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キタノオー

きたのおー

日本の競走馬。サラ系ながら1956年のクラシック三冠でヘキラク、ハクチカラと鎬を削った。
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概要編集

日本の競走馬。1956年の中央競馬クラシック三冠ヘキラクハクチカラと鎬を削った。

主な勝ち鞍は朝日杯3歳ステークス(1955年)、菊花賞(1956年)、天皇賞(春)(1957年)など。

現役中の1958年に急性肺炎のため死亡。

オーストラリアから輸入された血統不詳のバウアーストックを祖母に持ち、サラブレッド系種であった。

全兄にアシガラヤマ、全妹にキタノヒカリ、半弟にキタノオーザがいる。


プロフィール編集


略歴編集

1953年

5月15日、アラブ種の生産を主としていた武田重四郎牧場に誕生。


1955年

中山競馬場の久保田金造厩舎に入厩。

8月13日、勝尾竹男騎手を鞍上に、札幌競馬場の未勝利戦(ダート900m)でデビューし初戦勝利。

8月21日、札幌ステークスに出走し、トサタケヒロの2着に敗れた。

10月29日、中山競馬場のオープン戦に出走し1着。

11月6日、中山競馬場の優勝戦に出走し、ハクチカラの3着に敗れた。

11月20日、東京競馬場のオープン戦に出走し1着。

11月27日、3歳特別に出走し、ヘキラクを破り1着。

12月11日、朝日杯3歳ステークスに出走し、ハクチカラを破り1着。休養に入る。


1956年

1月、啓衆社最優秀3歳牡馬に選出された。

3月10日、東京競馬場のオープン戦で始動し1着。

3月21日、スプリングステークスに出走し1着。

4月7日、東京競馬場のオープン戦に出走し、トサタケヒロの3着に敗れた。

4月22日、皐月賞に出走し、ヘキラクの2着に敗れた。

5月5日、NHK杯に出走しヘキラクを破り1着。

6月3日、東京優駿に出走。スタート直後にヘキラクと共に内側に斜行エンメイ、トサタケヒロの2頭が落馬という大荒れのレースとなり、ハクチカラの2着に敗れた。秋まで休養に入る。

9月23日、毎日王冠に出走し、フエアマンナの4着に敗れた。

10月7日、セントライト記念に出走し1着。

11月4日、京都特別に出走し、ミナトリユウの2着に敗れた。

11月18日、菊花賞に出走し1着。

12月16日、新関力騎手に乗り替わり、中山競馬場のオープン戦に出走し1着。

12月23日、勝尾竹男騎手に乗り替わり、同年に新設されたファン投票によるオールスター競走・中山グランプリ(後の有馬記念)に出走し、メイヂヒカリの2着に敗れた。休養に入る。


1957年

3月24日、目黒記念(春)で始動。ハクチカラの5着に敗れた。

4月13日、柴田富夫騎手に乗り替わり、京都競馬場のオープン戦に出走し1着。

4月29日、勝尾竹男騎手に乗り替わり、天皇賞(春)に出走し1着。レコード勝ちであった。

6月16日、柴田富夫騎手に乗り替わり、中山競馬場のオープン戦に出走し1着。秋まで休養に入る。

10月13日、中山競馬場のオープン戦に出走し、ユウセイの3着に敗れた。

10月20日、勝尾竹男騎手に乗り替わり、オールカマーに出走し、ハクチカラを破り1着。

11月3日、目黒記念(秋)に出走し、ハクチカラの2着に敗れた。翌年からハクチカラはアメリカへの長期遠征へ出たため、対戦することはなかった。


1958年

4月12日、柴田富夫騎手に乗り替わり、中山競馬場のオープン戦で始動し1着。

5月3日、伊藤竹男(旧姓・勝尾)騎手に乗り替わり、東京杯に出走し、ミツルの2着に敗れた。

6月14日、柴田富夫騎手に乗り替わり、中山競馬場のオープン戦に出走し、ラプソデーの2着に敗れた。秋まで休養に入る。

10月14日、北海道から中山競馬場への輸送途中に急性肺炎を発症し死亡。


関連タグ編集

56世代 JRA サラブレッド系種

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