概要
日本の競走馬。牡牝混合レースを多く戦った。
主な勝ち鞍は優駿牝馬(1956年)、毎日王冠(1956年)など。
プロフィール
略歴
1953年
6月1日、青森県下田町(現在は八戸市)の益田牧場に誕生。
父のマルゼアは戦時中の能力検定競走で8戦3勝という戦績だったが、オンワードゼアを輩出するなど内国産種牡馬として優秀な成績をおさめた。
1955年
伯母のトキツカゼを管理した中山競馬場の大久保房松厩舎に入る。
12月3日、佐藤嘉秋騎手を鞍上に中山競馬場の新馬戦(芝1100m)に出走し、クニノボルの8着に敗れた。
12月10日、折り返しの新馬戦で1着。勝ち上がることができた。
1956年
1月3日、中山競馬場の4歳特別で始動。ナンシーセプターの3着に敗れた。
1月14日、中山競馬場の条件戦(30万下)に出走し1着。
3月11日、阪神競馬場のオープン戦に出走し、トサモアーの2着に敗れた。
5月27日、優駿牝馬に出走し1着。重賞初勝利。
6月24日、中山4歳ステークス(現在のラジオNIKKEI賞)に出走し1着。
9月23日、毎日王冠に出走し1着。
10月7日、セントライト記念に出走し、キタノオーの3着に敗れた。
12月23日、中山グランプリ(現在の有馬記念)に出走し、メイヂヒカリの6着に敗れた。
1957年
1月3日、中山競馬場のオープン戦で始動し1着。
1月6日、ニューイヤーステークスに出走し1着。
3月24日、目黒記念(春)に出走し、ハクチカラの4着に敗れた。
4月14日、高橋英夫騎手に乗り替わり、ダイヤモンドステークスに出走し、トシワカの3着に敗れた。
5月12日、佐藤嘉秋騎手に乗り替わり、東京盃(後の東京新聞杯)に出走し、故障により競走中止。予後不良となる。