概要
プロフィール
馬名 | グランドマーチス |
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生年月日 | 1969年5月13日 |
没年月日 | 1984年9月10日 |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
父 | ネヴァービート |
母 | ミスギンオー |
母の父 | ライジングライト |
管理調教師 | 伊藤修司 |
馬主 | 大久保興産(株) |
生産 | 中央牧場 |
グランドマーチスは北海道新冠町で生を受けた日本の競走馬。父のネヴァービートは半兄にセントレジャーを勝利したヘザーセットを有する良血馬。八大競走優勝馬を複数輩出した、1960~70年代の日本競馬における名種牡馬の一頭である。
中山大障害4連覇(現在でいえば中山グランドジャンプ・中山大障害それぞれ連覇)を果たしたのみならず、障害馬ながら平地競走でもOP級の実力を有していた稀有な存在であり、同時に障害競走にて一度の落馬もなかったこと。出走取り消しもなく障害競走馬として見事な無事之名馬であったことを評価され、2024年5月時点で障害競走の活躍場で唯一の顕彰馬である。
経歴
後にスーパークリークを管理することとなる伊藤修司調教師に預けられたグランドマーチスは当時の天才騎手・福永洋一を鞍上にデビュー戦を1番人気で走るが惨敗。その後6戦して全て敗北したがそのダートの平地未勝利戦で勝利すると翌年には万葉ステークスを勝利し、平地4勝を得てOP馬となっている。
平地能力自体はちゃんと持っていたグランドマーチスであるが、この後グランドマーチスは突然障害入りすることとなる。これは当時、伊藤厩舎に所属する新人騎手・寺井千万基が所属していたのだが、彼が減量苦を理由に障害免許しか有していないにもかかわらず、厩舎に障害馬がいなかったための措置であった。
このような事情もあって鞍上を寺井にし障害デビューを果たす。初戦は2着と敗れるが次戦で勝利。以後寺井はグランドマーチスの主戦として、グランドマーチスの障害戦勝利のほとんどを彼が担うこととなる。
1974年中山大障害(春)勝利後から一気に覚醒し、中山大障害(秋)、そして翌1975年中山大障害(春)3連覇と、京都大障害(秋)(現・京都ジャンプステークス)連覇、京都大障害(春)(現・京都ハイジャンプ)勝利という障害大競走を含めた9連勝を達成。途中1戦敗れはしたがその後の中山大障害(秋)で立て直し、中山大障害4連覇を達成する。同時に中央競馬獲得賞金が3億を突破した初めての競走馬となった。
だがその後、グランドマーチスに対して明らかに不利になると受け取られかねないルール変更が行われ、1976年中山大障害(春)で2着に敗れて5連覇を逃し、後の京都大障害でレース中に骨折し9着惨敗。このレースが引退レースとなり、フジノオー以来の障害馬として引退式が挙行された。
その後は岩手県で種牡馬となるのだが、これは乗馬用の種牡馬としてであり、競走馬としての種牡馬ではなかった。そのため産駒が競馬場を走ることはなく、1984年に甲状腺がんのため死去。翌年、顕彰馬に選出されることとなった。
余談
障害競走馬唯一の顕彰馬
日本障害競走の歴史において、2024年5月時点で唯一の顕彰馬に選出されている。先達である世界に挑んだフジノオーや、中山大障害コース5勝という実績を残したバローネターフなどは顕彰馬に選ばれることはなかった。当時は選考委員会によって選ばれていたのだが、この中でグランドマーチスが選ばれた理由は実績とそれ以上に現役期間障害レースで一度も出走取り消しや落馬しなかったことが重要視されたためである。事実、フジノオーは輝かしい実績を有しているが落馬による競走中止があるため、この点において障害競走馬の模範となりえないと判断されたといわれている。一方のバローネターフはグランドマーチスの獲得賞金を超えることができず、出走取消や戦績にムラがあったことから顕彰馬選定から漏れてしまった。このことから、多数の障害競走記録を塗り替え、そして無落馬を記録しているオジュウチョウサンが顕彰馬として選ばれるのかどうか注目が集まっている。
グランドマーチス以外の中山大障害4勝以上馬
フジノオー中山大障害4連覇。日本障害競走馬において、おそらく現在まで唯一といわれる欧州障害競走遠征馬にして、欧州障害競走勝利記録を持つ『世界を跳んだ馬』
バローネターフ中山大障害5勝。長きにわたり、大障害コース勝利数記録を保持したレコードホルダー。『レース中の無落馬』を持つが、顕彰馬に選ばれなかった悲運の名ジャンパー。
オジュウチョウサン中山大障害コース計9勝。『100年に1度の障害界絶対王者』という異名を持ち、同時にグランドマーチスと同じく『レース中の無落馬』の記録を持つ。なお初年度の顕彰馬選考は58.0%の得票率だった。