出したライスシャワーのステイヤーとしての才能がまさしく花開いた瞬間であった。

ところが、ブルボンの無敗3冠を期待していた観衆は、これまでブルボンに負け続けていたライスにその夢を阻まれてしまったこともあり、素直にライスを祝福することは出来なかった。
スタンドからはライスを祝福する歓声どころか、3冠を阻まれたブルボンへの同情とライスに対する怒りにも似た感情が入り混じったどよめきも響いていた。

このとき関西テレビで実況していた杉本清アナウンサーも、

あぁ~っという悲鳴に変わりましたゴール前!昨年のレオダーバンに続いて、ダービーの2着馬が菊花賞を制しました!

と実況している。
このときからライスには、ある種の「ヒール」役が定着することとなる。

その後ライスは有馬記念に出走し、2番人気に推されたものの、レースでは再結成を果たしたメジロパーマーダイタクヘリオスの大逃げコンビに10馬身以上の差を付けられ、8着に終わった。
なお、レースの結果は最終的にダイタクヘリオスが失速し、メジロパーマーが逃げ粘って、2着のレガシーワールドとの接戦の末に勝利している。なお、3着は前年に続いてナイスネイチャであった。

1993年 5歳戦

1993年、古馬となったライスシャワーは、GⅡ目黒記念に出走するが、以前に下したマチカネタンホイザに敗れ2着止まりとなった。
しかし、次走のGⅡ日経賞では1番人気に支持され、2着のイタリアンカラーに2馬身半の差をつけて快勝した。

そして、陣営はライスシャワーをある古馬の最高峰のGⅠ、3200mの長距離を走りぬく過酷なGⅠ、天皇賞(春)である。

天皇賞(春)



ライスシャワーは、日経賞での勝利を手土産に天皇賞へと出走するが、この年の天皇賞にはある強敵が存在していた。
それは、単勝オッズ1.6倍。驚異的な人気を得て春の天皇賞3連覇を狙う「最強のステイヤー」・メジロマックイーンである。
天皇賞(春)2連覇に加え菊花賞も制している、名実ともに現役最強のステイヤー。
そんな馬が、春の天皇賞3連覇という大偉業をかけて出走してきたのだ。

マックイーンの主戦騎手もこれまで様々な競走馬とのコンビで数々の勝利を手にしてきた武豊であったこともあり、飯塚ら調教師たちは普通の方法ではマックイーンに対して太刀打ちできないと判断し、ライスには「マックイーンに勝つ前に壊れる」と言われるぐらい過酷なスパルタ調教を徹底的に施した。
その結果、当日の馬体重は430kgまで減少。日経賞から-12kgもの体重減であり、限界まで体を絞ってきた。

そして始まった天皇賞。
前年の有馬記念を制したメジロパーマーが相方不在のまま大逃げを打つと、武の操るマックイーンはそれに追走し2番手。ライスは両馬、特にマックイーンをマークしながら走っていた。
そして、パーマーの失速と同時に先頭に立ったマックイーン。ここでライスはすかさず仕掛けていった。
最終的に、抜け出したライスがマックイーンに2馬身半の差をつけて勝利。武とマックイーンの天皇賞3連覇を阻止した上にレコードタイム3分17秒1を叩きだし、見事に春の盾を手中に収めたのである。
この時、実況した杉本アナは「関東の刺客、ライスシャワー!!」というフレーズを使用した。
前年に勝利したミホノブルボン、そして今回勝利したメジロマックイーンの2頭はともに栗東トレーニングセンター、つまり関西の馬だったのである。
それら関西の馬の記録を、ライスはことごとく阻んでいた。まさに「関東の刺客」である。

ところが、そのときの疲れが響いたせいか、秋シーズン以降、ライスは大きく調子を落としてしまう。
秋初戦のGⅢオールカマーではツインターボに大きく大差を付けられて3着となったのを皮切りに、天皇賞(秋)6着、ジャパンカップ14着、有馬記念でもトウカイテイオーに大差を付けられて8着と低迷。

1994年 6歳戦

翌年、6歳となってもライスシャワーはGⅡ京都記念5着、GⅡ日経賞2着と勝ちきれず、天皇賞(春)への調整中に右前管骨を骨折してしまう。
競走馬としてやっていけるかが危ぶまれる程の重傷であり、一時期は引退も検討された程である。
しかし、長距離でしか結果を残していない上に小柄な馬体だったため、種牡馬としての受け入れ先は見つからず、現役続行となった。
その後体勢を立て直し、休み明けのぶっつけ本番で年末のグランプリ有馬記念に出走、ここでは同年の三冠馬ナリタブライアン、当時マル外最強牝馬と称されたヒシアマゾンに次ぐ3着で、古馬最先着と復調の気配を見せた。
しかし、ただで転ばないのがレコードブレイカーと呼ばれる所以。
このレースには、それまでの有馬記念で1991年から3年連続3着の珍記録を持つナイスネイチャも出走していたが、ライスは有馬記念4年連続3着というナイスネイチャの大異業を見事に阻んでいたのである。

