概要
日本の競走馬・種牡馬。現役時代は埼玉県浦和競馬組合とJRAで活躍し、強烈な末脚を武器とし、1600mのレースでは生涯無敗を誇った。
主な勝ち鞍はマイルチャンピオンシップ(1995年)、安田記念(1996年)など。
馬主の名義貸し事件の煽りを受け、競走馬登録抹消・引退となった。
プロフィール
性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
父 | ダイナコスモス |
母 | ラセーヌワンダ(母父:テスコボーイ) |
生産者 | フラット牧場(むかわ町) |
馬主 | ㈲有匡→藤本照男 |
調教師 | 津金澤正男(浦和)→相川勝敏(美浦)→内藤一雄(美浦)→相川勝敏(美浦) |
生涯成績 | 22戦15勝(地方:9戦8勝) |
獲得賞金 | 3億6436万1000円(地方:1494万円) |
来歴
1989年
5月10日、フラット牧場に誕生。小柄でおとなしい仔であった。
1990年
藤本照男の紹介で、埼玉県の自営業者・石坂久行が浦和競馬の調教師・津金澤正男と共にフラット牧場を訪れ、津金澤が「テスコボーイの血が入っているから」と薦め、1000万円で購入される。石坂と藤本が設立した「有限会社有匡」の名義で所有することとなり、トロットサンダーと名付けられた。
1991年
育成中にケガを負いJRAのどの厩舎からも入厩を断られたため、津金澤の元、浦和競馬に所属する事となる。
1992年
7月1日、桃井十四秋騎手を鞍上に浦和競馬場の20万円以下(ダート1400m)でデビューし1着。その後、5連勝してシーズンを終える。
1993年
1月3日、本間光雄騎手に乗り替わり、C1四組に出走し2着。初の敗戦となった。
1月21日、C1三組に出走し1着。
2月21日、ヒヤシンス特別に出走し1着。後脚の球節の骨折が判明し、療養生活に入る。藤本は津金澤への相談なしに、JRAの相川勝敏調教師に移籍の約束を取り付けてしまった。
1994年
5月23日、桃井十四秋騎手を鞍上に、15ヶ月ぶりにあやめ特別で復帰し1着。トロットサンダーは相川勝敏厩舎に移籍し、藤本は「石坂から購入した」と吹聴。
7月17日、横山典弘騎手を鞍上に日高特別(900万下)でJRAデビューし2着。両前肢にソエ(骨膜炎)が出て休養に入る。
12月4日、美浦特別(900万下)に出走し1着。JRA初勝利を挙げた。
1995年
1月21日、初富士ステークス(1500万下)に出走し1着。
3月12日、中山記念(GⅡ)に出走。重賞初挑戦だったが7着。
5月20日、府中ステークス(1500万下)に出走し1着。その後、札幌記念(GⅢ)、函館記念(GⅢ)、毎日王冠(GⅡ)と重賞に挑むも結果が出なかった。
10月28日、アイルランドトロフィーに出走し1着。オープン馬となる。
11月19日、マイルチャンピオンシップ(GⅠ)に出走し1着。
1996年
1月、所有権が藤本に移り名義貸し状態が解消された。
2月4日、東京新聞杯(GⅢ)に出走し1着。
5月11日、京王杯スプリングカップ(GⅡ)に出走し3着。
6月9日、安田記念(GⅠ)に出走し1着。日本調教馬初の8歳でのGⅠ勝利を成し遂げた。毎日王冠を目標に函館競馬場で休養に入る。
9月、美浦に戻るが両前脚橈骨痛により毎日王冠を回避。休養に入ったところで、藤本の名義貸しが暴露され、引退に追い込まれる。
1997年
日高スタリオンステーション(浦河町)で種牡馬として供用される。初年度は三桁の繁殖牝馬を集めたが、産駒の成績が振るわず人気が下がっていった。
2004年
8月1日付で種牡馬供用停止、転売不明。
11月、雪で滑って転倒し骨折、安楽死。
名義貸し事件
競走馬が地方から中央に移籍する際、元の馬主は中央競馬の馬主の資格がないとその資格のある馬主に所有権を譲渡するか、自分で資格を取得しなければならない。
トロットサンダーは中央競馬デビューから1年半の間、実質的な所有権が資格がない㈲有匡に残ったままになっていた。
後に正式に藤本照男の所有となったが不正行為が暴露され、トロットサンダーにJRA競走馬登録の抹消処分が下され、引退に追い込まれた。藤本も馬主登録を取り消されている。