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オジュウチョウサン

おじゅうちょうさん

日本の競走馬・種牡馬(2011-)。主な勝ち鞍は2016年~2020年・2022年の中山グランドジャンプ(JGⅠ)、2016年・2017年・2021年の中山大障害(JGⅠ)。平地競走に比べてマイナーな障害競走で活躍して数多くの記録を打ち立て、「障害競走の絶対王者」「100年に一頭の障害馬」の二つ名で呼ばれた障害競走界きっての優駿として知られる。
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ヒーロー列伝


「超えていく、王者。」


惨敗もあった、故障もあった、苦戦もあった。

その障害を越えるたびに強くなった。

心通うパートナーと、互いの才能を信じ

鍛え、解き放った。

記録を刻み、記憶を彩り、

人馬一体、進む飛越の王者。

超えていくその勇気を、その闘志を、

愛さずにはいられない。

ー JRAポスター「ヒーロー列伝」より ー


概要

プロフィール

馬名オジュウチョウサン
欧字表記Oju Chosan
香港表記長山之馬
生年月日2011年4月3日
性別
毛色鹿毛
ステイゴールド
シャドウシルエット
母の父シンボリクリスエス
管理調教師小笠倫弘(美浦)→和田正一郎(美浦)
担当厩務員長沼昭利
主戦騎手石神深一(障害)/武豊(平地)
馬主(株)チョウサン(代表:長山尚義)
生産坂東牧場

2011年4月3日北海道平取町生まれの競走馬。全兄に2013年ラジオNIKKEI賞優勝馬のケイアイチョウサンがいる。

馬名の由来はJRAによると「家族名+冠名」。実際は、馬主であるチョウサン代表・長山尚義氏の次男が、子供の頃一人称の「俺」を言えずに「オジュウ(俺)」と言っていたことに由来する。


父ステイゴールドは2001年の香港ヴァーズ優勝馬で、種牡馬入り後はドリームジャーニーオルフェーヴル兄弟やゴールドシップフェノーメノなどを輩出した名馬。...と、このように書けば普通の名馬と思えるが、現役時代は長きに渡って重賞・GⅠ戦線で活躍するも2・3着止まりというシルバー&ブロンズコレクターで、気性難持ちでもあったためにネタエピソードに事欠かない迷馬でもある。

母父シンボリクリスエスは2002年・2003年の天皇賞(秋)・有馬記念を制したアメリカ生まれの外国産馬。種牡馬入り後はエピファネイアサクセスブロッケンなどを輩出して成功を収めた他、母父としても優秀な成績を残すなど日本競馬に大きな影響を与えた。


人間のそれと同様に競馬にも障害物を突破しながら進む「障害競走」というジャンルのレースがあり、その障害競走において圧倒的な強さを誇る名馬である。


2022年12月に引退し種牡馬入りした。


性格

気性難で有名なステイゴールドの産駒ということで嫌な予感がした人もいるだろうが、案の定オジュウチョウサンも日頃から噛み付き癖があるそうで、厩務員の服を破った前科は数知れず

他にも担当する長沼昭利厩務員を前脚で叩いて肋骨を3本折る大怪我をさせたり(なおこの時叩かれた長沼厩務員はレース前だからとコルセットを巻いて痛みを気力で耐えてオジュウチョウサンの面倒を見続けた)、自分の馬糞を人や馬に蹴っ飛ばしてその反応を見て楽しんだり、調教中にあからさまにサボろうとするなど、ヤンチャなエピソードには事欠かない。流石に怒られると反省していますので許してと言わんばかりに甘えてくるそうだが、長沼厩務員曰く「5分後には怒られたことを忘れている」

また非常に賢いために、此方が仕返しをしてやろうとするとその先の人間の動きを読んで動くために仕返しに成功したためしがないという。どうやら自分が弱いと思われることを決して許さない性格であるらしく、実際に人間から見て弱みになるような部分は一切見せなかった。これは父であるステイゴールドも同様である。

極めつけに、8歳(人間で言えば30歳前後)にして調教中に放馬して勝手に障害を跳び越え、ダートの水溜まりで泥遊びというフリーダムっぷりを見せた。いい歳して何やってんの。

ちなみに長沼厩務員の語るところでは背中を見せると隙ありとみなして噛みついてくるが、顔を無防備に近づけるようなことをすると逆に噛みついたりは一切しない。これは実際にテレビの取材中に実践されており、その際にはいたずら大好きと名指しで言われて自慢げそうに鼻を鳴らしていた。


なおこれらの気性難に関しては、ステイゴールド産駒特有の賢さからくる気性難に加えて、彼の母であるシャドウシルエットの影響が極めて大きいという説がある。シャドウシルエットは隙あらば世話役の関係者に襲い掛かるという、ステイゴールドと同じような行動をとる牝馬であり、その気性故に未出走のまま繁殖に入った経緯を持つ(他にも虚弱な肉体であった事も、彼女が出走できなかった理由であったという)。

そしてオジュウチョウサンはそんな母親の傍で一連の行動を観察し、遂には母親と共に関係者に襲い掛かるようになったとされる。なお、シャドウシルエットの母父であるミルジョージも気性が荒いことで有名(柴田政人曰く「ミルジョージ産駒には天才と狂気が同居したような馬が多い」)。シャドウシルエットの父であるシンボリクリスエスは比較的温順な性格だったと言われているが、その産駒たちは母系関係なく気性が荒いという特徴を持っている。


つまるところオジュウチョウサンの気性難は、ただでさえヘイロー系とディクタス系という気性難の悪魔合体をしたステイゴールドに他の気性難の血統を合流させ、その上で気性難持ちの母が「気性難とは何か」を英才(?)教育するという狂気の領域に踏み込んだ結果ともいえる。しかもこの配合はステマ配合のように偶然発見されたものではなく、馬主である長山氏が生産する坂東牧場と念入りに検討し、成功すると確信して選んだ配合(意外なことにステイゴールドに母父シンボリクリスエスの血統を用いた配合を最初に行ったのは長山氏であり、相馬眼が非常に優れた人物である氏の動きを見て社台グループが後追いの形で実行するも、オジュウチョウサンが結果を出す前にステイゴールドが死亡したため、ステマ配合のようなブームを起こすことはなかった)であり、シャドウシルエットもその配合実現のために購入したという。

因みにこの配合は高い能力を持ちながら比較的虚弱なシンボリクリスエス産駒にステイゴールドの頑健な肉体を付与するという、ステマ配合とほぼ同じ血統論に基づいた配合である。そしてこの配合は高い勝ち上がり率を誇っており、ステマ配合に勝るとも劣らないニックスとされている。

なお、ステイゴールド×シンボリクリスエスという配合のため、ステゴ系によく見られる白目の目立つ輪眼、通称ディクタスアイと、ボリクリ系によく見られる大きくて先端の反り返った耳、通称ボリクリ耳の両方を備えているのが顔つきの大きな特徴である。


