概要
イギリスの競走馬。引退後は小岩井農場に導入され、昭和初期から中期の日本を代表する種牡馬となった。
プロフィール
性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
父 | バッカン |
母 | オーラス(母父:オービー) |
馬主 | ジョン・シーウェル・コートールド |
調教師 | ベイジル・アーネスト・ジャーヴィス |
競走成績 | 14戦4勝 |
略歴
1924年
4月7日、イギリスで誕生。
父・バッカンは現役成績17戦11勝で、種牡馬としては多くの活躍牝馬を輩出した。
母・オーラスは現役成績12戦5勝で、娘のオリソン、ロストソウル、ヴェンチャーサムの子孫が現在に至る牝系を築いた。
母父のオービーは英愛ダービーを勝った快速馬であった。
イギリス保守党の政治家であるジョン・シーウェル・コートールドの所有馬となり、パピルスなどを手掛けたベイジル・アーネスト・ジャーヴィス調教師に預けられた。
1926年
ハーストパーク競馬場のトロイステークスでデビューしてラベデグラースの4着に敗れる。
5戦目のモールコームステークスで初勝利。次戦のプレンダガストステークスでも勝利を飾った。
1927年
2000ギニーステークスは6着、チェスターヴァーズは着外に終わったが、ロンズボロープレートでこの年最初の勝利を挙げた。
ダービーステークスは3着、プリンスオブウェールズステークスは着外に終わったが、デュークオブヨークプレートで1着。セントレジャーステークスは4着だった。
グレートフォールステークスでカレドンの3着に敗れ、現役引退。
1929年
スターリングモア、タイホウ、チャレンジャー、ハクセツ等の初年度産駒が活躍。下総御料牧場のトウルヌソルと共に昭和初期の日本競馬界をリードする。
1933年
1934年
産駒のフレーモアが東京優駿大競走に勝利。
日本首位種牡馬を獲得。
1935年
産駒のガヴァナーが東京優駿大競走に勝利。シアンモア産駒の3連覇となる。
1949年
GHQにより三菱財閥が解体され、小岩井農場は競走馬生産を禁止された。シアンモアはセントライトと共に、岩手県畜産試験場に移動。
1953年
老衰のため死去(29歳)。剥製標本は東京競馬場、骨格標本は東京大学農学部、心臓標本は岩手大学に寄贈された。
1975年
その功績を讃え、岩手県競馬組合の重賞競走「シアンモア記念」が創設された。
2012年
10月28日、明仁天皇(現・上皇)は146回天皇賞(秋)を観戦し、「若い頃は小岩井牧場でシアンモアを見ました」と語った。