ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

ホウヨウボーイは1975年4月15日生まれ、父ファーストファミリー母ホウヨウクイン。通算19戦11勝。明治40年に小岩井農場に輸入された基礎牝馬の一頭フラストレートの子孫である。


1977年デビュー新馬戦圧勝後に故障し半年休養、その後さらに再起を危ぶまれる程の故障で1年近く休養。


1979年復帰後に条件戦を勝ち上がりオープン入り。


1980年日経賞で重賞初制覇、秋の天皇賞は7着だったが有馬記念でカツラノハイセイコに勝ちGI初制覇。当年の年度代表馬受賞。


1981年秋の天皇賞でモンテプリンスとの競り合いを制しGI2勝目、JC6着有馬記念2着。2年連続年度代表馬受賞。


引退後はシンジケートが組まれて種牡馬入りしたが供用初年度に胃破裂が原因で早逝。代表産駒は道営記念を制したベストボーイで中央競馬の重賞を制した競走馬は出なかった。半妹のミヤマビューティー(父・ノーザンテースト)は後に繁殖入りし、2022年の高松宮記念を制したナランフレグの曾祖母となっている。


ターフのフェミニストと呼ばれ、8敗中6回は牝馬に先着されている。30年くらい後オルフェ―ヴルがターフのフェミニストぶりを発揮していたが、この2頭は特に関連性はない。

関連記事

親記事

78世代 ななはちせだい

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 4140

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました