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すべての競馬場で走り、そして最後は秋の淀で

自分らしい花を見事に咲かせたね……


ヒーロー列伝No.21


※以下年齢は旧表記。

プロフィール編集

品種サラブレッド
性別
毛色栗毛
誕生日1979年2月25日
死没日1997年9月27日(享年21)
オーバーサーブ
ホンマルクイン
母の父ソロナウェー
5代内のインブリードなし
産地北海道新冠郡新冠町
管理調教師大久保正陽(栗東)
生産者グランド牧場
馬主奥村啓二

経歴編集

1981年6月、札幌開催の新馬戦でデビューし2戦目で勝ちを上げる。その後京都3歳ステークスでサルノキング相手に好勝負を繰り広げて2着、阪神3歳ステークスでもリードエイティの2着に入り翌年の牝馬クラシックの主役として期待された。


4歳になり2連勝を重ね桜花賞制覇の期待がかかるも故障により桜花賞を回避。復帰後にオークスエリザベス女王杯に出走するも上位入着は出来なかった。


1983年、5歳になってからは小倉・新潟・中京などローカル重賞制覇を狙って転戦するも勝利には届かず、秋の京都大賞典でようやく勝利。その後も各競馬場を転戦し、いつしかJRAの10競馬場全てで出走を果たした事で話題を呼んだ他、牝馬としては6歳で小倉大賞典、7歳で2度目の京都大賞典制覇を果たした事でも話題になった。とりわけ2回目の京都大賞典では宝塚記念馬スズカコバンや、ニシノライデンを破っての勝利だった。


1985年12月、有馬記念を最後に引退。


引退後は今岩男牧場で繁殖牝馬として供用されるも産駒の成績は振るわなかった。

1999年9月27日、疝痛のため21歳でこの世を去った。


エピソード編集

  • JRAの10競馬場全てに出走し、中山以外の9場では掲示板に載る結果となっている。
  • 顔の太い流星とほぼ休みなく各地を遠征する姿と名前の印象から旅役者をイメージする人が多く、女旅芸人の異名もあった。
  • 史上唯一G1級競走を生涯未勝利でヒーロー列伝に選出された競走馬。一応ステイゴールドが同様の状況で選出されたが、あちらは最後の最後でG1を制覇したため未だにこの条件にあうのはヤマノシラギクが唯一となる。ただし、ヤマノシラギクの現役当時は古馬牝馬G1が施行されていなかった事情もある(エリザベス女王杯の古馬開放は1996年)。

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