しかしながらレースに対しては非常に前向きで、特に連勝をスタートしてからはベスト体重を自ら把握してレースまでにはその体重となるように食事量を調整するとされる。この好例として、オジュウチョウサンのベスト体重は510キロとされているが、彼が中山グランドジャンプを走る際、2022年現在において1戦を除いてすべてこの体重で出走している。またオジュウチョウサンはレース日を入厩のタイミングから逆算してどのタイミングに自分がベストの状態になるのかを考えてコンディションを整えている。また、厩舎では暴れまわるがいざレースとなると一切暴れることなく、それどころかファンサービスもきっちりこなす(これはかの皇帝シンボリルドルフも同じであったという)。特徴的な障害飛越時の「飛ぶ」というよりは「跨ぐ」ような低い飛越も自ら編み出し、更にはこれまで走ったことのある障害コースは全て記憶しているとも言われる。更には「本番のレース」と「ステップレース」を理解して、ステップレースで自身の状態を整え、本番で使うためのエネルギーをしっかりと蓄積して本番ですべて吐き出す。また自身の身体の限界点を正確に把握して、これ以上は身体が壊れると判断すると自らブレーキをかけるという。事実、オジュウチョウサンは骨折の経験こそ幾度となくあるが、屈腱炎や繋靭帯炎などといった競走馬として重篤となる故障を負ったことは一度もない。

ここは50戦を大過なく走り切った父親と似ているのかもしれない。

そして競走馬としてみた場合でも異常なほどに頭が良いといわれる。長沼厩務員は実父がトウショウボーイを厩務員として担当していたほどの人物で、その父を追ってこの世界に入り数多くの競走馬を担当してきたが数十年競走馬を相手にしてきてここまで頭の良い馬を他には知らず、比較することすらできないと語っている。実際にこれは石神騎手も同様のことを語っており、レース中に前を追う為に押しても無視して、オジュウチョウサン自身の判断でスパートを仕掛けることが何度もありその全てで勝ってきたという。


因みにオジュウチョウサンがレースに対して非常に前向きであるのは自身がレースに勝つと周りの人達が笑顔になり、自分の事を褒めてくれるからで、勝つことに喜びを見出し、自分自身の、そして周りの人達のためにレースに挑み続けているというある意味ではステイゴールド産駒らしからぬ理由で戦い続けている。そのため自分自身が障害競走の王者であるとはっきりと自覚しており、レースに負けると、自身に怒り極めて不機嫌になって手が付けられなくなるという。なお、勝った時の口取りでは主戦の石神騎手が正面を向いていると一族伝統のディクタスアイで思い切り睨み付け、自分の方を彼が向くとディクタスアイも引っ込んで思い切り口角を上げて笑顔になるツンデレである。

これほどまでにレースを理解し、そして勝利に対して恐ろしいまでに貪欲である事が、彼を絶対王者であり続けさせた原動力であるかもしれない。


戦法・特徴

外見上の特徴として、レース出走時などは水色の耳開きメンコに同色のピークチーシーズを着用している。が、その素顔は上昇する巨大な火球を思わせる流星を持つグッドルッキングホースであり、障害競走馬らしくトモの厚みも相当な物。

また、超一流の競走馬が持つと言われているようなオーラがあり、パドックなどでも「王者の風格を感じさせる」と手放しに絶賛され、そのオーラは一般人ですら肌で感じられると言われているほどである。このような雰囲気を持つためか、牝馬などからはガチ惚れされている事も多いという。


当然のように厩舎でもボス馬であり、調教などでは必ず先頭を進んでその姿を見せる。なおサービス精神旺盛なのか、カメラレンズが自分を向いているとわざわざ撮影しやすい位置に立ち止まってくれる。レース後でもファンが写真を撮ったりカメラを回しているのを理解して何度でもポーズを決めるなど自分のファンを非常に大事にしているなど、非常に賢く振舞うため、普段はとんでもないほどの気性難であることは厩舎側が積極的に情報公開するまで全く知られていなかった


レースの戦法面から見た場合、好位追走から抜け出しての末脚勝負を得意とする先行馬であり、オジュウチョウサンの勝利の多くは最終コーナー手前には先頭に立ってそのまま押し切る流れである。そのレーススタイルはステマ配合で有名なメジロマックイーンを髣髴とさせる走りであるため、彼もステマ配合と勘違いされることがあるが、先述したように父こそステイゴールドであるが母父はシンボリクリスエスであるのでステマ配合の持ち主ではない。


しかしオジュウチョウサンを絶対王者たらしめているのは驚異的な飛越速度と平地力、類を見ない体幹バランス、競馬場、馬場状態、いかなるレースアクシデントにも対応してしまう尋常ならざる適応能力、そして何よりも歴史上に名を連ねる名馬たちにも引けを取らない勝利への貪欲さと精神力である。

オジュウチョウサン自身は障害飛越そのものはさほど上手くないと言われており、これは実際に主戦の石神騎手自身が証言している。一方で体幹バランスが他の競走馬に比べて頭一つ抜きんでており、身体も非常に柔らかいため飛越でバランスを崩しても一歩目、二歩目でバランスを整えてしまう(有名なものでは2020年中山グランドジャンプの大欅障害飛越。この時オジュウチョウサンは大きくバランスを崩し、石神騎手も前方に投げ出される寸前であったにも拘らず僅か2歩で体勢を立て直し、しかもそのまま加速している)。通常であれば障害飛越の際にバランスを崩してしまうと立て直しに時間がかかるのだが、オジュウチョウサンにはそのタイムロスが存在しない。これはしばしば彼の特徴的な跨ぐような低い飛越を成立させているのだが、そもそもこの飛越自体、オジュウチョウサンは障害物に対して一切の恐怖心を抱かないからできる芸当であるとされる。更には踏み切るタイミングが合わないと判断すると生垣に足を引っかけて文字通り駆け上がるという、馬とは思えないような判断力まで備えている。これは他のどの競走馬にも存在しない彼のみの特徴とされている。中山競馬場の競走馬たちの写真が壁に刻まれている場所があるのだがそこでのオジュウチョウサンの飛越シーンは必見である。

その走行スタイルについても特殊で、障害馬ではタブーとされる、重心を低くして走る競走馬でもある。主戦である石神騎手は「飛越時にオジュウの後ろ足が視界に入ってくる」「普通ここまで低いと飛越時にひっくり返る」と語るほどだが、平地挑戦の際に武豊が騎乗した際もこれで障害を飛越できるのかと平地騎手が困惑するほど重心が低い。なお一般的に障害競走馬は飛越をするために首をあげて重心を上げて走るように調教されるがオジュウチョウサンは一切その調教には応じなかったという。

