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父を超えることが仔の使命なら、カツラノハイセイコ、お前ほどの息子がかつていただろうか。


ハイセイコーに似ず小柄な馬体。

だが繰り出すフットワークの完璧さ、並んだら負けない力強さは父を凌ぐ強烈な個性として記憶に新しい。


「根性」の真の意味を、「血統」の真の価値を、ターフに全身で主張した闘士よ。

何百万人もの人間を脱帽せしめたヒーローよ。


さあ走り続けるがいい、私たちの胸の内に、怪物三世の勇姿の内に。



概要編集

1976年5月13日生まれ、父ハイセイコー母コウイチスタア。通算23戦8勝。


1978年デビュー、条件戦を勝ち上がる、1979年スプリングステークス2着、皐月賞2着に敗れたが、父ハイセイコーが勝てなかった日本ダービーを制覇する。京都新聞杯10着後は故障により1年近く休養。


1980年目黒記念で重賞2勝、秋の天皇賞6着、有馬記念2着。


1981年マイラーズカップで重賞3勝、春の天皇賞を制し八大競走2勝、父ハイセイコーが勝てなかったレースでまたも強さを発揮し2重の雪辱を果たした。宝塚記念2着後に引退。


ライバルのホウヨウボーイと1勝1敗、カツアールに1勝2敗、メジロファントムと3勝2敗だった。


種牡馬としてユウミロク、テツノセンゴクオーなど輩出。


2009年10月、老衰により33歳で永眠。カツラノハイセイコの死去によって、1970年代のダービー馬は全員この世を去った。


父ハイセイコーの主戦騎手だった増沢末夫が歌った「いななけカツラノハイセイコ」というレコードも発売された。ただし、増沢はカツラノハイセイコには一度も騎乗しなかった。


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