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ミスオンワード

みすおんわーど

日本の競走馬・繁殖牝馬。日本の牝馬のレース体系が未整備な時代だったため、主に牡牝混合戦を戦った。
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概要編集

日本の競走馬繁殖牝馬

主な勝ち鞍は桜花賞(1957年)、優駿牝馬(1957年)など。

日本の牝馬のレース体系が未整備な時代だったため、主に牡牝混合戦を戦った。

繁殖成績も優秀で3頭の重賞勝ち産駒を輩出。


プロフィール編集


略歴編集

1954年

3月8日、浦河町(北海道)に誕生。

父・ハードソースは凱旋門賞を勝ったアルダンの仔ながらスプリント・レースで活躍し、種牡馬としてはダービーステークスを勝ったハードリドンなどを輩出したが、子・孫の代まで日本に買われてしまい、イギリス本国では発展できなかった。

母・ホールドタイトはハードソースの仔を身籠った状態でイギリスから輸入され、日本でミスオンワードを出産した。

大手アパレルオンワード樫山」創業者の樫山純三が馬主となった。


1956年

武田文吾厩舎に入厩。

10月27日、京都競馬場の新馬戦でデビュー、初勝利を挙げた。

11月17日、京都競馬場の3歳ステークスに出走し1着。

12月1日、阪神競馬場オープン戦に出走し1着。

12月23日、京都3歳ステークスに出走し1着。啓衆社賞最優秀3歳牝馬に選出。


1957年

3月17日、阪神競馬場のオープン戦に出走し1着。

3月31日、桜花賞に出走し1着。

5月3日、東京競馬場のオープン戦に出走し1着。

5月19日、優駿牝馬に出走し1着。「ダービーに挑戦しては」という機運が高まり、武田師は難色を示したが、世論のプレッシャーに負け出走する事となった。

5月26日、東京優駿に出走しヒカルメイジの17着に敗れた。

9月28日、京都競馬場のオープン戦に出走しライジングウイナーの3着に敗れた。

10月20日、神戸杯に出走し1着。

11月17日、菊花賞に出走しラプソデーの10着に敗れた。

12月7日、阪神競馬場のオープン戦に出走し1着。

12月29日、朝日チャレンジカップに出走しサールスの5着に敗れた。啓衆社賞最優秀4歳牝馬に選出。


1958年

1月11日、京都競馬場のオープン戦に出走し1着。

1月19日、日本経済新春杯に出走しトツプランの3着に敗れた。

3月15日、阪神競馬場のオープン戦に出走し1着。

4月13日、スワンステークスに出走しナンバイチバンの2着に敗れた。

4月29日、天皇賞(春)に出走しオンワードゼアの8着に敗れた。

5月18日、阪神競馬場のオープン戦に出走しゴールドアローの2着に敗れた。

6月1日、鳴尾記念に出走しセカイオーの3着に敗れた。

6月14日、阪神競馬場のオープン戦に出走し1着。

6月29日、宝塚杯に出走しヤマニン(日本)の8着に敗れた。

9月23日、京都競馬場のオープン戦に出走しタツテルの3着に敗れた。

10月25日、東京競馬場のオープン戦に出走しユウセイの3着に敗れた。

11月3日、目黒記念(秋)に出走し1着。

11月23日、天皇賞(秋)に出走しセルローズの2着に敗れた。

12月21日、有馬記念に出走しオンワードゼアの7着に敗れた。競走馬を引退。


1959年

樫山が所有するオンワード牧場で繁殖牝馬となる。


1986年

3月25日、転倒して左大腿骨を骨折し、安楽死の処置が執られた(33歳)。


主な産駒編集

オンワードセカンド アポオンワード ハードオンワード


スダホークオンワードホールの孫


関連タグ編集

57世代 競走馬 繁殖牝馬 オンワード樫山

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