更には中山、阪神、東京競馬場などの障害コースどこを走ってもしっかりと適応した走りを披露する。障害レースはコースの都合上平地競争以上にコース適性がはっきりしてしまうため、例えば中山競馬場で勝てたとしても東京競馬場で勝てるとは実はならず、むしろ惨敗しても適性の問題と言えるが、全盛期のオジュウチョウサンは適性など全く関係なく強く、しかも初期と現役最晩年を除けばいかなる状況であろうと複勝圏内には入ってくる。そのうえ重馬場でも末脚は衰えず、最終コーナーで体当たりされて大きく外に膨れようが、尋常ならざる大逃げをされようが、包囲網を形成されようが、剥離骨折していようが勝利を奪い取ってしまう、異常なまでのメンタルの強さとフィジカルを誇る。

そして平地競争能力に関しても障害競走馬としてはこれまたズバ抜けたものを持っており、特に2018年中山グランドジャンプでは3650メートルを激走し、大障害コースを飛越し、いくつものバンケットを走り抜けた後の飛越障害込みの上がり3Fを36秒9という、平地重賞競走とほぼ同レベルの速度で駆け抜けて2着のアップトゥデイトに大差を付けてレコード勝ちした。

  • ちなみにアップトゥデイトもまた2015年の春秋障害GⅠ制覇を成し遂げるなど障害競走における強豪馬の一頭であり、このレースの際には3着の二ホンピロバロン(2018年中山大障害優勝馬)に9馬身差を付けて自己レコードを1.2秒更新するという走りを見せている。しかしながらオジュウチョウサンとは5度に及ぶ対決の中で2015年中山大障害以外全て敗北しており、実力そのものは十分なことから、しばしば「アップトゥデイトが『10年に一頭の障害馬』なら、オジュウチョウサンは『100年に一頭の障害馬』」「(アップトゥデイトが)生まれてくる時代が悪すぎた」と言われている。

そして肉体が衰え始め、飛越も低く飛ぶのが逆に体力を奪うような状態になってくるとこれまでの低い飛越から高く美しい飛越に切り替えている。これには陣営側の努力も功を奏した結果であるが、このような飛越のモデルチェンジはいわば追い込み馬が突然大逃げをするようなもので、そのような事を僅か半年で成し遂げてしまっている。


このように障害競走馬としてはあまりにも特異かつ強大な存在であるためか、障害競走に関わる騎手や調教師は揃ってオジュウチョウサンについては『化物』と称しており、平地再挑戦が発表されたときには『オジュウチョウサンがいるとどうやっても勝てないから平地挑戦は歓迎する』と言った者まで出てきたほど。現役最晩年こそ衰えを見せたものの衰えた状態ですらなおJ・G1を勝利するだけの身体能力は維持されており、肉体的な最盛期のオジュウチョウサンに勝つのは不可能とすら言われた。

無敗の三冠馬として知られるシンボリルドルフディープインパクトですら、圧倒的強さを誇った全盛期のタイミングでも僅かな隙を突いて勝利を奪い取った競走馬がいたが(前者の場合はギャロップダイナ、後者の場合はハーツクライ)、オジュウチョウサンに関してはその隙すら一切与えず無慈悲に捻じ伏せていったことからもこれが事実であることが実績によって証明されている。

そしてオジュウチョウサンの現役期間における障害競走のレベルは驚くべきレベルで高く、10年に1頭の天才障害競走馬アップトゥデイトを筆頭として、その後継と目されたサナシオン。フサイチリシャールの代表産駒であるニホンピロバロン。良血障害馬として知られるルペールノエル。母父トウカイテイオーとしては国内最高傑作ともいわれたシングンマイケル。スズカマンボの牡馬代表産駒メイショウダッサイなど、むしろどの障害競走馬も王者と呼ばれる資格を十二分に有していたのだが、彼らの悲劇はただ1頭オジュウチョウサンの現役時代にぶつかってしまったのただ一言のみに尽きるという。

その強さたるや、主戦騎手を務める石神深一をして「(全盛期の)オジュウチョウサンは鼻を穿りながら乗っても勝てる(つまり騎手が何の指示をしなくても自分で競馬を組み立てて自身の身体能力のみで勝負しても勝ててしまう)」と発言するレベルである。

因みに障害騎手のみならず平地騎手もその能力の高さを評価している。ミルコ・デムーロ騎手などはオジュウチョウサンの能力に惚れ込んで障害競走もオジュウチョウサンに乗りたくなって障害免許の取得を検討したほど(これは周囲から止められたため断念したが、元々デムーロ騎手は母国イタリアでは障害競走もこなす騎手であった)であり、武豊騎手も平地重賞は取れるだけの能力はあると断言している。


経歴

誕生からトレセン入厩まで

オジュウチョウサンの馬主となる馬主法人「チョウサン」のオーナーである長山尚義氏(オフィス関連メーカー会長)は、元々学生時代から競走馬の血統などを研究し、暇な時間は短波放送を聞き入り学校近くの場外馬券売り場に足を運ぶなど熱心な競馬ファンだった。

大橋巨泉が出演していた番組がきっかけで一口馬主クラブ「社台レースホース」に申し込んで一口馬主を始め、最初の出資馬はサッカーボーイだったという。さらに一口馬主と並行して1985年に中央競馬の馬主資格を取得。1999年からは個人での所有をし始め、2008年にはチョウサンが毎日王冠を勝利し馬主として重賞初制覇も経験した。なお個人馬主となってからも一口馬主は続けており、この頃にはオルフェーヴルジェンティルドンナにも出資しているという。


長山オーナーは繁殖牝馬の所有も行っており、かつて一口馬主で出資したパーフェクトジョイ(父ステイゴールド)の半妹であるシャドウシルエット(父シンボリクリスエス)を繁殖牝馬セールで落札している。シャドウシルエットは落札後に北海道平取町の坂東牧場で繋養される事となり、2009年から14年まで連続してステイゴールドをつけられていた。2010年に生まれた初仔が後のケイアイチョウサンである。


そして2011年4月3日、シャドウシルエットの第2仔として、後のオジュウチョウサンとなるシャドウシルエットの2011が坂東牧場で誕生。母馬所有者である長山オーナーの所有となり、オジュウチョウサンという名前を付けられた。


デビュー~3歳時(2014年)

美浦トレセンの小笠倫弘厩舎に入厩後、2013年10月東京競馬場の新馬戦でデビューするも11着11月の未勝利戦では8着となる。その後骨折してしまい、約1年の休養を経て復帰するもその頃にはもう平地未勝利戦は終了していたため、障害競走に転向する。


障害転向~4歳時(2015年)

障害デビュー戦となった2014年11月の福島競馬場の障害未勝利戦では14頭立ての14着と大惨敗。この後に和田正一郎厩舎に転厩し(この時の転厩については不明点が多いものの、厩舎側と意見の相違などがあったと後に馬主の著書で語られている)、2戦を経て障害4戦目の2015年2月の東京競馬場障害未勝利戦を勝利して未勝利を脱出する。


その後は東京ジャンプステークスなどに出走するも同レースは4着、年末の中山大障害はアップトゥデイトの6着と勝ち星を挙げられないことが続き、通算成績は平地時代から続いて10戦3勝と、このころはまだスタートが下手な障害オープン馬の一頭に過ぎなかった。

