概要
フレーモア(繁殖名ブラオンジヤツク)は、1930年代半ばに活躍した日本の競走馬。
プロフィール
誕生
1931年5月25日に、秋田県の館合村(現在の横手市)の土田農場で生まれた。
父は前年の東京優駿馬・カブトヤマを出したシアンモア、母はイギリスから輸入されたアステリヤという馬であった。
3歳になると尾形景造(尾形藤吉)のもとに預けられた。デビュー戦は3月25日の新呼戦と遅れたが6馬身差で勝つと、続く優勝戦をレコード勝ちで2連勝。1ヶ月後、府中町に新設された東京競馬場での最初の東京優駿大競走に臨んだ。
東京優駿大競走
第3回東京優駿大競走では、3連続レコード勝ち中で前走帝室御賞典(東京競馬会)ではカブトヤマを破ったミラクルユートピアが大本命と目されていたが脱臼により当日朝回避し、押し出される形でフレーモアが1番人気に押された。オッズは2倍であった。フレーモアはスタートから先頭に立つと、同厩舎のテーモアに2馬身半差をつけて逃げ切り、史上初めて無敗で東京優駿大競走を制した。3着にも同厩舎のデンコウが入った。
フレーモアの優勝は記録ずくめであり、
- 府中最初のダービー馬(目黒競馬場から移転した新生・東京競馬場で最初に行われた東京優駿のため。)
- 秋田県産の東京優駿優勝馬(史上初で、以降現在まで唯一の例。)
- 初の個人牧場生産馬の優勝。
- 優勝馬・2着・3着馬まですべて同一管理調教師。(同一厩舎の調教馬による上位3頭独占は、東京優駿においては今のところ唯一)
後に「大尾形」と称され、歴代最多の東京優駿勝利調教師となる尾形にとってもこれが最初の東京優駿制覇だった。
その後
秋には東京競馬場で行われた帝室御賞典をはじめ3つの特別戦を制す等活躍していたが。4歳の2月に右前足の故障により現役を退いた。
その後ブラオンジヤツクと名を変え、傷が癒えた5歳から北海道静内の伊藤繁太郎の元で種牡馬入りした。カミカゼ、ホウカツピータの2頭の中山大障害(春)優勝馬を輩出している。
1945年廃用。戦後の混乱の中消息不明となった。
競走成績
13戦7勝(全て1934年)
月日 | 競馬場 | レース名 | 頭数 | 着順 | 騎手 | 距離 | 馬場 | タイム | 着差 | 1着(2着)馬 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
3.25 | 中山 | 新呼 | 4頭 | 1着 | 二本柳勇 | T1800 | 良 | 1.53.3 | 6身 | (ライデン) |
4.8 | 中山 | 優勝 | 4頭 | 1着 | 二本柳勇 | T2200 | 良 | R2.22.4 | 1/2身 | (テーモア) |
4.22 | 東京 | 東京優駿大競走 | 10頭 | 1着 | 大久保亀治 | T2400 | 不良 | 2.45.0 | 2 1/2身 | (テーモア) |
10.21 | 根岸 | 帝室御賞典 | 7頭 | 4着 | 大久保亀治 | T2000 | 良 | ― | ― | チヤレンジヤー |
11.2 | 根岸 | オープン | 7頭 | 3着 | 大久保亀治 | T2400 | 不良 | ― | ― | アトランタ |
11.10 | 東京 | 特ハン | 7頭 | 2着 | 大久保亀治 | T2000 | 良 | 2.07.4 | アタマ | カブトヤマ |
11.11 | 東京 | 帝室御賞典 | 7頭 | 1着 | 大久保亀治 | T2000 | 良 | ― | 1身 | (アトランタ) |
11.23 | 東京 | 農賞 | 7頭 | 2着 | 大久保亀治 | T3200 | 良 | R2.46.2 | 1/2身 | デンコウ |
11.25 | 東京 | 優勝 | 4頭 | 1着 | 尾形景造 | T2600 | 良 | 2.36.1 | 41/2身 | (タイホウ) |
12.2 | 中山 | 中山4歳特別 | 4頭 | 1着 | 岩佐宗五郎 | T2400 | 良 | ― | 1 1/4身 | (デンコウ) |
12.9 | 中山 | 優勝 | 8頭 | 3着 | 岩佐宗五郎 | T2600 | 良 | ― | ― | デンコウ |
12.15 | 鳴尾 | 新古馬 | 6頭 | 1着 | 尾形景造 | T2200 | 良 | 2.23.1 | 1 1/2身 | (キタオイカゼ) |
12.24 | 鳴尾 | 農賞 | 4頭 | 2着 | 伊藤正四郎 | T3200 | 良 | ― | 2身 | スーパーシヨン |
主な産駒
カミカゼ(中山大障害(春))
ホウカツピータ(中山大障害(春))