1995年 7歳戦

翌年、7歳となってもライスシャワーは勝ち星に恵まれず、去年に続いて参戦したGⅡ京都記念・GⅡ日経賞両レースでも入着外の6着に敗れてしまう。

天皇賞(春)


ライスの引退を危ぶむ声が高まっていく中で、2年ぶりに天皇賞(春)への出走が決定。
3冠馬ナリタブライアンが故障によって回避しており、本命馬不在の中でのレースとなった。
ここまでスランプが長引いていたこともあり、単勝オッズは5.8倍の4番人気であったが、レースでは800m近くに渡ってロングスパートを敢行。
第4コーナーで先頭に立ち、後続を引き離しにかかるが後ろからステージチャンプが追い込んできた。
そのまま2頭並んでゴールイン。ステージチャンプに騎乗していた蛯名正義騎手はガッツポーズを行った。ライスシャワーは僅差で敗れたのか?
勝負の行方は、写真判定にゆだねられた。
そして写真判定の結果、勝利したのは・・・



ライスシャワーだった。



ハナ差(16cm差)でステージチャンプを抑え、ライスシャワーが先着していたのである。
それまで9戦、実に2年ぶりの勝利。
ライスシャワーは、見事に復活を果たしたのだった。
そしてこの瞬間、ライスに対する競馬ファンの評価は一転した。
様々な記録を阻止し続ける「ヒール」から、挫折を乗り越え復活した「ヒーロー」へと─────

宝塚記念 



復活を遂げたライスシャワーは、春のグランプリ宝塚記念に出走。
当初はそのまま休養する予定だったが、前述の理由から種牡馬としての受け入れ先がその後も見つからない日々が続いていたこともあり、引退後の繁殖生活に入る際に中距離レースでの勝利もあったほうが良いだろうという調教師たちの意向や、斤量がそれまでよりはるかに軽い56kgだったこと、ファン投票で1位に推されたことや阪神・淡路大震災により、得意とされた京都競馬場でのレースになったことなどがあり、レースへの参戦が決定した。

ライスは単勝オッズ6.0倍の3番人気でレースを迎えた。

このレースでも的場とタッグを組んで参戦したが、当の的場はパドックよりも前からライスの様子に違和感を覚え、「今日は勝ち負けはいい、普通に回ってこよう」と無事に走らせることを考えていたという。
そして、レース本番。いつも通り最後の直線で追い込む作戦を取りつつ、的場はなるべく怪我を負わせないように慎重に馬群の後方でライスを進めさせた。

ところが、観衆の目の前で信じがたい惨劇が起こってしまった。第3コーナーの下り坂を回っている最中、ライスの身体が突如崩れ落ちた。
左前脚に故障が発生して身体のバランスが保てなくなり、前のめりになるようにそのまま転げ落ちてしまったのだ。
鞍上から落馬した的場は軽い打撲で済んだものの、当のライスは無理な姿勢で立ち上がろうとしたためか、左第一指関節を解放脱臼した上に複雑骨折を発症しており、もはや手の施しようがない状態であった。
その場で予後不良と診断され、あまりの症状の重さから馬運車にも乗せることもできず、幔幕の張られたターフ上で安楽死の措置が執られた。
的場はライスの遺体を載せた馬運車に対し最敬礼を行って相棒を見送り、ライスを担当していた厩務員も手綱を手に持ったまま号泣した。
このとき調教師の飯塚も、的場や厩務員その他関係者と共にライスの死を見届けていた。飯塚はライスの異常に気付けないまま出走にゴーサインしてしまったことを悔やみ、その戒めも兼ねてライスが最期に付けていた蹄鉄を自宅で保管しているという。

ライスシャワーが競走馬として花開いた菊花賞
長い不調から奇跡の復活を果たした天皇賞。その2つのレースの舞台となった京都競馬場。
ライスシャワーの生き様がしっかりと刻み込まれた淀の地で、彼はその一生を終えたのだった。

同年のJRA賞では特別賞を追贈された。

京都競馬場には、彼の鬣を納めた慰霊碑が建てられており、今でもファンや関係者からの供花が耐えない。
碑文には、次のように刻まれている。

「疾走の馬 青嶺の魂となり」

ライスシャワーの魂は、今でも淀の青空を駆けている。

余談

高速馬場を巡る論争

ライスシャワーが死亡して間もない頃は、「高速馬場がライスの故障を招いたのではないか」といった意見が見られ、高速馬場を巡る論争が競馬評論家や騎手の間で勃発した。
実際、京都競馬場の馬場は、スピードが出やすいように固めに仕上げられており、同競馬場においてもレコードタイムも頻発していたが、事実京都競馬場のレースに参戦した馬がレース後に故障するケースが相次いでいた。
事実、宝塚記念前日のメインレースでもバンブーユージンが競走中止・予後不良となり、更には、上記の宝塚記念の優勝馬であるダンツシアトルは屈腱炎を再発して同レースがラストランになり、最下位でゴールしたナリタタイシンも屈腱炎が再発して引退に追い込まれた上に3着のエアダブリンと14着のネーハイシーザーも屈腱炎を発症し長期休養を余儀なくされるといった具合に故障馬が多く出ていた。
しかしながら、実際はライスの故障との因果関係は不明であり、いささか短絡的な意見ではないかという見方も少なくない。

