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概要

日本の競走馬繁殖牝馬

主な勝ち鞍は皐月賞(1947年)、優駿牝馬(1947年)など。

主な産駒はオートキツオンワードゼアなど。

1984年、顕彰馬に選出された。

略歴

1944年

3月10日、益田牧場(青森県)に誕生。

父・プリメロはアイリッシュダービーアイリッシュセントレジャーを勝ち、小岩井農場に種牡馬として輸入され、日本で多数の活躍馬を輩出した。

母・第五マンナは、小岩井農場の基礎輸入牝馬フラストレートの血を牝系で引いていた。

母父・シアンモアは1927年に小岩井農場がイギリスから輸入した種牡馬で、カブトヤマをはじめ多数の活躍馬を輩出した。

川口ゴム工業株式会社創業者の川口鷲太郎が馬主となった。

1946年

大久保房松厩舎に入厩。

11月24日、東京競馬場のA3歳戦でデビューし、ネオンの2着に敗れた。

12月1日、東京競馬場のA3歳戦に出走し1着。

1947年

3月23日、中山競馬場のB4歳戦に出走し1着。

4月6日、4歳牝馬特別に出走し1着。重賞初勝利。

5月3日、東京競馬場のA4歳戦に出走し1着。

5月11日、東京競馬場の農林省賞典に出走し1着。

5月24日、東京競馬場のA4歳戦に出走しマツミドリの3着に敗れた。

6月8日、東京優駿競走に出走しマツミドリの2着に敗れた。秋まで休養に入る。

10月5日、東京競馬場のA4・5歳戦に出走しタマの2着に敗れた。

10月19日、優駿牝馬に出走し1着。

11月9日、カブトヤマ記念に出走し1着。

11月16日、中山競馬場の農林省賞典に出走しマツミドリの5着に敗れた。

11月29日、中山競馬場の4・5歳ハンデキャップに出走しトキノミドリの3着に敗れた。

12月14日、中山4歳特別競走に出走しシマタカの5着に敗れた。

1948年

3月21日、中山競馬場のA勝入ハンデキャップに出走し1着。

3月28日、中山5歳特別競走に出走しシマタカの4着に敗れた。

4月4日、中山記念(春)に出走しブランドパプースの5着に敗れた。

4月25日、東京競馬場のA4歳以上ハンデキャップに出走しトヨウメの3着に敗れた。

5月9日、東京競馬場のA5歳以上特別に出走しミツカゼの3着に敗れた。

5月29日、東京競馬場のA4歳以上ハンデキャップに出走しマルシンの2着に敗れた。

6月5日、東京競馬場のA5歳以上特別に出走し1着。

6月19日、東京競馬場のA5歳以上ハンデキャップに出走しアケボノの4着に敗れた。秋まで休養に入る。

10月3日、中山競馬場のA4歳以上特別ハンデキャップに出走しアケボノの4着に敗れた。

10月10日、中山競馬場の農林大臣賞に出走し1着。

11月13日、東京競馬場のA特殊ハンデキャップに出走しカツフジの5着に敗れた。

11月23日、天皇賞(秋)に出走しカツフジの6着に敗れた。

12月4日、東京競馬場のA特殊ハンデキャップに出走しワールドモアの9着に敗れた。

12月19日、目黒記念(秋)に出走しセフテスの7着に敗れた。

1949年

3月13日、東京競馬場の特殊ハンデキャップに出走しトキノホシの6着に敗れた。

3月20日、東京競馬場のオープン戦に出走し1着。現役引退となる。

1950年

益田牧場に帰り繁殖入り。16頭の仔を産んだ。

1966年

6月19日、子宮内出血のため死去(22歳)。

1984年

競走成績・繁殖成績が認められ顕彰馬に選出された。

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