そんな状況の中、オジュウチョウサンは運命の相手というべき石神深一騎手と出会った。後に彼は、オジュウチョウサンの全障害レースの手綱を握ることとなる。

  • 元々石神騎手はオジュウチョウサンの調教を手伝っていたが、東京ジャンプステークスの際にそれまでのオジュウチョウサンの鞍上だった山本康志騎手の乗り馬が重なったため、このレースより鞍上を務めることになった。これが無ければ、その後のオジュウチョウサンの活躍がなかったのかもしれない。

5歳時(2016年)

2016年はオープン戦から始動。石神騎手の進言により、メンコの耳当てを外しての出走となった。

このレースではニホンピロバロンの2着に終わるものの、耳当てを外した結果スタートの出だしが劇的に改善。

以降、耳当てなしの水色メンコは、同色のチークピーシーズとともにオジュウチョウサンのトレードマークとなる。

2016年中山グランドジャンプ

2016年4月中山グランドジャンプでは、逃げるサナシオンを前に見て道中3~4番手ほどに控えて進み、第4コーナーから一気の追い上げを見せる。そしてサナシオンを一気に抜き去り、3馬身半差を付けてゴールイン。

重賞初制覇及び障害GⅠ初制覇を飾り、また鞍上の石神騎手及び管理する和田調教師にも初のGⅠ制覇をプレゼントした。


その後、東京ジャンプステークス、東京ハイジャンプも見事に優勝したオジュウチョウサンは、中山大障害へと駒を進める。


2016年中山大障害

2016年の中山大障害では、ライバルとなるアップトゥデイトとの2度目の直接対決となった。

両馬共に好位につけて様子を窺い、最終障害手前から2頭の一騎打ちとなるものの、最終直線で一気の末脚を見せて突き放し、9馬身差で圧勝


この年からオジュウチョウサンの快進撃が始まり、2018年4月の中山グランドジャンプまでJ・G1 5勝を含む、障害戦および障害重賞9連勝(JRA重賞競走連続勝利記録)の記録を作るなど、「障害界の絶対王者「100年に1頭の障害馬」の二つ名をいただくことになる。


6歳時(2017年)

2017年、オジュウチョウサンは初の関西遠征となる阪神スプリングジャンプから始動。ここでもアップトゥデイトに2馬身差をつけて快勝し、前年から重賞8連勝を飾った。

2017年中山グランドジャンプ(春)

春秋のグランプリ戦、中山グランドジャンプに出走したオジュウチョウサンはここでも激走し、鞍上がムチを使わないまま3馬身半差の快勝

レース後、右第1指骨剥離骨折の発症が判明し療養生活に入るが、8月末に完治し帰厩。

復帰戦となった東京ハイジャンプでは、重馬場の中逃げるタマモプラネットを最終障害で一気に交わし去り、大差で勝利を挙げた。なおこのレースでは、最終コーナーを通過するまでタマモプラネットとの距離は8馬身の大差と言える状態で、そのまま逃げ切り勝ちと思われていたのだが、そこから僅か1ハロン足らずで追いついて残り1ハロンで大差勝ちするという、骨折明けとは思えない目を疑うレース展開を見せた。『剥離骨折でも王者の時計は止まっていませんでした!』はこのレースの名実況として知られる。

2017年中山大障害

迎えた中山大障害では、5度目のアップトゥデイトとの直接対決となり、4万1千人強の観客がその姿を一目見ようと中山競馬場へ押し寄せた

「さあ、前・王者か!現・王者か!!青い帽子二頭の追い比べに変わる直線!」(場内実況担当のラジオNIKKEI・山本直アナ)

レースではアップトゥデイトが逃げを打ち、オジュウチョウサンは2番手につける形で追走していく。

そして最終直線で一気に追いすがり、半馬身差でオジュウチョウサンが勝利。2頭ともにシンボリモントルーが保持していたレコードタイムを1秒1上回る死闘であり、前王者と現王者の最終直線ぎりぎりまで決着がつかない壮絶な一騎打ちは当年ベストレースと推す声も多い。

後の2022年9月、JRAが10の歴代レースを対象に投票で1位を選出する企画「競馬名勝負列伝」を実施した際には、この2017年中山大障害は名だたる平地の名レースを抑えて2位に選出されるなど、歴代の障害競走でも屈指の名レースとして記憶されていることがうかがえる(ちなみに1位は3頭の三冠馬が激突した2020年ジャパンカップ)。


これによってオジュウチョウサンはフジノオーグランドマーチスに並ぶ春秋の中山大障害4連覇(4連勝)を達成し、有馬記念ファン投票で障害馬ながら77位に当たる1,278票を集めた。


7歳時(2018年)

2018年中山グランドジャンプ

「オジュウチョウサン先頭!最後のハードル障害、踏み切ってジャンプ!無事飛越を終えた!2番手9番アップトゥデイト!その差はもう、5馬身6馬身7馬身!」(場内実況担当の山本直也アナ(フリー・元ラジオNIKKEI所属))

2018年中山グランドジャンプでは、前走を上回るペースで大逃げを打つアップトゥデイトを2番手でマークし続けると、最終コーナー手前で先頭に立ち、最後のハードル障害飛越後に一気にスパート。結果、アップトゥデイトとの間に2.4秒差の大差をつけて見事1着を勝ち取った。なおこの時の走破タイムは4分43秒0、アップトゥデイトが保持していた中山グランドジャンプのレコードタイム4分46秒6を3秒6縮めてニューレコードとなった。

なお、このタイムは4100m時代に記録されたゴーカイの4分43秒1すら上回るレコードタイムである。そして2着のアップトゥデイトも自身のレコードを1秒2更新し、3着のニホンピロバロンもアップトゥデイトの前のレコード保持馬であるブランディスのタイムを上回っており、4馬身後方で掲示板に入ったルペールノエル、テイエムオペラドンも例年ならば優勝タイムで駆け抜けている。

これによりフジノオーとグランドマーチスを超える春秋の中山大障害5連覇(5連勝)を達成、さらに史上初の中央同一GI3連覇も合わせて達成。出走馬がどの馬も時代さえずれていれば王者級の実力者ばかりという群雄割拠の中、対決した騎手達をして化物と言わしめるオジュウチョウサンの強さが際立ったレースとなり、結果この1レースのみで当年の最優秀障害馬に選出されることとなった。

有馬記念へ

障害界に敵なし状態のため年末の有馬記念出走を目標に平地転向を表明。平地においては未勝利のため出走条件を満たしていなかった(平地未勝利馬は出走できない)ため、武豊騎手を鞍上に条件特別戦に出走して2連勝(JRA競走11連勝は新記録)。なおこの時の平地転向理由は福島競馬場100周年を記念するイベントとして、そしてオジュウチョウサンを種牡馬にするため、平地での実績を作るためであった。

