プロフィール
名前 | ヤマノシルエット |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
誕生日 | 1997年6月4日 |
死没日 | 2001年 |
父 | オサイチジョージ |
母 | ミクロンケンラン |
母の父 | パーソロン |
5代内のインブリード | Nasrullah5×5×5 |
産地 | 北海道門別町 |
管理調教師 | 岡島一馬(公営船橋)→漆島義広(公営中津) |
馬主 | 宮瀬芳文 |
来歴
1999年の大晦日、船橋競馬場で開催された3才新馬戦でデビューするも12着。その後船橋で掲示板に3回載る走りを魅せるも未勝利のまま2000年に大分県の中津競馬場へと移籍する。
中津への転厩初戦では惜しくも2着。その後も勝ちきれないレースが続いたが、9月に転厩後初勝利を収める。
その後2着1回を経験し、2001年3月22日の中津第4レースを最後にターフを去った。
彼女がターフを去ったのはオーナーが競走生活に見切りをつけて繁殖入りの決断をしたからではない。本当の理由は中津競馬場の閉鎖である。
中津競馬場は1995年から赤字が続いており、累積赤字額が20億円を突破していた。その事を重く見た競馬主催者である中津市の市長は競馬場の廃止を決定。2001年2月10日、地元紙に競馬場廃止の記事が掲載されたが、その時点で競馬場で働く人達には何の説明もなく、寝耳に水であった。
ひとまず6月3日まではレースを行うとしていたが、写真判定を行う映像業者との契約更新が成立しなかったためにレースが開催不能となり、3月22日の開催を最後に競馬場は閉鎖。電話回線・携帯電話基地局全て契約を解除した。
更に6月末までに厩舎から人馬ともに全員退厩せよのお達しを出し、関係者は馬の引取先探しと今後の職探しに奔走することとなる。
閉鎖時点で在籍していた馬300頭中、100頭は新たな行き先が見つかった。しかし残りの200頭は新たな行き先が退厩期限までに見つからず、屠殺場に送られて殺処分となった。その殺処分された1頭の中にヤマノシルエットも含まれていた…。
ヤマノシルエットの最期を写した写真は週刊誌のグラビアに掲載され、購読した人々に大きな衝撃を与えた。