プロフィール
生年月日 | 1979年2月11日 |
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英字表記 | Azuma Hunter |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | ダストコマンダー |
母 | ハンティングボックス |
母の父 | Quadrangle |
生産 | 東牧場(千葉県成田市) |
馬主 | (株)東牧場 |
調教師 | 仲住芳雄(美浦) |
主戦騎手 | 特になし |
概要
生い立ち
1979年2月11日に東牧場に生まれる。
父・ダストコマンダーはアメリカ合衆国の競走馬でケンタッキーダービーなどを含む42戦8勝。
1974年に日本に輸入され、1978年にアズマハンターの母となるハンティングボックスに種付け。
1979年にアメリカへ帰国する。アズマハンターの他には、1975年のプリークネスステークスに勝利したマスターダービーなどが居る。
母・ハンティングボックスは1964年のベルモントステークス勝ち馬・Quadrangleを父に持つ。
主な産駒は67年生まれの*クレアーブリッジ*(牝馬。サクラチトセオー・サクラキャンドルの祖母)
70年生まれのスクウェアエンジェル(牝馬。73年カナダ最優秀3歳牝馬)
73年生まれのエンジェルライト(牡馬。ウッドメモリアルステークスでセクレタリアトを破る)
77年生まれのスマートエンジェル(牝馬。1979年アメリカ最優秀2歳牝馬)
などがいる。
ファミリーラインは12号族で、エクリプス・シンザン、ハイセイコーなど、古い名馬に活躍が多い血族。
2歳(1981年)
1981年11月1日、東京競馬場のダート1200mでデビュー。鞍上は菅原泰夫。
1番人気に答えて4馬身圧勝で1着入線。
次走は11月22日の東京ダート1400mの400万下条件戦。しかし1/2馬身差で2着。
3戦目は12月13日の中山の芝1600m400万下条件戦。しかしまたも1馬身差の2着。
3歳(1982年)
年を跨いで4戦目、1月6日の中山ダート1800m400万下条件戦。しかし1 1/2馬身差で2着。
勝てる力はあると踏み、次は1月23日中山ダート1800m400万下条件戦。ここでデビュー以来の2勝目を2 1/2馬身差で快勝。
次走は2月6日東京800万下のダート1400m。9頭立ての中2番人気に押されるも、6着の惨敗。ローテが厳しかったのか、
3週間ほど開けて2月28日中山芝2000m800万下。ここを4馬身差で快勝し、重賞初挑戦のスプリングSを迎えるも、1着から2馬身半離され3着。しかし重賞初挑戦で3着は悪くないと踏み、皐月賞へと向かう。
皐月賞
次走は八大競走であり、3歳限定戦となる皐月賞。20頭立て・3番人気。
1番人気はスプリングステークスを快勝した良血の逃げ馬ハギノカムイオー。
しかしハギノカムイオーは途中で失速し下位入線。皐月賞を制したのは、最後の最後に抜け出したアズマハンターであった。
皐月賞後
次走はNHK杯。16頭立て・1番人気。最後まで食い下がるも、勝ったのはアスワン。
2着に敗れるもクビ差であった。
そして次走は東京優駿・日本ダービー。ダービーでは歴代でも上位に入る28頭という頭数で1番人気。
結果は1着バンブーアトラスから3馬身半離された3着。夏に休養を入れ、次走は菊花賞トライアル・セントライト記念、12頭立ての1番人気に押されるも、3馬身はなされ2着。
そして菊花賞トライアル・京都新聞杯に出走するも、自身初めての重賞掲示板外。
本番菊花賞でも、先頭から離されての13着と惨敗。引退となった。
種牡馬として
アメリカに輸出されたダストコマンダーの後継として期待されるも、活躍馬を出すことができず1992年に種牡馬引退。しかしその直後にユーセイフェアリーが阪神牝馬特別を制した。
種牡馬引退後は静岡県掛川市にあるつま恋乗馬倶楽部で乗馬として供用されていたが、2001年以降そこを出されたようで、その後の行方は不明である。