因みにこの時、騎乗依頼された武豊は「障害競走のライセンスは持ってない」と断ろうとして平地参戦の依頼と聞いて驚いたという。


その1戦目、500万下の開成山特別(芝2600m)では重賞開催日でもないただのローカル平場の特別競走にもかかわらず、歴史的名ジャンパーの挑戦を見届けようと観客が殺到。福島競馬場はまるでメイン4場のG1レースのような盛り上がりを見せた。

レースではスタート後は先頭集団のやや後ろの4番手に控え、そのまま淡々とレースは進む。そして2周目の3コーナー手前からオジュウチョウサンは進出を開始。直線で追ってくる後続を千切り捨て、3馬身を開いて圧勝。平地でも王者の余裕を見せつけた。

このレースで騎乗した武豊は、事前にオジュウチョウサンとこのレースの出走馬についてリサーチを行っているのだが、中山の大障害コースを駆けながらラスト3F36秒台で走れるような能力を持った馬はこのメンバーにはいないと絶対的な自信を持っていたという。

この勝利で平地競走への賞金を獲得したが、まだ賞金面で不安があるため、2戦目として東京競馬場開催の1000万下の南武特別(芝2400m)へ出走。わずか7頭の少頭数でのレースとなったが、スローで逃げる前2頭のペースに慌てることもなく、4馬身ほど後ろに位置づけて3コーナーを回ったところで進出を開始。直線で追ってくるブラックプラチナム、トラストケンシンを抑え切り見事に1着。直線勝負の府中でも使える末脚を示し、有馬記念へ向けて盤石の体制となった。


2018年有馬記念ファン投票では堂々の3位の得票数で出走権利を確保して出走。

9着に終わったものの、直線で一旦は先頭に立つなど、「流石に人気先行で勝負にならないのでは?」との声を黙らせるに十分な見せ場たっぷりのレースを見せた。


8歳時(2019年)

2019年は再び障害に復帰し、阪神スプリングジャンプ、中山グランドジャンプを連勝して絶対王者健在を見せつけた。

中山グランドジャンプ(大障害春)ではバローネターフを超える大障害の通算6勝を達成、さらに地方を含めて史上初の同一GI4連覇も達成。なおこの時のレースでは、まるでテイエムオペラオーの有馬記念のごとく実力馬たちの包囲網が敷かれ、向こう正面でオジュウチョウサンは完全に包囲されていたのだが、オジュウチョウサンはオペラオーのように僅かな隙間を見つけて飛び込むのではなく、全頭そのまま自分のペースに引きずり込んで飛越と加速のみで捻じ伏せるという次元の違うレースを披露し、その光景はまるで百人組手をしていると形容された。この時、前年の中山大障害の優勝馬であるニホンピロバロンも包囲網に加わっていたが全く歯が立たず、オジュウチョウサンのペースに付き合った結果故障引退となっている。

その後再び平地に挑戦するも、結果を残せず2019年シーズンを終える。


9歳時(2020年)

2020年は平地競走に見切りを付け、今後は障害に専念すると陣営は発表。

その始動戦となった阪神スプリングジャンプでは、前年の最優秀障害馬シングンマイケル(2019年中山大障害優勝馬)やトラストなどの強豪が顔を揃えたが、それらを全く問題にせず9馬身差の快勝。絶対王者の力をまざまざと見せつけた。

そして2020年4月18日、朝からの大雨で不良馬場で行われた中山グランドジャンプを優勝、同一GIと同一重賞の5連覇の大記録を打ち立てた。しかしながらシングンマイケルが最終障害にて転倒しそのまま絶命するなど、後味の悪い勝利となってしまった。

秋は阪神開催の京都ジャンプステークスに出走したが、休養明けのせいか衰えによるものなのか、いつも以上に飛越が安定せず、最終障害でもバランスを崩し、前を行くタガノエスプレッソを最後まで捕らえることができず、後ろから追い込んできたブライトクォーツにも差されてまさかの3着。

4年8ヶ月ぶりに障害戦で敗れてしまった。

このレースで足を痛めたことから中山大障害は回避して休養に入る。


10歳時(2021年)

明けて2021年、ぶっつけで6連覇が懸かる中山グランドジャンプに臨んだが、前年の中山大障害を制したメイショウダッサイの5着に沈み、更に左前第1指骨の剥離骨折も判明、現役続行を視野に再び長期休養に入る。復帰戦となった東京ハイジャンプも3着に終わった。

2021年中山大障害

10歳という年齢のこともあり、限界説も囁かれる様になる中、4年ぶりに中山大障害に出走。

中山グランドジャンプで自らを下したメイショウダッサイが繋靱帯炎を患って長期休養に入り不在の中、オジュウチョウサンは好位追走から直線で抜け出す形で2着馬に3馬身差をつける快勝。

中山大障害は4年ぶり3回目、障害レースそのものでも1年8ヶ月ぶりの勝利を飾り絶対王者復権を見せつけた。

また、日本調教馬としては最高齢でGⅠ競走制覇という記録を打ち立てた(外国馬まで含めた場合、2007年に12歳で中山グランドジャンプを制したカラジ(オーストラリア調教馬、2005年~2007年まで中山グランドジャンプ3連覇)がいる)。


レース後、陣営は2022年も現役を続行することを決定。年明けの阪神スプリングジャンプを始動戦に、かつて自らが大記録を打ち立てた中山グランドジャンプを目指すこととなった。


11歳時(2022年)

この年は予定通り阪神スプリングジャンプから始動。しかし、他馬より2kgのハンデが影響したか、3着に敗れる。

2022年中山グランドジャンプ

そして、本番の中山グランドジャンプ。阪神スプリングジャンプで先着された2頭は不在。そのこともあり、1番人気に推される。レースは好位追走から進出すると、ブラゾンダムールとの叩き合いを制し、中山グランドジャンプ6勝目、更にはアーモンドアイと並ぶGⅠ9勝目の大記録を成し遂げた。そして史上初の7年連続中央重賞制覇記録も達成、そのほか自身の記録を更新する7年連続中央GI制覇記録も達成。


主戦を務める石神騎手はこれが障害競走騎乗通算1000回目という節目の騎乗であり、またこの勝利でJRA障害重賞勝利記録1位タイとなる20勝を挙げることとなった(その後、5月の京都ハイジャンプをタガノエスプレッソで勝利して単独1位)。レース後、石神騎手は「素晴らしい以外の言葉が見つからない」「オジュウにありがとうと言いたい」と振り返りを述べている。


中山グランドジャンプ後

その後は10月の東京ハイジャンプを始動戦として、暮れの中山大障害を目指すプランが組まれた。

しかし、その東京ハイジャンプではまさかの9着という惨敗を喫してしまう。オジュウが障害で掲示板を外したのは、15年の中山大障害以来6年10ヶ月振りの出来事となった(これは同時に、無敗の三冠馬が生まれて引退するまでの期間掲示板を外さなかったという末恐ろしい事実も示している)。石神騎手は「馬の状態も良かったし返し馬も良かったが、向正面2つ目の飛越が落馬するくらいの飛越になってしまい、その後手応えが悪くなった。現状はこういうスピード競馬は厳しいかもしれない」と答えている。

