概要
Meisho Samson(2003年3月7日~)
父:オペラハウス 母:マイヴィヴィアン(母父:ダンシングブレーヴ)
通算27戦9勝
2006年最優秀3歳牡馬、2007年特別賞馬。
CM
ヒーロー列伝
走るごとに強く、勝つごとに逞しく。
勇者の名を持つ駿馬は、闘いを重ねて真の強さを鍛え上げた。
実戦で己を磨く野武士のように、強く、逞しく。
世代の頂点を極めてなお、挑む気迫をみなぎらせて。
人馬一体、さらなる激闘の先にある栄光へと走り行く。
≪「ヒーロー列伝」No.63≫
名馬の肖像
前へ進め
始まりの夏
心躍らせた秋
そして胸はずむ春
たとえ歩みは遅くとも
自身の熱情と人の想いを力に
悪路をわたり巌を越えれば
素晴らしき眺望と出会えるだろう
その高揚をかみしねたなら
すぐにまた前を向け
次なる目的地へと進むのだ
≪名馬の肖像2022年皐月賞≫
来歴
2003年
3月7日、林孝輝牧場(浦河町)で誕生。
父:オペラハウスも母父:ダンシングブレーヴも日本軽種馬協会の種牡馬で、当時はサンデーサイレンス産駒の席捲で影が薄くなりつつあった。
母:マイヴィヴィアンは1959年の啓衆社賞最優秀5歳以上牝馬ガーネット、更に遡れば1907年に小岩井農場がイギリスから輸入したフロリースカツプ(シラオキなどの祖先)の血を牝系で引いていた。
2004年
サマーセールで売却される予定だったが、浦河の生産者グループが瀬戸口勉調教師に仔馬を披露する機会があり、瀬戸口が自身最後の管理馬として選び、松本好雄に馬主になってもらい700万円で購入された。
体格が大きく筋肉質な体だったが、非常に大人しく手のかからない仔馬だった。
鹿屋共同育成センター(鹿屋市)で育成・調教が施された後、瀬戸口勉厩舎(栗東トレーニングセンター)へ入った。
2005年
7月31日、石橋守騎手を鞍上に小倉競馬場の未勝利戦(芝1800m)でデビューし2着に敗れる。
9月4日、小倉競馬場の未勝利戦(芝1800m)で1着。3戦目での初勝利となった。
12月17日、報知杯中京2歳ステークスで1着。この年は7戦3勝で終えた。
2006年
2月12日、きさらぎ賞(GⅢ)で始動するも、ドリームパスポートの2着に敗れる。
3月19日、スプリングステークス(GⅡ)で1着。皐月賞の優先出走権を獲得した。
4月16日、皐月賞(GⅠ)で1着。マイナーな血統のメイショウサムソンは1番人気のアドマイヤムーンはおろか、前走で下したフサイチリシャール(3番人気)以下の6番人気だったが、それを覆しての勝利で、鞍上のベテラン・石橋にとってもデビュー22年目にして初のGⅠ勝利であった。
5月28日、東京優駿(GⅠ)で1着。1番人気に応え、重賞3連勝・クラシック二冠達成となった。前年はディープインパクトがクラシック三冠を達成しており、ミスターシービー/シンボリルドルフ以来、22年ぶり2度目の「2年連続の三冠馬誕生」が期待された。
10月22日、菊花賞(GⅠ)でソングオブウインドの4着に敗れる。三冠はならなかった。
11月26日、ジャパンカップ(GⅠ)でディープインパクトの6着に敗れる。
12月24日、有馬記念(GⅠ)で引退するディープインパクトの5着に敗れる。レース後、グリーンウッドファームで休養に入る。JRA賞最優秀3歳牡馬を獲得。
2007年
2月、瀬戸口調教師が定年となり、高橋成忠厩舎(栗東)に移籍となる。
4月1日、産経大阪杯(GⅡ)で始動し1着。
4月29日、天皇賞(春)(GⅠ)で1着。高橋厩舎は30年目で初のGⅠ勝利となった。馬主の松本はメイショウサムソンの凱旋門賞挑戦を考え、フランスでの騎乗経験が多い武豊騎手を指名する。
6月24日、宝塚記念(GⅠ)でアドマイヤムーンの2着に敗れる。
8月15日、フランス遠征のため美浦トレーニングセンターの検疫厩舎に入るが、17日に馬インフルエンザに感染している事が判明した。
8月19日、高橋が遠征断念を発表。松本は日本では石橋騎手を続投させるつもりだったが、石橋が辞退したため武騎手に乗り替わりとなる。
10月28日、天皇賞(秋)(GⅠ)で1着。史上4頭目の同一年天皇賞春秋制覇を達成。
11月25日、ジャパンカップでアドマイヤムーンの3着に敗れる。
12月23日、有馬記念でマツリダゴッホの8着に敗れる。2年連続年度代表馬はアドマイヤムーンに阻まれた。JRA賞特別賞を受賞。
2008年
1月、松本がメイショウサムソンのこの年限りでの引退を発表。
4月6日、産経大阪杯で始動し6着。その後も天皇賞(春)、宝塚記念で2着と勝ちきれないレースが続く。
10月5日、凱旋門賞(GⅠ)でザルカヴァの10着に敗れる。
10月8日、帰国。
11月30日、石橋騎手に乗り替わりジャパンカップでスクリーンヒーローの6着に敗れる。
12月28日、武騎手に乗り替わり有馬記念でダイワスカーレットの8着に敗れる。
2009年
1月4日、京都競馬場で引退式が行われた。社台スタリオンステーション(安平町)で種牡馬となる。
2014年
浦河町イーストスタッドに移動。
2021年
10月28日、種牡馬を引退。「ナイスネイチャ・33歳のバースデードネーション」の対象馬として引退馬協会に譲渡され、ひだか・ホース・フレンズ(日高町)で功労馬として繋養される。
主な産駒
余談
- 有馬記念は5着・8着・8着と3年連続で成績が残せなかった。
- 現役時代のライバルはアドマイヤムーン(メイショウサムソンの3勝2敗)、ドリームパスポート(メイショウサムソンの6勝8敗)など。
- 当時の大阪杯がG2であったため達成できなかったが、史上春古馬三冠に一番近づいた馬である。(産経大阪杯、春天勝利 宝塚記念2着)(大阪杯のG1昇格&春古馬三冠の創設が2017年でそこでいちばん近づいたのがキタサンブラック(大阪杯、春天勝利、宝塚記念8着))