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1975年4月15日生まれ、父ファーストファミリー母ホウヨウクイン。通算19戦11勝。明治40年に小岩井農場に輸入された基礎牝馬の一頭フラストレートの子孫である。

現役時代の所属は二本柳俊夫厩舎で、鞍上はすべて加藤和宏が務めている。


経歴編集

1977年にデビュー、新馬戦を6馬身の圧勝で飾り素質の高さを披露するも、直後に右前脚を故障し半年休養、その後調教中に左前脚まで故障が発生し1年近くの休養を強いられる。

この有り様に馬主からは引退の提案もあったものの、調教師の意向により現役は続行することになった。


1979年、前走から1年9ヶ月ぶりの復帰後に条件戦を勝ち上がりオープン入り。着差は3馬身と、デビュー時に見せた素質はブランク明けでも失われていないことを示した。


1980年、日経賞で重賞初制覇。秋の天皇賞は初の掲示板外となる7着だったが、暮れの有馬記念ではカツラノハイセイコに勝ち八大競走初制覇。当年の年度代表馬、並びに最優秀5歳牡馬(現・最優秀4歳牡馬)受賞。


1981年、秋の天皇賞は2番人気に推され、モンテプリンスとの競り合いをハナ差で制し八大競走2勝目。

続けて挑んだのは新設の国際競争ジャパンカップ。発走直前のドタバタでゲートに顔をぶつけてしまい、前歯を折るなどの怪我をした状態で走って6着。

有馬記念はファン投票1位で出走し、1番人気に推されるもアンバーシャダイの2着。このレースを以て現役を引退。

前年に引き続き年度代表馬、最優秀5歳牡馬を受賞。


引退後はシンジケートが組まれて種牡馬入りしたが、供用初年度に胃破裂が原因で早逝。享年8歳(現表記7歳)。

代表産駒は道営記念を制したベストボーイで中央競馬の重賞を制した競走馬は出なかった。半妹のミヤマビューティー(父・ノーザンテースト)は後に繁殖入りし、2022年の高松宮記念を制したナランフレグの曾祖母となっている。


余談編集

  • 引退後にJRAが彼のニックネームを公募したところ、当選したのは「ターフのフェミニスト」。これは現役時代、8敗中6回は牝馬に先着されていることから。
  • 彼の逝去から40余年、かつての主戦騎手から意外な情報が飛び出した。もしかしたら今後、令和の世に彼の名が新たな姿とともに広まる可能性がある…かもしれない。

関連項目編集

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