この敗北に加え、馬主の長山オーナーが帰りの電車内でファンと思われる子どもが「なぜオジュウが負けたんだ、負けるはずない」と泣きながら口にする姿を目にしたことで、遂にオジュウチョウサンの引退を決断。引退レースを当初プランで目標としていた年末・12月24日の中山大障害に定め、2連覇及び2017年以来3度目となる春秋障害GⅠ連覇による有終の美を目指すこととなった。

また、中山大障害終了後、JRAから馬主である長山オーナーに提案が行われ、中山競馬場において引退式を行う方向で調整中であることも報じられた

更にはオジュウチョウサンの引退に際してこれまでの重賞レースのみならず、平地挑戦時のレースまで動画公開に踏み切った。これまで名だたる名馬の引退前であってもここまでの対応をJRAが行ったことは今までになく、JRAにとってもオジュウチョウサンは単なる競走馬ではなくなっていたのである。


2022年中山大障害、そして引退

そして来たる2022年12月24日、暮れの障害競走大一番、J・GⅠ「第145回中山大障害」。

果たしてオジュウチョウサンは大団円を迎えたの背を追い、障害競走の絶対王者としての意地を見せられるのか。何より、11歳まで長きに渡って第一線の舞台で輝き続けた障害界きっての優駿は、最後のレースを無事に終え引退を迎えられるのか。

ファンの期待と祈りの中、オジュウチョウサンは単勝2.4倍の一番人気に推された。


そして始まったレース本番。自身のJ・GⅠ初出走となった2015年中山大障害と同じ1枠1番から発走したオジュウチョウサンは、中段に位置を取って道中を進めると、最終周回向正面の竹柵障害あたりから前との差を詰めにかかる。そして先頭で逃げ込みを図るニシノデイジーを見据えて最終コーナーを回ったが、やはり寄る年波のせいか直線では脚が伸びず6着に終わった。奇しくも2015年中山大障害時の着順も6着であり、それと同じ着順となったのは何かの因果だろうか。それでも落馬・競走中止となることなく、全ての障害をクリアして無事完走した。

通常、GⅠの大レースで1番人気の馬が馬券外に飛んだなら、ゴール前では少なからず悲鳴や怒号が飛び交うのが競馬場の風景である。だが、ゴール板を駆け抜けるオジュウチョウサンを待っていたのは、中山競馬場に詰めかけた観衆からの「無事に帰ってきてくれて良かった」「今までありがとう」と言わんばかりの大きな拍手であった。


なお優勝したニシノデイジー(6歳)は、オジュウが初めてのGⅠ勝鞍を挙げた2016年中山グランドジャンプの時にはまだ生まれていなかったため(2016年中山GJから2日後の2016年4月18日生まれ)、障害競走界の世代交代と共に、オジュウがいかに長きに渡って障害界の第一線で戦い続けてきたのかを改めて印象付ける結果となった。


また、予告通り最終レース後の同日16時30分より芝コースにおいて引退式が挙行された。障害競走馬が引退式を行うのはフジノオー1968年)・グランドマーチス1976年)・バローネターフ1980年)に続く42年ぶり(!)4頭目平成令和を通しては初の事例となる。またこの日のため、引退式専用の馬着が用意された。

長山オーナー、和田調教師、石神騎手、青山亮調教助手らが次々に挨拶に立つ中、8年間オジュウに寄り添った長沼厩務員「別れたくないですね」と声に詰まり、場内の感動を誘う一幕もあった。


そしてしばらく経った2023年1月10日。

2022年度のJRA賞が発表されたこの日、オジュウは投票で先述したニシノデイジーをわずか1票差で退け、同年度JRA賞最優秀障害馬に選出された。これにより、オジュウチョウサンは史上初となる5回のJRA賞最優秀障害馬に選出された競走馬となった。そして2022年のJRA賞受賞馬は皆オジュウチョウサンがJ・G1を初めて獲得して以降に生まれた競走馬のみであった。

ちなみにオジュウチョウサンが最初の受賞を得たときに年度代表馬を受賞したのはキタサンブラックであったのだが、最後に受賞したときの年度代表馬はキタサンブラック産駒であるイクイノックスであった。


種牡馬入りへ

引退後のオジュウチョウサンだが、障害馬としては異例の種牡馬入りが決定した

種付料金は100万円と種牡馬としては安いほうだが、日本競馬における障害馬の需要を考えれば安くなるのは当然であるし、血統と強さを考えると破格の値段とすら言える。また、引退の決定自体急遽だったため、とりあえずは生まれ故郷の坂東牧場に帰るも、種牡馬繋養牧場を探すことを予定していた。

中山大障害後、一度和田牧場に放牧に出されたのちに坂東牧場に移送。この時、和田牧場の場長であった和田正道氏は調教師時代に使用していた水色の星付き面子を被せて送り出した。そしてほぼ1日の陸路輸送を経て、生まれ故郷の坂東牧場に約10年ぶりに帰郷した。なお、母であるシャドウシルエットは繁殖牝馬を引退して坂東牧場でリードホースをしているため、機会があれば母親と顔を合わせることもあるかもしれないという。


そして新たな繋養先がYogiboヴェルサイユリゾートファーム(以下VRF)に決定した。

VRFは多くの重賞馬を輩出した競走馬生産牧場「ヴェルサイユファーム」の分場。引退馬のタニノギムレットアドマイヤジャパンなどを繋養しているため引退馬養老牧場というイメージが大きい牧場だが、オーナーからの預託種牡馬としてエタリオウロジクライを繋養している実績もあるため、ファンの間では期待する声も上がっている。

なお、VRFには種付に対応できる設備がないため、種付依頼があった場合には設備の整っているブリーダーズSSに輸送して種付けを行う予定。


オジュウチョウサンはしばらく坂東牧場で過ごした後にVRFに異動したようで、2023年1月23日にVRFの公式Twitterがオジュウチョウサンの到着を発表。新天地での第二の馬生が幕を開けた。

現在は見学可能となっているが繁殖に関わっているため餌やり及び触ったりすることは禁じられているため、実際に見学する場合は必ずスタッフの指示に従わなければならない。

なお、VRF代表の岩崎崇文氏は「これほどの名馬をお預かりすることは名誉なことです。種牡馬としても成功してほしいのでしっかり管理させていただきます」とコメントしている他、27日に牧場内のカフェを新装オープンすることを予定しており、いずれはオジュウチョウサンを眺めながらカフェを楽しむ空間を作り出したいとのこと。

そして2023年3月時点において、オジュウチョウサンはかつて見せていたあまりにも多くの気性難エピソードが吹き飛ぶほどに落ち着いた様子を見せており、普段からリラックスしているのか舌を出しっぱなしにしてスタッフさんに触ってもらうよう催促する姿をTwitterで披露することとなった。