杉本アナへのバッシング

実は上記の宝塚記念、杉本清アナウンサーが「私の夢」と言ったダンツシアトルが勝利している。しかも勝ちタイム2:10.2は当時の2200mの日本レコードというおまけ付きである。
杉本アナは毎年宝塚記念で「私の夢」となる馬を話しているが、「私の夢」となった馬はさっぱり勝てないのである。
なので、ダンツシアトルはそのジンクスを見事にはね返した凄い馬・・・の筈なのだが、ライスシャワーの死によってその勝利はイマイチ影が薄くなっている。それに加えて上記の通りこのレースがダンツシアトルにとってラストランになってしまっており、まさに踏んだり蹴ったりである。
また、杉本アナがライスの転倒にすぐさま気付けず、その様子に驚き慌てる観客たちの悲鳴と怒号に対して「大歓声が上がった」と言ってしまったり最後の直線で「私の夢、ダンツシアトル!」と実況したりしたため、「ライスが落馬したのに『大歓声』とは何だ」とか「ライスが死んでるのに『夢』かよ」と一部から非難を受け、杉本アナは前者に関して苦情文を送ってきた視聴者に対して生涯初めての実況に関する謝罪文を出す事態になってしまったのである(ただし、ライスシャワーの勝ったGⅠ、菊花賞・天皇賞2回ともすべてを杉本アナが実況しており、とくに2回目の天皇賞・春では前述の通りステージチャンプとの接戦だったが、杉本は僅差でライスシャワーが凌いでいたのがわかり「やった、やった、ライスシャワーです!」と実況している)。

ライスシャワーブームへの反感

95年度の春の天皇賞における復活から名ステイヤーとして見直されていた中での最期だったこともあり、その死を機にライスシャワーの人気や名声が頂点へと達していった。彼の死からしばらくは、多くのテレビ局で彼の追悼特集や特番が放映され、オーナー夫妻や担当調教師、ファン有志の手で、京都競馬場以外にも生前のライスとゆかりの深かった場所に慰霊碑が建立された。
また、競馬関連の雑誌やテレビ番組でも度々ライスの功績に触れられており、ライスの死後から5年経った2000年JRAが主催した「20世紀の名馬大投票」でもミホノブルボン(17位、7,474票)、メジロマックイーン(12位、13,419票)を上回る、計13,442票で11位を記録するなど、その死後もライスの伝説が続くこととなった。
しかし、これら上記の風潮については「その死を殊更に騒ぎ立てて、美化したり英雄視したりしているのではないか」と懸念する競馬関係者からの批判や反発も多く、「ライスシャワーよりももっと評価すべき馬がいるはずなのに」、「レース中での死亡は決して珍しいことではないのにセンチメンタリズムに流されすぎている」などといった意見が少なくなかった。
ある競馬ライターは、ブルボンやマックイーンに競り勝った際のヒール伝説を引き合いに出して「かつてのヒール伝説を棚に上げて、その最期で以てブルボンやマックイーン以上の英雄であるかのごとくライスを祭り上げる有様は一種の宗教のようだ」と辛辣に評価し、また別の競馬ライターに至っては「悲劇に酔いしれたいがためにライスを利用している」とまで言い放っている。
もちろんライスシャワーは名馬と呼ばれるに相応しい馬ではあるが、それはあくまでもステイヤーとして類い希な才能と功績を持っていたことが世間から認められたからであり、決して悲劇的な最期を遂げたからではない。そもそもヒール伝説も「関東の刺客」の異名も、その特異な才能が注目されていたことの裏返しであると言うことは心しておくべきであろう。

競走成績

R=レコードタイム

3歳時

3歳新馬 1着
新潟3歳ステークス(GⅢ) 11着
芙蓉ステークス 1着

4歳時

スプリングステークス(GⅡ) 4着
皐月賞(GⅠ) 8着
NHK杯(GⅡ) 8着
東京優駿 2着
セントライト記念(GⅡ) 2着
京都新聞杯(GⅡ) 2着
菊花賞(GⅠ) 1着R
有馬記念(GⅠ) 8着

5歳時

目黒記念(GⅡ) 2着
日経賞(GⅡ) 1着
天皇賞(春)(GⅠ) 1着R
オールカマー(GⅢ) 3着
天皇賞(秋)(GⅠ) 6着
ジャパンカップ(GⅠ) 14着
有馬記念(GⅠ) 8着

6歳時

京都記念(GⅡ) 5着
日経賞(GⅡ) 2着
有馬記念(GⅠ) 3着

7歳時

京都記念(GⅡ) 6着
日経賞(GⅡ) 6着
天皇賞(春)(GⅠ) 1着
宝塚記念(GⅠ) 競走中止※予後不良

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