概要
父ロベルトは、1972年の英ダービー勝ち馬であり、引退後はヘイローなどと並びヘイルトゥリーズンの代表的後継種牡馬の一頭となった。リアルシャダイ以外にも、ブライアンズタイム、シルヴァーホーク、クリスエスなど重要な種牡馬を生み出している。
母デザートヴィクスンも、1973年の米アラバマステークス、テストステークス、そして1973・74年のベルデイムステークス連覇など活躍し、アメリカ競馬殿堂入りを果たした名牝馬である。
※本記事の表記は旧馬齢表記(現在の表記より+1歳)を用いる。
生涯
日本輸入まで
1979年、ケンタッキー州の牧場で誕生。翌1980年の競走馬競り市で、日本の社台ファームによって落札され「リアルシャダイ」の名を与えられた。
この馬自身も父母ともに良血だが、落札のねらいとしては将来種牡馬入りさせ、当時の社台ファームの主力種牡馬であるノーザンテースト産駒の繁殖牝馬との交配を想定したものであった。
(リアルシャダイの5代先祖と、ノーザンテーストの3代先祖が、1935年生まれの種牡馬「ネアルコ(Nearco)」で繋がる。しかしこれだけ離れていれば、交配に問題はない。)
その後、フランスで競走馬生活に入った。主な勝ち鞍は1982年のGⅡ・ドーヴィル大賞典(このレースの2着は後に同じく日本で種牡馬入りし、スーパークリークを輩出するノーアテンション)。同年のフランスダービー(ジョッケクルブ賞)と凱旋門賞でも2着に食い込んだ。
種牡馬入り後
1983年、日本に輸入され種牡馬入りする。
1987年に初年度産駒たちがデビュー。翌年にミュゲロワイヤルが共同通信杯4歳ステークス(当時)を制覇。
1989年、2世代目からシャダイカグラが桜花賞を制し、産駒初のGⅠ制覇。
その後、イブキマイカグラ(1990年阪神3歳ステークス)、ライスシャワー(1992年菊花賞、1993年・95年天皇賞春)と、計3頭のGⅠ馬を輩出した。
1993年、日本リーディングサイアー獲得。
特にリアルシャダイ産駒は長距離での活躍馬が多かった。
長距離GⅠ3勝のライスシャワー以外にも、ステイヤーズステークス(3600m)にステージチャンプ、阪神大賞典(3000m)にオースミシャダイ・ムッシュシェクル、アルゼンチン共和国杯(2500m)にムッシュシェクル・サンライズジェガー、目黒記念(2500m)にハギノリアルキング、中山大障害(障害・4100m)にフジノスラッガーが勝利した。
1995年の天皇賞春では、ライスシャワー、ステージチャンプ、ハギノリアルキングと、馬券内を産駒3頭で独占してみせた。
一方、1995年の宝塚記念でレース中の故障により予後不良となったライスシャワーをはじめ、脚部不安によって現役生活を縮めた産駒も多かった。
2000年限りで種牡馬引退。2004年、蹄葉炎によって25歳で死亡した。
繁殖成績
※GⅠ・JpnⅠ競走勝ち馬のみ
主な産駒
後継種牡馬に関しては、文句なしの代表産駒であるライスシャワーが血を残せなかったのは痛恨だったといえる(それも、予後不良となったのは「種牡馬としての評価を高めるため、中距離でも走れるところを見せる」という狙いで出走に踏み切った宝塚記念でのことであった)。
イブキマイカグラ・オースミシャダイ・ムッシュシェクルなど、重賞勝ちした牡馬の多くが種牡馬入りしたが、長距離が流行らずスピード重視の風潮の中で目立った産駒成績は残せず、父系ははやくに消滅してしまった。
主なブルードメアサイアー産駒
1996年生:トウカイポイント(父トウカイテイオー、マイルチャンピオンシップ)
1999年生:イングランディーレ(父ホワイトマズル、天皇賞春)
2002年生:サンライズバッカス(父ヘネシー、フェブラリーステークス)
2002年生:プライドキム(父アフリート、全日本2歳優駿)
2003年生:アドマイヤジュピタ(父フレンチデピュティ、天皇賞春)
繁殖牝馬となった産駒がたくさんいるので、現在も血統表にリアルシャダイの名前はよく見られるのだが……。
トウカイポイントはトウカイテイオー産駒の数少ないGⅠ馬だがセン馬であり、イングランディーレは引退後韓国へ輸出、プライドキムは地方競馬の登録抹消後の行方が不明である。サンライズバッカスとアドマイヤジュピタは種牡馬となったが思うように相手が集まらず早くに種牡馬引退となった。その後、アドマイヤジュピタは馬術競技で活躍した。