だがオジュウチョウサン自身、現役時代でも愛嬌ある姿を映像や写真でも収められていたため、あくまでもレースがある時期にはスイッチが入って猛獣のようになっていたらしく、どうやら日常的な生活においては穏やかであるらしい。しかしながらVRFのスタッフは「猫を被っている」と感じているらしく、今後種牡馬としての生活を送る中で変化するかもしれないとも語っている。そして石神騎手がオジュウチョウサンに会う為VRFを訪れたところ、レースがある、調教を行うと思ったのか一気にレースモードに切り替わった。(石神騎手曰くいつも通り噛みついてきたとのこと)

ちなみに、朝の時間帯には何故か放牧地と隣接するカフェの裏で棒立ちして出待ちしていることが多いらしく、訪問者の報告でもよくそこに立っているという証言が複数上がっている。いい匂いでもしているのだろうか。

そしてその種牡馬生活であるが、既に種付け試験は合格し、既に本番の種付けも行っていることが判明している。長山オーナーもオジュウチョウサンのために繁殖牝馬を購入し、VRF及び故郷の坂東牧場からも繁殖牝馬が手配されていることから、少なくとも3頭以上は確保されている。更にはサラブレッドクラブ(判明しているのはYGGオーナークラブの繁殖牝馬ブルーポラリス。受胎報告がなされており、繁殖牝馬の年齢的にもラストクロップになると考えられている)からも繁殖牝馬への種付け依頼があり、恐らく身内以外ではほとんど種付けしないと思われていたオジュウチョウサンは意外な人気を博している。

2023年11月末にジャパン・スタッドブック・インターナショナルより種付け牝馬が公開され、2023年の初年度種付け数は全8頭。そのうち6頭が受胎した。2024年にはそんなオジュウチョウサンの初産駒が産声を上げることになりそうである。


勝ち鞍/表彰

2022年12月24日現在。

  • 通算成績:40戦20勝(平地8戦2勝・障害32戦18勝)
  • 獲得賞金:9億4137万3000円(うち障害戦9億1545万7000円でJRA記録であり、同時に障害競走における獲得賞金の世界記録

重賞勝利

2016・2017・2018・2019・2020・2022年中山グランドジャンプ(J・G1)

2016・2017・2021年 中山大障害(J・G1)

2016・2017年 東京ハイジャンプ(J・G2)

2017・2019・2020年 阪神スプリングジャンプ(J・G2)

2016年 東京ジャンプステークス(J・G3)


オジュウチョウサンが打ち立てたJRA記録は以下の通り。

JRA障害GI勝利数…歴代1位(9勝)

JRA障害GI連続勝利数…歴代1位(7連勝)

JRA障害GI単勝最低オッズ…1.1倍(史上初)

JRA障害重賞競走勝利数…歴代1位(15勝)

JRA障害重賞競走連続勝利数…歴代1位(13連勝)

JRA同一障害G1連覇数…歴代1位・世界1位タイ(5連覇・同一鞍上の括りであれば世界で唯一の記録となる)

JRA重賞競走勝利数…歴代1位(15勝)

JRA重賞競走連続勝利数…歴代1位(9連勝)

JRA競走連続勝利数…歴代1位(11連勝)

JRA障害競走連続勝利数…歴代1位(13連勝)

JRA障害競走獲得賞金額…歴代1位

中山グランドジャンプ走破タイム…歴代1位(4分43秒0)

中山大障害走破タイム…歴代1位(4分36秒1)

JRA最長7年連続中央重賞制覇

JRA最長7年連続中央GI制覇


また、2022年1月時点で平地競争も含めた現役競走馬としての獲得賞金1位という記録も達成している。

(本賞金8億6500万円。2位エフフォーリアは7億6336万円)

この記録は最終的に登録抹消まで維持されたためオジュウチョウサンは21世紀初の障害競走馬として獲得賞金1位の座を年間保持した競走馬となった。平地競走馬ですら入れ替わりの激しい獲得賞金ランキングで、これは偉業といえる。


なおオジュウチョウサンの文字通り桁の違う成績により、JRAはこれまで「JRA重賞勝利記録」と言った表記とは別に「JRA平地重賞勝利記録」などと言った形で区分けするなどJRAの制度変更の原因を作り出している。


表彰

2016年、2017年、2018年、2021年、2022年のJRA賞最優秀障害馬に選出。

特に2017年においては年度代表馬の投票においても3票を獲得(年度代表馬において障害馬に投票されるのは極めて異例)、さらに競馬月刊誌『優駿』の「ホース・オブ・ザ・イヤー」部門においてもキタサンブラック(同年のJRA年度代表馬)に次ぐ2位に入るなど、大きな注目を集めるとともに障害競走の人気に大きく貢献した。

ちなみに2021年に選出されたことで、史上初となる3年ぶりに最優秀障害馬に選出された競走馬となった他、2022年にも受賞したことでこれまた史上初となる通算5度目の最優秀障害馬に選出された競走馬となった。



また、中山グランドジャンプ五連覇などG1を9勝し平取町民に勇気を与えたとして、引退後に生まれ故郷の平取町が特別賞を授与

VRF移動直前に坂東牧場において表彰式が行われ、平取町アイヌ工芸伝承館(ウレㇱパ)で作られた木製の賞状が贈られた。


余談

主戦騎手・石神深一について

オジュウチョウサンの主戦騎手である石神深一は、元々はデビューから4年連続で2桁勝利を挙げるなど平地競争における期待の若手として注目された人物であった。しかしながら2005年2月に飲酒運転で逮捕されて騎乗停止4ヶ月の重い処分を受けた後、落馬事故による負傷や所属厩舎の解散など不運が続いて騎乗数・勝利数共に低迷しており、そんな状況を変えるべく2007年に障害競走の世界に足を踏み入れたという経緯を持つ。

それでもなかなか結果を出すことはできなかったが(2013年に新潟ジャンプステークスを制して重賞は制していた)、オジュウチョウサンとの出会いが彼の運命を大きく変えることとなる。オジュウチョウサンとのコンビで数多くの記録を打ち立てた石神騎手は、障害騎手としての才能が開花。2022年8月には小倉サマージャンプをアサクサゲンキで制し、史上3人目となる障害重賞全6場制覇(※)と史上初の障害重賞全10競走の完全制覇という歴史的な偉業を成し遂げることとなった。

もし石神騎手がオジュウチョウサンと出会わなければこの記録は存在していなかったかもしれない。それは、武豊とスーパークリークの出会いと同じく運命的な物であった。

  • ※:正確には障害重賞が施行される全6場(中山東京新潟京都阪神小倉)に加えて、2021年に阪神ジャンプステークスが代替開催された中京競馬場を含めた「障害重賞全7場制覇」。もちろんこれは史上初となる前人未到の快挙である。

障害競走のアイドルホース

2018年、オジュウチョウサンは障害競走馬としては初めてヒーロー列伝のポスターに起用された。

キャッチコピーは「超えていく、王者。」で、記事トップの文章がその際の寄稿文である。文の最後の「愛さずにはいられない。」は、父ステイゴールドがヒーロー列伝に起用された際のキャッチコピー「愛さずにいられない。」を非常に意識したものだろう。また、ぬいぐるみなどの公式グッズ類も発売されるなど、マイナーとも言える障害界から初めて登場したとも言えるアイドルホースである。またオジュウチョウサンの主戦場である中山競馬場のターフィーショップにはオジュウチョウサン専用ブースが設けられており、オジュウチョウサンの様々なグッズが大量に置かれ、レース当日にはショップ店員によるオジュウチョウサン全力推しが見られる。そして引退後においても中山競馬場ターフィーショップの売り上げ最上位であり続けており、どうやらグッズ販売においては尚も『絶対王者』の地位を維持している。


フランスからの招待状

平地転向後の2018年、開成山特別を終えたオジュウチョウサン陣営にある手紙が届いていた。

差出人はフランスギャロパリロンシャン競馬場サンクルー競馬場などを管理する、フランス競馬を統括する組織の一つだ。

その手紙の内容は「凱旋門賞ウィークエンドの土曜日に行われる超長距離GI・カドラン賞(芝4000m)へオジュウチョウサンを招待したい。」という招待状であった。

これは、オジュウチョウサンという馬をGIに挑戦するに値する馬であると評価しているという意味でも大変名誉なことであり、前代未聞のオファーであった。

過去、カドラン賞へ挑んだ日本馬は皆無であり、日本でも4000mの平地競走は中山競馬場で設定されてはいるが、1975年以降は全く行われていない未知の距離である。

凱旋門賞では武豊がクリンチャーに騎乗する予定であり、鞍上の都合にも合致していたが、長山オーナーは「大変名誉なこと」としながらも、最終的に有馬記念挑戦を第一として、フランスギャロの招待に断りを入れた。

なお、同年のカドラン賞はコールザウインドという馬が勝利。タイムは4分24秒41で、オジュウチョウサンが勝った昨年末の中山大障害の4分36秒1というタイムと11秒7しか変わらず、もしオジュウチョウサンが参戦していたらどうなったのだろう…?と思わせる結果となっていた。


その他

  • そのあまりの強さにもかかわらず、テイエムオペラオーやメジロマックイーンのように強すぎてつまらないといわれたことは殆どない。ライバルたちはいかにしてオジュウチョウサンを倒すか。そしてどうすれば勝てるのかを真剣に研究しレースに挑んでおり、その結果レースの展開バリエーションが非常に多く、名勝負、名レースが多いことが要因とされている。
  • 「ルドルフの呪い」と称された芝GI7勝の壁を、障害競走という別のジャンルとはいえ牡馬で初めて突破した競走馬(牝馬ならアーモンドアイがGⅠ9勝)。むしろ年2回しか行われない障害GIを7年かけて9勝している点は驚嘆に値する。因みにステイゴールド産駒はサンデーサイレンス産駒に並ぶ14年連続JRAGⅠ勝利を達成しているが、その勝利の半分はオジュウチョウサンが勝ち続けたことによって保持されており、ステイゴールド産駒の成績をオジュウチョウサンが守護し続けていると言っても過言ではない。
    • そして、これだけ勝ち続けていることから獲得賞金額の総計についてもステイゴールド産駒第3位につけており(1位オルフェーヴルと2位ゴールドシップはともかく、平地GI3勝のドリームジャーニー(4位)すら上回る)、平地競走に比べると賞金額が低い+重賞も少ない障害馬としては異例の成績と言える。
  • こういった成績を支えるのは調教師である和田正一郎氏と、彼の父親であり、元調教師である和田正道氏が場長を務める放牧先の和田牧場であり、彼らの献身的なケアも欠かせない。和田牧場はかの「皇帝」シンボリルドルフシリウスシンボリシンボリクリスエスなどを所有したシンボリ牧場の場長が分家のような形で独立した牧場。独立したと言っても関係は良好で和田牧場のすぐ隣にシンボリ牧場が立地しており、シンボリ牧場のスタッフや装蹄師も和田牧場とは協力関係にある。オジュウチョウサンは放牧期間はほぼこの和田牧場で過ごしており、シンボリ牧場伝来の技術で肉体を整えられている。また装蹄師も獣医師免許を持つ非常に珍しい人物で、この装蹄師がいなければオジュウチョウサンの脚部は彼自身が健康管理していたとしても維持できなかったのではないかとも言われている。その意味では、オジュウチョウサンはシンボリの意志を継ぐ馬でもあり、シンボリ牧場は競馬の歴史上、たった2頭しか存在しない『絶対』を許された競走馬に関わっている唯一の牧場と言えるだろう。
    • そしてオジュウチョウサンの今後であるが、陣営はオーストラリアの名ジャンパーであるカラジが打ち立てた12歳でのJ・GⅠ勝利を超えることを目標としているため、この通りであれば競走馬として深刻な故障や病気、或いは衰えを見せない限りは2024年暮れまでは現役を続行する予定となっていた。が、先述したように東京ハイジャンプによる大敗によって2022年末をもって引退することが決定したため、この記録の更新は残念ながら後身に任せることになった。
    • オジュウチョウサン引退後の2023年夏時点で、障害競走界はまさに群雄割拠の様相を呈していた。ニシノデイジーは安定感を欠いてしまい、中山グランドジャンプではイロゴトシに敗退してしまうが、この両頭が出走した東京ハイジャンプでは、とある馬を尻目に揃って掲示板にすら入れず惨敗してしまう。オジュウチョウサン時代の常連であったベテランたちも新たな挑戦や引退のため障害競走を去っている。ただし障害競走はまさにこのような状況が寧ろ日常であり、オジュウチョウサン現役時代があまりにも異質かつ異常であったこと。そしてその中心であり続けたオジュウチョウサンがいかに恐ろしい存在であったか多くの人々が思い知らされる事態となっている。そのような状況を抜け出し、果たして障害競走界に新たなスターホースが誕生するのか。そして彼の戦いを引き継ぎ、障害競走を盛り上げていくことができるのか注目されていた。
    • そんな中で、引退から1年も経たないうちに新たな王者候補が出現した。オジュウチョウサンの甥にあたるゴールドシップ産駒のマイネルグロンである。2021年末に本格障害転向してから雌伏の時を経て、ニシノデイジーの五十嵐騎手を背にオープン競争を2連勝した後、東京ハイジャンプで五十嵐騎手がニシノデイジーに騎乗する為、代わりとなる相棒と出会うのだが、その相棒と言うのがオジュウチョウサンの石神騎手。ここでマイネルグロンは覚醒、8番人気ながらニシノデイジーやイロゴトシを下し、2着ホッコーメヴィウスを相手に2馬身半差をつけ重賞初制覇。さらに年末大一番の中山大障害では継続して石神騎手が騎乗すると、前年覇者である2着ニシノデイジー相手に10馬身差を付けて圧勝。続く2024年の阪神スプリングジャンプでも2着エコロデュエルに7馬身差を付ける圧勝、障害界の天下平定を成し遂げた。石神騎手は新たな相棒と共に、更なる覇道を歩むこととなる。

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